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2008年8月10日 - 2008年8月16日

2008年8月15日 (金)

創造的デザインとは?(デザイン学のこれから11)

 前回ではデザイン行為の創造性について考えたが、では具体的にどんなデザインが創造的といえるのだろうか?創造的なデザインとは新しい使用の形を生み出したデザインであるといえるが、この中にはいくつかのタイプがある。

 まずA Typeとして例えば、真空管式テレビに代わって半導体によるテレビが初めて登場したとき、それは持ち運びができるテレビという新たな使用の形を生み出した。また、デジタルカメラが登場したとき、フィルムを現像に出すことなくメモリーに保存してパソコンで直接見たり、メールの添付書類で送るという新しい使用の形を生み出した。これらは単にインダストリアル・デザイナーの仕事だけではなく、それ以前にさまざまな技術者や科学者による技術革新の積み重ねがあって、それらの総合的合成結果として最後にデザイナーがそれを使用の形にしたのである。

 これらと異なるB Typeでは例えば、ゼム・クリップやウエット・ティッシューなどがある。これらは従来からある素材をそれまで気づかなかった使用の形に作り上げた例である。前者は一本の針金を長円螺旋状に曲げることでスプリング効果を得、それに紙をクリップするという機能を与えた。後者は小さな引き出し口から破れにくい素材でできたウエット・ティッシューを引っ張りだす仕組みにより、ウエット・ティッシューを一枚ずつ取り出しやすくすると同時に長期間湿ったティッシューを容器に保存しておけるという新たな使用の形を生み出した。これらの場合は科学者や技術者の研究成果があまり関係しておらず、むしろデザイナー(あるいは生活者自身)の発想が中心であるといってよいであろう。

 A Typeは多くの人々の膨大な基礎研究や要素技術開発の努力がまずあって、それらを、人々の要求や願望に結びつけることによってひとつの新しい使用の形として実現させた例であり、B Typeはそれまで気づかなかった視点(着眼点)ですでにあるモノや素材を見直すことであらたな使用の形を発掘した例である。(このようなType分けはほかにもあるかもしれない)

 A Type, B Typeという分け方を横軸とすれば、縦軸として生産用具と生活用具という分類があるだろう。上述した例は生活用具の例であるが、生産用具でA TypeとしてはNC工作機や製造ロボットなど枚挙にいとまがない。しかし生産用具でB Typeは意外と少ないといえる。強いて言えば、トヨタの「カイゼン」のような現場の労働者の知恵が生産方式や用具の改良を生み出した例がそれにあたるかもしれない。

 これらを通じて言えることは、A Typeの創造性は、巨大な資本による研究開発費や企業組織がなければ不可能な創造性であり、B Typeはそうでなく生活の知恵的なあるいは草の根的な創造性といえるということである。現代の社会ではA Typeが圧倒的に強い力を持っており、B Typeは少数派といえるだろう。A TypeとB Typeのどちらが本当に創造的デザインかという議論はあまり生産的ではないといえる。どちらも「飛躍的」デザイン思考が必要であるが、強いて言えば、A Typeの場合は市場からの大きな圧力で突き動かされ組織化された企業体の総合的デザイン創造力であって、それらを担う個々の思考が合成されて初めて「飛躍的」デザイン創造が可能になったのであり、その意味では個別創造力はあまり「飛躍的」ではないとも考えられるが、B Typeはそれとは対称的に独立した個人の発想力によるデザイン創造力であり個人としての「飛躍的」思考に依存しているといえる。

 さてそこで次に問題なのは、従来からある生活用具や生産用具を実際に使いながら少しずつ改良して長期間にわたって完成度を高めてきたような場合、それは創造的デザインとは言えないのだろうか?

 J.C. Jonesの"Design Methods"やBryan Lawsonの"How Dwsigner Think"に取り上げられているイギリス・オックスフォード地方で昔から使われている荷馬車のデザインでは、多くのユーザが長年にわたってこの荷馬車を使いながら経験的に車軸のアライメントなどの改良を加えて行くことで完成度の高いモノに仕上げて行ったが、それはあくまで経験的に改良されてきたのであって、工学的根拠や知識があって初めてできたわけではない。民芸品や農具などにも見られるいわゆるアノニマス・デザインの典型例であり、結果として優れたデザインを生み出しているが、現代のデザインのように「飛躍」としての創造性が発揮されてはいない。

 おそらく「飛躍的」思考による創造性がかくも多く出現し、それが強調されるのは近代資本主義社会特有の現象であるといえるだろう。良きにつけ悪しきにつけ、こうした「飛躍的」思考による創造性は我々の生活を急速に変化させ、「便利」で「快適」にしてきたかも知れないが、それは同時に膨大な浪費と際限のない所有欲をも生み出してきたのである。この近代資本主義社会が登場する以前は、「新しい使用の形」を生み出すことは、徐々に、しかもあまり目立たぬうちになされてきたのであって、むしろそれが質の高いしかも安定した形での創造的デザインを実現してきたと考えられないだろうか。W. MorrisがArts and Crafts Movementで目指したものや、C. Alexanderが言う、伝統的な都市の持つ「錆」のようなデザインの味わいもそこから来ているかもしれない。

 これからのデザインは、むしろ市場の要請から来る浪費拡大への圧力による「飛躍的」創造性への期待の中でデザイン思考を働かせるよりも、「浪費の壁」にぶつかった現代資本主義社会において蓄積されてきた膨大な技術遺産をこれからの社会に、本来の意味でサステイナブルな形でどう生かして行けるのかを考えるべきであり、そこにこそ、これからのデザインの創造性は発揮されるべきなのではなかろうか。それは数は少なくとも磨き上げられた深い創造性でなければならないだろう。

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