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2007年6月 4日 (月)

デザイナーのミッションー(2)

 第二次大戦に先立つ1930年代中葉、アメリカは F. ルーズベルト大統領の指揮のもと、大規模な経済改革を思案していた。アメリカの経済政策は一歩誤れば、世界の資本主義体制を崩壊させかねない重大な局面に立たされていたが、当時イギリスのケンブリッジ大学を拠点に経済学の研究をしていたJ.M. ケインズの「雇用、利子、貨幣の一般理論」(1936)で提唱する経済哲学がアメリカの経済政策に大きな影響力を与えていた。ケインズ理論の影響を強く受けたアメリカのニューディール政策では、当面、金融恐慌をもたらした過剰資本をいかにして処理するかという問題に焦点が当てられたと考えられる。

 イギリスやアメリカ、フランスなど、主要な資本主義国のほとんどが、第二次世界大戦前後に、それまでの金本位制を離脱し、管理通貨制に切り替えた。ニューディール政策では、通貨の価値を国家が中央銀行の機能を通じてある程度コントロールすることで、名目的には賃上げという形をとるが、実質的に労働賃金(労働力商品の価値)の資本価値に対する割合を相対的に引き下げながら、同時に電源開発や高速道路網建設などの大規模な公共投資を積極的に行うことで、雇用の確保と経済恐慌の防止を行おうとするものであった。

 この政策は、第二次世界大戦という大量破壊(戦争という不生産的大量消費)を通じて、はじめて軌道に乗り始めた。この政策をきっかけとして、戦後いわゆるクリーピング・インフレーションといわれる緩慢だが恒常的インフレ状態を維持しながら、労働者への名目的賃上げを通じて、消費市場を活性化させ、直接生産資本の過剰を防ぎながら同時に過剰資本を不生産的に消費することで、労働運動の激化をも防ぐことに成功したのである。ここに、生産資本の再生産に直接結びつかない大量消費(不生産的消費とでも呼ぶべき)を前提として成り立つ新たな資本主義体制の仕組みが動き出したである。こうして戦後は軍需産業とともに、労働者の生活資料産業がこの不生産的消費を支える2大分野として脚光を浴びることになり、不生産的大量消費が、戦後、資本主義社会において過剰資本の形成を防ぎ、従ってドラスティックな経済恐慌を防ぎながら膨大な利潤をもたらすメカニズムとして登場したのである。このケインズ・モデルによる新たな資本主義体制は修正資本主義とか国家独占資本主義と呼ばれており、この体制の中で、はじめてインダストリアル・デザイナーは新職業としての市民権を得たのである。

 やがて、大量生産・大量消費のメカニズムが先進資本主義国を覆いつくすことになったのである。販売促進のための宣伝広告やデザインが新たな産業の花形となり、労働者は名目的に上がって行く賃金を、産業側からの大消費キャンペーンに煽動されて、生活消費物資やレジャーなどに大半使うようになった。 一方で工学的技術革新による生産性向上が進むとともに、他方では生活消費財産業や、レジャー産業などの第三次産業が大きな比率を占め始め、国内の第一次産業は縮小し、輸入依存傾向を辿った。やがて、20世紀末には、生活廃棄物や自動車の排気ガスなどが急速に増加し、環境汚染が進むと同時に地球資源の枯渇が現実の問題となってきたのである。

 労働者は名目的に上がった賃金を大半、生活消費財産業やレジャー産業に消費し、貨幣を資本家の手に還元し、資本はそれによって大きくふくれあがった。しかし、その膨大な資本価値は、新たな利潤を目指すための資本として金融市場や不動産市場など再投資され、本来社会に必要なファンドとして、国家機構を介して労働者に還元されることは少なくなって行ったのである。もはや恐慌をもたらす心配がなくなった過剰資本は、国際的な過剰流動資本として世界中を駆け巡り、あるときはオイルマネーという形で、あるときは不動産マネーとしてそしてあるときは敵対的企業買収の資金としてわれわれの社会を蹂躙しているのである。

そしてその結果、世の中に働けど働けど暮らしが楽にならないウアーキング・プアーをどんどん輩出しながら、富は一部のニューリッチに集積しつつある。資本主義国の政府は、一方で地球環境の危機を訴えながら、同時に他方で、景気浮揚のために消費の拡大を叫ぶという全く矛盾した政策を推し進めているのである。多くの労働者たちは、国際競争に勝ち残るためと言われ、過酷な長時間労働で、心身ともに疲れ果て、限界に来ている。彼らはGood Designを享受することもできない。しかし、ニューリッチたちは、高級マンションや別荘を持ち、Good Design商品に囲まれた生活をしている。いったい誰のための競争なのか!地球環境を急速に悪化させ、自然破壊を推し進め、いったい何のための競争なのか!

デザイナーはこの流れの中で、いったい何をしてきたのであろうか?もともと販売促進の武器というミッションをもって誕生したデザイナーという職業は、これでもかこれでもかと本来買い換える必要もない、新しいクルマや耐久消費財を買わせて、モノの溢れる住環境を生み出し、ゴミの集積を生み出したのではないだろうか?たしかに、われわれはモノが豊富で便利な生活をすることができるようになった。しかし、それが本当に豊かな生活なのであろうか?

 デザイナーが悪いのでは決してない。むしろ、デザイナーという職業を生み出した経済社会の仕組みをわれわれはもう一度しっかり見直し、すべての人たちにとってそれぞれの形で豊かであるようなあらたな社会システムを、すべての人たちの手でデザインし直す時が来ているのではないだろうか。これこそが、本来の意味でのデザインのミッションなのではないだろうか?

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