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2008年12月31日 (水)

消費主導社会における個人の実存

 前回では消費主導社会そのものの構造的矛盾について述べたが、いうまでもなくこの消費主導社会を構成する諸個人の実存もこの社会特有の存在形式をとる。それは個人の社会的存在意義が商品としての価値としてとらえられるという形をとる。人間の社会的存在意義が商品の価値と同じにとらえられるということは、その根底にこの社会が商品として資本家に買い取られた労働力が社会的に必要なモノを資本という形で生産することによって経済的に成り立っているという根拠があるからだ。文字通り「自分を売り込む」ということが自分の存在意義を認めさせるということになる。社会の基盤を支える産業においてはもちろん、もっとも個人の実存に依存する芸術表現の世界ですら投資の対象となり、今は無名でもこれから高く売れそうな作品をうみだす芸術家を発掘することが画商という名の芸術投資家の仕事になる。だから芸術家も自分を売り出してもらう目的で作品を創る。

 資本主義社会の腐朽化が進み,産業資本が主力ではなくなり、マスコミやネットワークをベースにした第3次産業的サービス資本が経済の主導権を握るようになり、さらには産業界の潤滑油的な位置だった金融資本が、過剰流動資本を動かし巨額の資本を支配する存在になると、本来は社会の補助的位置にあるはずのサービス産業でスターになることや、濡れ手にあわで投資によって一挙に大きな金を手にすることで、地道に社会に必要な労働を営々と行っている多くの人々とは比べものにならないようなリッチな人々が登場する。次世代を担う若者たちは当然、地道なしかし社会に必須な労働の道を選ばず、派手でリッチなスターにあこがれるようになる。

 次世代の社会を築く人材を育てる大学でも、大学自体が企業化し利益主導型の経営を行うようになり,学生を集めるために若者たちの気持ちに迎合し、受験産業もそれに手を貸すことで、どの大学も同じようなイメージを売り込むようになる。教育産業にとって学生は利益をもたらす商品であり、有名教授や大学の設備は商品獲得のための手段となる。子供を立派な社会人に育てるために親たちは収入の大半を教育費に注ぎ込む。経済的余裕のない家庭の子女は良い大学に入れなくなり、個性が強く画一的受験勉強について行けないユニークな子供たちは脱落し、社会の下隅に生きざるを得なくなる。

 お金持ちや主導的地位になれなかった大半の人々は、生活の中で、わずかばかりの可処分所得を使ってレジャーや商品の購買に生きる意味を見いだすことになる。狭い住み家の中はモノであふれ、ひとつのレジャーに飽きると別のレジャーに移って行く。こうして「消費こそがわが命」という実存が形成されるのである。

 いろいろな家電製品を買いそろえ、ホームシアターがあってクルマがあり、インターネットが使える便利なマイホームに住んで海外旅行を何度も楽しんでいる人々がその精神の深層で、ほんとうに自分の人生の意味を納得しているのかどうか、私には疑わしく思えて仕方ない。しかもそうした消費生活はその足下から崩壊する危険がつねにあるのだから。

 おそらくほとんどの人々は、本当に自分の能力を最大限発揮して社会に貢献できたと実感したときに、自分の存在意義と人生の意味を本当に納得できるのではないだろうか。その能力は様々であって、どれが質が高く高価な労働力でどれが安い労働なのかなどということと無関係に、すべて等しく社会にとって必要な労働のある部分を担ったということであろう。本来,労働の質の差が収入の差になるということなどないはずである。例えば、ゴミ収集の仕事や道路補修の仕事をしている人々の労働が、ヘッジファンドで巨額のお金を右から左に売り買いすることで大もうけをしている人々に比べて労働の質が低いとはとうてい思えないのである。頭が良く才能がある人はそういう才能において社会に貢献する立場にあり、頭は普通で体も普通の人は普通の労働で社会に貢献する立場にあるといえるだろう。それぞれが自分の能力に応じて社会に必要な労働を分担し合い、ともに同等な存在意義を認め合うことで社会を維持して行くというのが本来の姿ではないのだろうか。

 単にモノを買うために必要な賃金の値上げや雇用の確保という要求だけで終わるのではなく、この社会に生まれ生きてきた意味を納得できるような、本来の人間としての実存的尊厳を認め合うことが可能な社会を取り戻すことこそが次の世代の目標となるべきなのではないだろうか。

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