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2007年6月 4日 (月)

デザイナーのミッション−(1)

 商品に付加価値を付与するために有名デザイナーのブランドが用いられていることは前回述べた通りである。しかし、付加価値を付与することがデザイナーのミッションだと言ってしまえばそれで終わりかというと、ことはそう単純ではない。

 実は、なぜそうなのかということを解き明かすには、「デザイナー誕生の秘密」つまりデザイナーと呼ばれる職種が、世の中にどのようにして登場してきたかを考えねばならない。われわれが学生のときに習った近代デザインの歴史は、N.ぺヴスナーの「ウイリアム・モリスからバウハウスまで」が定本であったため、それがそのままデザイナーという職業の誕生の歴史であると思っていた。しかし、現実には、バウハウスとはほとんど無関係に、1920年代後半のアメリカに登場した、「インダストリアル・デザイナー」が直接のルーツであることを知ったのは大学を卒業してしばらく後のことであった。そしてその1920年代末こそ、ウオール街株式大暴落に始まる現代資本主義社会の一大転換点でもあったことを知ったのもその後のことであった。

 19世紀末までの西欧中心の産業資本主義社会は、ほぼ10年に一度の経済恐慌が起り、多くの労働者が路頭に迷った後、生産方式の改良などにより再び好況期が来るということを繰り返していた。この産業資本主義社会に特有の経済恐慌をどう捉えるかは経済学者の間でも意見が分かれるようであるが、経済学者 宇野弘蔵によれば、生産力の増大は生産物の価値を、したがって商品の市場価格を下げるが、好況期においては、労働力市場での労働力の供給が需要を上回り、労働力商品の価値つまり労働者の賃金が高騰し、それが資本の投入に見合った利潤を生み出し得なくなったときに、過剰資本状態となり、そのときの急激な信用への依存度の増大が、ドラスティックな経済恐慌を引き起こさせるといわれている。

 しかし、これは視点を変えて見れば、資本主義生産様式が、過剰資本を生み出さないようにすると同時に、間接的にそれによって過剰生産を防ぐ自動調整の役割を果たしていたとも考えられる。要するに資本主義生産様式では、労働者の多大な犠牲のもとに、経済恐慌という形で過剰に生産物を生み出さないように調整するメカニズムが働いていたともいえるのではないだろうか?

 20世紀に入って、ヨーロッパ中心だった資本主義社会は、アフリカやアジアにその版図を拡大し始め、植民地獲得競争が激化してきた。植民地の原材料や労働力を支配していった資本主義国は、金融資本という社会全体のあらゆる資本を支配しうる形で資本蓄積や投資を行い、同時に自らは産業資本主義時代の「モノづくり国家」から「金貸し国家」へと変貌しつつあった。帝国主義段階の資本主義といわれるこの状態は、やがて第一次世界大戦という形でその矛盾を爆発させることになった。数千万もの人々の命が失われ、その過程で、資本主義化が遅れたロシアに革命が起き、非資本主義的な社会体制を生み出させることになった。

 第一次世界大戦後、敗戦国ドイツでは、資本主義社会のもたらした悲劇に対する反省や、ロシア革命からの影響で、新たな社会体制への動きが盛んとなり、その流れの中からバウハウス運動も生まれたのである。初期のバウハウスのスローガンは反資本主義的内容を色濃く持っている。

 しかし、一方で、ヨーロッパとは一線を画して独自の資本主義体制を築いていたアメリカは、第一次大戦で戦勝国となり、大きく破壊されたヨーロッパの資本主義体制に代わって、敗戦国への賠償をめぐる資本援助などを通じて、相対的安定期といわれた1920年代の10年の間に、大きく国際的地位を上昇させた。高度な生産技術を持った産業資本と株式などによる金融資本の調達を駆使し、敗戦国への借款をテコとして、またたくまに巨大自動車産業や巨大電機産業を興し、大規模農業の採用などによって労働者や農民の生活様式を一新して行った。その発展の頂点にあった1929年秋にニューヨークのウオール街で突如株式大暴落が起ったのである。

 アメリカではこれと相前後して、W.D. ティーグ、R. ローウイー、N. ゲデスなどといった舞台美術家や彫刻家などの前歴を持つ人たちが、「インダストリアル・デザイナー」という看板で旗揚げし、さまざまな工業製品のデザインを手がけるようになった。この経緯は、例えば、R, ローウイー著の「口紅から機関車まで」に詳しく述べられている。

 また自動車メーカーGMにおいては、Tモデルで独走していたフォード社に打ち勝つ戦略を掲げたスローンの指揮によりクルマの買い替え需要を狙った戦略を立て、Color and Styling Sectionが社内に設けられ、画家のH. アールが招き入れられている。少し遅れて1930年代になると、イギリスでもアプライド・アートという名前で呼ばれていた同種の職業が登場し始めており、ハーバード・リードが第二次世界大戦直後の1940年代後半にこれらを取り上げ、「インダストリアル・デザイン」という本を出している。

 ウオール街の株価大暴落に始まった金融大恐慌は、1930年代になると、世界中の資本主義国を不況の大波に飲み込むことになる。アメリカでは失業者が街に溢れ、労働運動が高まり、新興ソ連を中心とした「社会主義勢力」の影響力が次第に増しつつあった。チャップリンの「モダンタイムス」に描かれた通りである。ドイツではアメリカやイギリスなどの戦勝国へのナショナリズム的反発が強まり、ソ連の影響下にあった左派勢力を強権的に抑えてナチスが政権を掌握する。そしてバウハウスは閉鎖されることになったのである。

 やがて再び、今度は、当時すでに東アジアへの侵略を始めていた日本をも巻き込んで、第二次世界大戦の悲劇が繰り返されることになるのである。この第二次大戦を挟む10年ほどの過程で、資本主義社会はどう変わったのか、そしてその中でデザイナーという職種がどのようなミッションを負って登場したのかを次に見てみることにしよう。


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