« 消費主導社会における個人の実存 | トップページ | 政治や経済政策もデザインである »

2009年2月17日 (火)

オバマさんニューディールの2番煎じは不可ですよ

 日本では麻生政権が経済不況に何ら有効な手を打てない中、アメリカではオバマ新大統領が次々と精力的に不況克服対策を打ち出している。中川財務長官の酔っぱらいG7記者会見を見ても、どう見ても目前の危機に対する危機感が違うというのが正直な印象である。やはりアメリカの底力を感じるが、しかしオバマ大統領の打ち出した景気浮揚政策は果たしてかつての30年代大恐慌に対するニューディール政策の域をを脱しているだろうか?私にはそうは思えない。目前の世界経済危機はニューディールの2番煎じでは到底克服することの出来ない問題を孕んでいると思えるからだ。

 その意味は、オバマの政策は、現状の不況克服には、政府による巨額支援で金融システムの復活とGMなどのアメリカ産業を代表する大資本の存続を図ることで雇用を再生し、一般消費を拡大させ、従来の経済システムの修復を行おうとしているに過ぎないからである。確かにオバマ政策の中で、将来社会的に重要な産業となるであろう環境や資源関係の新産業を誕生・活性化させることで、そこに雇用を生み出そうとする考え方はある意味で正しいと思える。しかしたとえ環境・資源産業に新たな雇用が生み出されたとしても、それが再び従来のような過剰資本の運用による金融資本の拡大につながるならば、何年か先には必ずふたたびバブル状態とその破綻がやってくるであろう。

 ニューディール政策が第2次世界大戦によって初めてその有効性の基礎を築けたように、オバマ政策が軌道に乗るためには、労働市場の保護主義的閉鎖性や国ごとの経済状況と生活水準の格差を原動力とした低賃金労働による消費資料市場の拡大などが必然となるだろう。それはやがて各国間の経済状況の格差を拡大し、世界の働く人々が生み出す富の大半は特定の金融資本に流入し、そこに莫大な富の少数の個人への集中的私有化が生じ、その利害を代表する国家間で政治的対立を生み出し、やがては戦争の火種をつくる方向に向かうことになるかもしれないのである。

 いま必要なことは金融資本の際限ない拡大に対するブレーキを用意することと、社会的富の再配分を制度化することである。金融資本の拡大は投機の連鎖を生み出し、再びバブル状態を生み出すだろう。富の再配分は、いわれなき私有財産の既得権を持つ者にとっては「個人の権利の侵害」と映るかもしれないが、要するに、社会のために応分に働いた者には応分の社会的富が分配されなければならないという普遍的な原理である。

 いわゆる自由競争社会は一面で自由な競争で互いに切磋琢磨するという良い面を持つが、それも度を超すと市場での競争に勝つために、という至上命令のもとで、ただただ毎日働かされ、ストレスと過労で命を削られながら、不景気になると不要品のごとくに廃棄されてしまうという、今日の社会のような状況をもたらすのである。何のための競争なのか、よく考えてみると、それは資本の間での競争であって、それに負けると資本を所有する組織(企業など)が倒産し、そこに雇用されている従業員は失業するという状況があるために、懸命に企業のために働くことになる。しかし毎日額に汗して働く人々がその労働によって生み出す莫大な価値と富は彼らの手をすり抜けて資本に合体され、やがて金融資本が社会の富を一手に保持するようになり、働く人々はその金融資本の消長にみずからの人生を預けなければならなくなるのである。

 いまこそ誰のために働くのかをもう一度考え直そう!!社会のために働く人々がそれに相応しい富の配分を受けるのは当然のことである。その上前の大部分をさらって行き、莫大な富を私有化している人々に「個人の権利の侵害」などという権利はひとかけらもないはずである!!

 このような社会を目指して、いま社会で働く人々の生活を存続させ、生きるために必要な場所と生活資料はすべての人々がこれを要求する権利を持つという原則に帰るべきであろう。そのために莫大な富を不当に所有する人々やグループは応分の犠牲を払うべきであろう。そのような基本的枠組みを持った税制を行い、社会の共有財産を適切に社会構成員のために運用。還元できる政府が必要なのである。

 もちろんこのような政策は日本一国だけでは出来るわけがない。G7のような国際会議は各国資本や金融資本の利害代表ではなく、それぞれの国の社会基盤を支える働く人々の共通する利害を代表する形でそのような社会を生み出すための協調的機能を発揮すべきなのである。中国の農村出身の労働者が高度成長の下で低賃金で過酷な労働に置かれることで、中国製品の国際市場での競争力を強める一方で、日本の派遣労働者の賃金水準を間接的に引き下げているといった現実や、フランスで外国人労働者が自国の職場を奪っているなどという論争が起きているが、それらの国々で働く人々が置かれている状況は、ともにグローバル資本の搾取のもとに置かれているからこそ起こる事態であるということに気づくべきであろう。それぞれの国で働く人々は互いに敵対したり民族主義に走るのではなく、ともに手を結んで共通の敵と対峙するべきなのである。各国でそういう新しい可能性を持った政府を生み出すことが働く人々のいまやるべきことなのではないだろうか?マルクスの共産党宣言から160年以上もたったいま、再び「万国の労働者、団結せよ!」の旗印が蘇るべきなのではないか?

(ここでいうまでもないことだが、いまの北朝鮮や旧ポルポト政権などはマルクスの思想や理論とはまったく関係のない人々による支配形態である。こういう独裁的な国と「共産主義」を同じものとして結びつけようとするのは別の意図を持ったイデオロギーの人々による考え方であるから気をつけよう!)

 

|

« 消費主導社会における個人の実存 | トップページ | 政治や経済政策もデザインである »

経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/210651/44090980

この記事へのトラックバック一覧です: オバマさんニューディールの2番煎じは不可ですよ:

« 消費主導社会における個人の実存 | トップページ | 政治や経済政策もデザインである »