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2008年7月13日 - 2008年7月19日

2008年7月19日 (土)

「ケインズ型資本主義社会」の登場まで(デザイン学のこれから6)

 19世紀中葉に、産業資本主義社会が、近代資本主義社会の「原型」としてイギリスで成立したのち、19世紀末から20世紀前半にかけてその矛盾を国際化していった。それは不安と崩壊観に満ちた世紀末芸術や、古い芸術の殻から根け出そうとするアールヌーボーが台頭した時代であるとともに、経済恐慌の深刻化と植民地再争奪戦の激化(最初の植民地争奪戦は資本の原始蓄積期といわれる15~16世紀だった)で象徴される時代である。

 19世紀の産業資本主義社会では、商品市場での競争に打ち勝つため、相対的剰余価値の増大を目指して導入される機械設備などの不変資本部分が、労働力という可変資本部分に比べて大きな比率を占めるようになる。その結果、商品の価値は低下し、価値の源泉である労働者の数が減少するため、利潤率(投入した資本価値に対する利潤の率)が減少する傾向が生じる。それを回避するためには商品の販売量を拡大するしかない。そこで、好況期には労働力を増やすことでそれを達成しようとするが、労働賃金が高騰することによりそれも壁にぶつかる。やがて個々の資本家が生み出す価値の量が減り始め、資本を圧迫し資本の過剰状態が始まる。これが経済恐慌を発生させ、倉庫に商品が山のようにあるにもかかわらず、労働者は解雇され、これらの商品を買うこともできずに路頭に迷うという状況がやってくる。

 産業資本主義時代にはこの経済恐慌が周期的に訪れていた。しかし19世紀末になると、それが長期化し、国境を越えて他国にも大きな影響を与え始めた。その中で個々の産業資本家を横つなぎに傘下に収める銀行などの金融資本が莫大な資本を蓄積し始め、資本そのものの調達方法も株式などによる個人財産の利用という方法が拡大した。金融資本主義と言われる段階の到来である。その一方で、後発の資本主義国をも巻き込んで、過剰となった資本の輸出による市場の拡大、安い労働力や原料の調達などの目的で海外植民地の争奪戦が始まり、国際紛争が激化し、やがて第一次世界大戦が勃発した。

 この大戦はヨーロッパ社会の激変を促した。ドイツを中心とした新興資本主義国が壊滅的打撃を受けただけでなく、イギリスなどの先進資本主義国も困難な状況に立たされ、アメリカという新たな新興資本主義国がそれらに取って代わろうとしていた。その一方で最も遅れて資本主義化しはじめたロシアでは、革命が起き、レーニンらの指導する非資本主義体制の社会が生み出され、マルクスらが考えていたような共産主義的社会の実現を目指そうと模索していた。古いヨーロッパは死に、新しいヨーロッパを生み出そうとする気が充ちていた。バウハウス運動もそのような雰囲気の中で登場したのである。

 戦後一時期は、戦争賠償や戦後復興などによる資本の環流で戦勝国、特にアメリカの経済は(第一次世界大戦中からすでに)活況を呈し、相対的安定期と呼ばれる時代が訪れる。アメリカでは第2次産業革命と呼ばれる電機産業と自動車産業を中心とした資本主義がエジソンやベルなどによる電器製品や通信機器の開発、フォードTモデルなどに象徴されるモータリゼーションを中心として消費社会の原型となる社会形態を生み出して行った。ドイツではワイマール憲法のもとで民主的な政治が目指され、さまざまな芸術運動や新しい生活への動きが始まっていた。ロシアでは革命後の一時期ロシアン・アヴァンギャルドといわれる前衛的な芸術家や構成主義などの新しいデザイン運動が起きるが、1920年代後半スターリンが実権を握った後にはこれらはすべてブルジョア思想であるとして弾圧され、ふるい民族主義的芸術や「社会主義リアリズム」と呼ばれるイデオロギー主義的文化が支配的となって行った。その中で、戦時経済体制に基礎を置く非資本主義国家統制経済体制の中で、5カ年計画という形での「社会主義的」計画経済も実施され始めた。

