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2008年7月17日 (木)

犬家族の死

 10年間家族同然に生活を供にしてきた我が家の犬が今日死んだ。数日前から熱中症の様に呼吸が荒くなり、ふらふらになるという症状が表れ、獣医に連れて行ったところ、肝臓と脾臓に異常があるということが分かり、場合によっては手術が必要かもしれないと告げられた。しかし家に帰ってくるとまた元気を取り戻してえさを食べ、水もよく飲んでいたので、少し安心していた。ここ数年とみに暑さに弱くなった様に感じられたのはやはり体の深部に病気が進行していたのだろう。そして今朝また状態が急変したのである。だんだん荒くなって行く呼吸がやがて浅くなり口を開けたまま、呼吸が止まってしまった。そしてその直後首を何度も突っ張る様な激しいけいれんが襲い、それが終わると足を伸ばしきって静かになった。あっけない最期であった。むき出しの犬歯だけが彼の死との闘いの跡を留めていた。家族を一人失ったような悲しさでみな泣いた。

 目のきれいな犬だった。少しの間留守をしていて帰宅するとまるで何十年も会ってなかったかのように「キューキュー」と歓声を上げてシッポをちぎれんばかりに振って再会を喜んでくれた。そしてこちらが彼に向かって何か喋ると、その言葉を理解しようとするかのように一生懸命耳を立て私の目を見つめてくれた。それだけで十分だった。彼はどんなときにも言い訳や嘘を言うこともなく、その目はただひたすら飼い主を信じきっていた。そうなるとこちらもその信じる目に応えねばならないという気持ちになるから不思議である。それは小さい子供の目によく似ていた。

 真夏の空は明るく晴れ上がっている。もう梅雨明けなのかもしれない。南風に乗って流れてくる真っ白い夏雲も、ゆったりと悠久の青空を巡航してゆく。もう再び目を見開かないであろうわが犬家族の横たわる姿は間もなくこの青い大きな空の彼方へ去って行くだろう。何事もなかったように。

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