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2007年4月25日 (水)

タージマハール考

前回に引き続き、インド旅行での印象を記す。
デリーからクルマで1時間半ほどの所にあるアグラには有名なタージマハールがある。300年以上も前に、造営されたこの宮殿のように美しい建物と庭園は、17〜18世紀の北インドを支配していたムガール帝国の王であった人が、愛する后に先立たれ、后のメモリアルとして無数の労働力と当時の国家財産の大半を使って建てたものである。大理石造りのこの世界遺産を排気ガスから護るため、クルマは周辺数キロメーターの範囲で立ち入れないし、工場も建てられないそうである。そのため、途中でクルマを降ろされ馬車に乗り換えさせられた。
初めて見たタージマハールは、さんざん写真で見てきたにも拘わらず、あらためてその美しさに一瞬フリーズしてしまった。ちょうど朝日が昇る時間に、薄紫の淡い陽光を受けて、朝霧の中に浮かび上がったその真っ白な姿はまことに感動的であった。まさに絵のようなこの情景は、しかし、一歩一歩宮殿に近づくにつれて、これが本物なのだという実感を徐々に増した。それはまず、その大きさであった。写真で見ると大きさの実感は分からない。近づいてみると、白い大理石はやや黄ばんではいるが、いまでも純白の宮殿というに相応しい。タージマハールはその入り口近くに来ると、圧倒的な大きさで視野を埋め尽くすのである。しかもそのディテールは、近づくほどに、驚嘆すべき密度で現れる。大理石に描かれた幾何学的抽象文様がくまなく広大な室内を覆っている。それが単なる壁画ではなく象嵌であることに驚かされる。正面ゲートから続くシンメトリカルなフランス的ともいえる庭園といい、四方から見て同じシンメトリカルなデザインの建物といい、くまなく室内空間を埋め尽くす緻密な文様といい、イスラム特有の論理的・数理的計算を感じさせるデザインである。それでいて優美で女性的な美しさにあふれているのである。このような美しいメモリアルを造営してもらうほど王に愛されていた后はまことに幸せ者であったと思う。しかし、その後王は、タージマハール建造において国家予算の使いすぎで、責めを受け、息子に幽閉され蟄居を余儀なくされる羽目となった。タージマハールから1キロほど離れたアグラ城の蟄居部屋から毎日夕日に映えるタージマハールの遠景を眺め、后の思い出に浸りつつ寂しい余生を送ったのだそうである。
私はこの話を聞いて、ふと思った。領民にとって、王は確かに無計画で、領民のことなどより自分の后の思い出のことしか考えないハチャメチャな王であったかもしれないが、そのハチャメチャさのお陰で、後世のわれわれが、この世にも希な美しさを誇るタージマハールと対面する恩恵を受けているのである。しかし、世界遺産の多くは、実はこうして、どうしようもない勝手な独裁的支配者のお陰で文化史に登場したのである。当時貧困の中でタージマハール建設の重労働に耐えた職人や労働者たちからみれば、かく言うわれわれはまことに勝手な連中であろう。歴史の皮肉とでもいうべきであろうか。
しかし、さらによく考えてみれば、たとえそのきっかけを作ったのは王であったとしても、その美しい人類の遺産を直接生み出したのは、毎日貧困と苦しい労働にあえぎながら、気の遠くなるほど長期にわたってそれに耐えた労働者や職人たちなのである。王は自分の美意識を実現させるために、高度な美的センスと政治・経済的支配権を持ってはいたが、実際それを目に見える形に実現し得たのは、棟梁であり、石工であり、装飾職人であり、建具師であり、重い石材を運ぶクーリーたちであった。彼らは、それがどれほど美しいものを生み出す労働なのかなど考える余裕もなく、毎日の与えられた労働と生活に明け暮れていたであろう。王はあたかも自分が一人でこの美しい宮殿を造り出したかのように思いこんでいたであろう。こうしてそれぞれの人々の喜びも悲しみも苦しみもすべてを包み込んでこの美しい宮殿はインドの大地にいま佇んでいるのである。

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