 そのような中で1929年秋に、ニューヨーク・ウォール街の株価暴落が起きた。このころアメリカ資本の影響が大きくなっていた世界資本主義体制はそれぞれの国での特有な形態で発展しながら、すでに全面的に金融資本主義段階に入っており、そのような状況で流動過剰資本の実質価値が突然崩壊し、金融恐慌という形で経済活動は全面的に停滞し、失業者が街に溢れ出し、労働運動が激化した(チャップリンのモダンタイムスを思い出してほしい)。その影響は1930年代前半には世界中に拡大し、いわゆる世界恐慌という事態を招いたのである。このときスターリンの指導するソ連指導部は「まもなくわれわれ側が勝つであろう」と考えたのはまんざら誇張ではなかったかもしれないのである。

 この資本主義陣営の苦境にあって、当時のアメリカ大統領フーバーは、成すすべもなく、F. ルーズベルトに大統領の座を渡した。F. ルーズベルトは大統領に就任するやいなやニューディール政策という、ダム建設や道路建設など公共投資政策を打ち出し、そこに失業労働者を吸収するという政策をとることでこの難局の打開を図った。その政策の理論的基礎を支えたのは、イギリスの経済学者ケインズの提唱する「一般理論」であった(これについては後述する)。ちょうどヨーロッパではドイツやイタリアで新民族主義(ファシズム)が台頭し、日本も遅れてこれに追従しようとしていた時期であり、バウハウスはナチスの弾圧によって崩壊し、一方で芽を出し始めていたアメリカ型の消費社会が新たな展開を見せ始め、バウハウスとは無関係にインダストリアル・デザイナーという職能が登場し始めた時期である。

 その後第2次世界大戦の惨禍がヨーロッパや極東に壊滅的打撃を与え、軍需産業による過剰資本の処理が梃子となって、戦後アメリカがドルを基軸として世界経済の主導権を握るとともに、いわゆるケインズ型資本主義社会が花開くことになったのである。

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2008年7月18日 (金)

自立した商品経済社会の論理(デザイン学のこれから5)

 人工物の価値はそれを生み出すのに要した社会的平均的労働時間で表されることはすでに述べた。労働をした側から見れば、それは社会全体で必要な労働のどれだけを分担したかを表現しているものでもあり、そこでは労働の内容こそ異なれ、その質が問題にされることはない。それは自分ができる労働内容で社会的に必要な労働の一部として貢献したことを意味している。

 しかし価値は商品の交換という場においてしか表れない。ある社会が完全な自給自足社会であればその社会の成員は必要なものを分担し合って作り出しそれを全員に分配して消費すればよいことになるので商品の交換という場面はないといえる。しかしある程度ものを作り出す能力(生産力)が向上した社会では、ある部門での生産物が余り、他の部門での生産物がたりないという事態が生じる。そして他の社会との接触で足りないものと余ったものを交換し合い必要な生活資料を補い合う様になることは自然な流れだっただろう。そこにマルクスによる「資本論」の最初の部分に描かれているような商品交換という事態が生じるのである。そこでは偶然互いに交換が成立した商品所有者間で相対的価値形態と等価形態という価値の相補的な性質が表れ、やがて必然的に等価形態が、どのような商品所有者に対しても交換が成り立ちうる(つまり物々交換のような偶然性を克服した)抽象的な第3の価値表示商品として自立し、貨幣が誕生する。

 こうして貨幣を媒介とする商品経済が人類史に現れるのであるが、経済学者の宇野弘蔵によれば、資本主義社会が登場する以前の段階では商品経済社会は社会の一部で発展してきたが、近代資本主義社会(産業資本主義段階の社会)になって初めて社会全体が商品経済社会(自立した商品経済社会)になったといえるようである。

 産業資本主義社会の特徴は、社会的に必要なさまざまな労働を行う労働者の労働力をも商品として扱うまでに徹底した商品経済社会であるということであって、これが社会全体を商品経済社会にすることができた根拠であるとされている。労働力商品の価値は、労働者がその日の労働で支出した自分の生命力を再び翌日の労働のための労働力として養なうために必要な生活資料(商品)の価値で表される。労働そのものは価値を形成する実体ではあるが、価値ではない。価値が価値を生み出すことはできないのだから。つまり、価値を生み出す源である人間の労働力が人工物の価値として扱われるという矛盾(言い換えればモノを生み出す人間がモノとして扱われること)によって初めて成立した社会が資本主義社会なのである。

