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2007年12月12日 (水)

コメントへのお答え

 コメントいただいた方、ありがとうございます。一気に40以上も投稿をしてきましたが、このところ、少し疲れが出て、投稿を休んでいました。しかしこのブログを読んでいただいている方がいるのだと知り、励まされます。デザインの未来については、そう簡単に「こうなるでしょう」と言うわけにはいきません。自分がこれまでやってきたことのすべてを投じても確答は出来ないでしょう。ただ、以下のようなことは言えます。

 現代社会に生きるほとんどの人々は、眼前の仕事の忙しさに追われて、未来のことなど考える暇もないのだと思います。私のようにリタイアしてこれまで自分がたどってきた人生が何であったのか、何のために生きてきたのかを考えるようになると、これから先の世界が気になりだすのです。少なくとも自分がこの時代この社会に生まれ一生懸命生きてきたことがどんな意味を持っているのかを理解したいのです。

 私はたまたまデザインの世界にコミットしそれを自分の「専門」として生きてきましたが、考えてみればデザインという専門そのものがこの時代の産物なのです。それそれの時代にその時代を特徴づける職業が登場しますが、その意味でデザインはいまの時代を象徴する職業です。しかしかつて70年代の学生運動のさなかに、「自らの存立基盤を疑え」という学生たちの批判をきっかけとして、一歩さがってその職業を必要としている社会とは何なのかを考えてみたのです。そこで私はデザインがこの社会の仕組みの大きな矛盾の中で生まれた職業であることを知りました。しかしそれはこの社会の持つ矛盾のゆえに一つの職業としての位置を獲得し、それが何であるのかを考えるきっかけを与えたのです。おかげでその後10年以上も干された大学の研究室の片隅で、このことを考え続けることができたのです。その結果、いまの職業としてのデザインがこの矛盾に満ちた社会、つまり消費を際限なく拡大しなければ経済体制が持たず、労働者は見かけ上高騰した賃金でものを買い消費することが存在意義とされ、膨大な浪費が生み出され、廃棄物の山が築かれ、自然環境は破壊され、資源の枯渇が進み、それによって一部の富裕階級のみが私有財産を肥やしていくという社会で、消費促進の武器として意義づけられている職業であるということ、しかし、一方でそれは人類が他の動物と異なり「ものをつくる」行為を始めてきたときからその本質部分を労働の中で繰り返してきたという事実を知りました。つまり、この時代のもつ特殊性が何かということを知ることと、そこで行われている「ものづくり」の不自然さを批判的に考察することによって、普遍的に人間が行ってきたデザイン的行為の本質とは何かを浮き彫りにさせるということです。この普遍的なものが、歴史的なその時代の特殊性によって現実の姿になっているという関係を理解しなければ、現代デザインを無批判に推し進めることとなり、その結果、この社会の矛盾の尻押しをしていることになるのです。

 私はその意味で職業としてのデザインではなく、普遍的なデザイン行為に拘りました。本来あるべき普遍的デザイン行為の本質を探るという意味でデザインの創造的思考過程を研究テーマとしてきたのです。

 本来、大学というところは、その社会の職業教育のみに専念する場所ではなく、むしろその社会がもつ本質的な矛盾に目を開き、そこからそれを批判することで、本来あるべき社会の姿を求めるという社会的に重要な任務があるはずです。残念ながら、いまの大学のほとんどでそれが出来なくなりました。私はその意味でデザインの未来を考え続けようと思っています。

お答えになっているでしょうか?

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