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2008年7月 2日 (水)

デザイン学のこれから−1

 先日、広島での学会で、「デザイン学の領域とその役割について」という大上段に構えた発表を行った。少し大げさかなと思いつつ、デザイン論研究部会のオーガナイズド・セッションだったので、あえてこういうタイトルにした。その内容はおおむね次のようなものであった。

 デザインという概念の定義そのもが曖昧であり、その理由は、職能を基盤として登場した学であること、しかもその職能が20世紀中葉のアメリカに台頭したケインズ型資本主義経済体制による大量消費社会のミッションを背負い商品の販売促進のために登場したものであること。それゆえ職能自体が内包する矛盾が見えず、それに引きずられていること。そしてデザイン学のコアが見えないまま関連周辺領域の理論が取り込まれ、それに引きずられて、いわばドーナツ化現象を起こしていること、などである。

 そしていま、エコやリサイクルが叫ばれ続けながらも相変わらず消費経済が世界経済の基盤となり続け、景気浮揚のためには消費の拡大と国際競争力をつけることが叫ばれる一方で、他方でそれによる地球の自然環境や天然資源の急速な破壊や枯渇という深刻な問題を起こすという致命的なトレード・オフ状態に直面している。

 中国やインドなどの国々がアメリカや日本のような大量消費国になった場合には資源問題や環境問題はどうなるのか?また消費経済によりだぶついた流動過剰資本を奪い合う投機マネーによって世界の経済が混乱している中で、富裕階級のマネーを獲得するための虚偽の価値である「付加価値」を与えるためにブランドやデザインが利用される一方で、100円ショップの商品を生活資料にせざるを得ないという人々が増え、貧富の差が拡大し、デザインも二極化しつつあること。「国際競争力をつけるため」と言いつつ、低賃金長時間労働が日常茶飯事となり、労働者は賃金も時間も奪われており、子供を生み育てることもままならず、生活の質は悪化の一途をたどっている。社会にとって最も必要である労働を行う人たちの生活を犠牲にして何のための競争なのか?誰のためのデザインなのか?

 一企業の利潤追求はきわめて綿密かつ計画的にデザインされるが、市場全体がどこに向かおうとしているのかは誰にも分からないしそれをデザインすることもできない。つまりグランドデザインなき「自由競争」これがいわゆる市場経済のもっとも顕著な矛盾ではないのか?

 デザイン学はこうした状況を真摯に受け止め、消費社会の申し子としての職能のみに軸足を置くのではなく、それを批判し、真正な「学」として本来人間があらゆる歴史を通じて行ってきた普遍的な意味でのデザイン行為の本質を明らかにし、その研究成果をより重要な社会的要求に向けるべきではないのか、という主張である。

 この発表が終わり、質疑の時間に入ったが誰も質問者がいない。すると座長の先生が私に「これからデザイン学は何をすればいいんでしょうか?」という質問をした。これに対して私は「答えは簡単ではないけれど、まずは経済学をやるべきでは?われわれの生活はすべてが社会経済的基盤の上に成り立っているのだから、経済学者をデザイン学に巻き込まなければだめなのでは?」と答えた。座長の先生はなんだか腑に落ちない表情だったが、持ち時間の20分が過ぎ、時間切れで私の発表は終った。たった20分では到底伝えきれる内容ではないし到底分かってもらえないであろうことは最初から分かっていた。

 70年代の学生運動に加担したという理由でかつて11年間干され続けてきたある大学での孤独地獄のどん底で私はいまの考えに到達した。それから25年以上の月日が流れ、ある別の大学の教授であったときも、就職活動を控えた学生達にこのような私の心情を話しても仕方がないという気持ちでほとんど何も話してこなかった。それが良かったのか悪かったのか、未だに自問自答を繰り返している。

 定年を待たず半年早く大学を去る決意をした私は、文字通り大学人生最後の最終講義でこのような主旨の話を初めて学生の前で行ったのである。

 善かれ悪しかれ「デザイン学のこれから」は、私にとっては自分が生きてきた意味を問う問題でもあるし、私という人間の無力さを吐露することになるのかもしれないのである。要するにここからが私にとっての正念場なのである。どんなに不都合であろうとも真実は真実である。そしてその真実から出発し真実に帰還するのが学の学たる所以であろう。

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