 この社会では、生産手段の所有者(産業資本家)が、原料と労働力を購入し、それらを生産過程で合体させることによって商品を作り出す。労働力を生産手段の所有者に売り渡した労働者は、その労働力を日々養うのに必要な生活資料の価値にふさわしい労働賃金を受け取る。しかしかれらは実際の労働の場においては、彼ら自身が必要とする生活資料の価値(つまり労働賃金に見合った価値)をはるかに超えた価値量を生み出さされる。その剰余労働は剰余価値を形成し、剰余価値を含んだ商品が市場に投入されることによって、生産手段の所有者は利潤を得る。一方労働者の側から見れば、彼らが生きるために必要とする生活資料商品もどこかで同じ様な立場の労働者によって作り出されたモノである。社会全体として見れば、労働者たちは自らの手で生み出したものをその労働によって得た賃金で再び買い戻すことによって生活しているのである。だから彼らの手元には何ら剰余価値の成果は残らないのである。こうして「商品売買の自由」という名の下に、生産手段や原料を所有する人々と、労働力しか売りに出せるものを持たない人々が絶えず生み出されることで成り立つ商品経済社会が自立したのである。

 この社会では、すべての生活資料が商品として生産され、それらの商品の本来の有用性(いわゆる使用価値)は、商品が売れることによってもたらされる利潤を得るという目的のための「手段」としてしか見なされないようになった。産業資本家の立場からすればいかにして利潤の基礎となる剰余価値を増大させるかが目的となり、そのためにできるだけ短い時間で多くの商品を生み出すための生産手段の仕組みを考える、労働者の労働時間が同じであっても相対的に剰余価値部分が増大することになるからである。そのため生産過程の機械化や分業化が進み、社会全体の生産力は著しく向上したが、労働者の生活は決してそれに見合っただけ向上はしないのである。

 このような産業資本主義社会はマルクスが存命中の19世紀後半のイギリスにおいて典型的な形で現れたのである。時まさにウイリアム・モリスがアーツアンドクラフツ運動を起こす直前の時期である。しかし、わがインダストリアル・デザイナーが登場するのはこのような古典的な産業資本主義の時代よりもはるかに後の20世紀中葉のアメリカ社会である。次にその後、インダストリアル・デザイナーを生み出すことになった、新たな資本主義社会の発展を見よう。

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2008年7月17日 (木)

犬家族の死

 10年間家族同然に生活を供にしてきた我が家の犬が今日死んだ。数日前から熱中症の様に呼吸が荒くなり、ふらふらになるという症状が表れ、獣医に連れて行ったところ、肝臓と脾臓に異常があるということが分かり、場合によっては手術が必要かもしれないと告げられた。しかし家に帰ってくるとまた元気を取り戻してえさを食べ、水もよく飲んでいたので、少し安心していた。ここ数年とみに暑さに弱くなった様に感じられたのはやはり体の深部に病気が進行していたのだろう。そして今朝また状態が急変したのである。だんだん荒くなって行く呼吸がやがて浅くなり口を開けたまま、呼吸が止まってしまった。そしてその直後首を何度も突っ張る様な激しいけいれんが襲い、それが終わると足を伸ばしきって静かになった。あっけない最期であった。むき出しの犬歯だけが彼の死との闘いの跡を留めていた。家族を一人失ったような悲しさでみな泣いた。

 目のきれいな犬だった。少しの間留守をしていて帰宅するとまるで何十年も会ってなかったかのように「キューキュー」と歓声を上げてシッポをちぎれんばかりに振って再会を喜んでくれた。そしてこちらが彼に向かって何か喋ると、その言葉を理解しようとするかのように一生懸命耳を立て私の目を見つめてくれた。それだけで十分だった。彼はどんなときにも言い訳や嘘を言うこともなく、その目はただひたすら飼い主を信じきっていた。そうなるとこちらもその信じる目に応えねばならないという気持ちになるから不思議である。それは小さい子供の目によく似ていた。

 真夏の空は明るく晴れ上がっている。もう梅雨明けなのかもしれない。南風に乗って流れてくる真っ白い夏雲も、ゆったりと悠久の青空を巡航してゆく。もう再び目を見開かないであろうわが犬家族の横たわる姿は間もなくこの青い大きな空の彼方へ去って行くだろう。何事もなかったように。

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