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2009年6月11日 (木)

地球を崩壊させながら進む「豊かな生活」への虚夢

 麻生首相は昨日、日本はCO2削減目標を2005年産出量を基準にして、2020年までに15%削減すると発表した。これは京都議定書で唱われた1990年値を基準にした場合、たったの8%である。単に削減比率を大きく見せるためにこのような作為的な操作をしたのである。アメリカも同様であり、ヨーロッパも本音はあまり急いで削減したくないのであろう。

 削減量を余り増やせない理由として、産業界への負担が大きく、さらには国民に負担を強いることになるとの理由付けが行われている。マスコミもそれに一定の理解を示しているように見える。

 しかし、もう一度よく考えて見よう。そもそも20世紀の前半までの資本主義体制は、労働者の生活資料を必要最低現に抑え、蓄積する過剰資本を対外的な市場獲得競争や戦争によって処理してきた。それがソビエトを初めとする「社会主義圏」が登場し、1930年代の資本主義体制の危機の中でも着々とその勢力を拡大していく中で、労働運動の高揚を押さえ込む必要があったため、藁をもつかむようにケインズらの理論を取り込み、貨幣価値の国家管理や公共投資を行い、労働者の雇用と賃金の相対的上昇をはかり、それを生活資料商品の増産と販売促進によって資本側に再吸収させるメカニズムを作り上げてきたのであった。それによって、生活用品が市場にあふれ、それを買いあさることが、豊かな生活の象徴であるかのような幻想が定着化してきた。資本家にもらった賃金で生活資料商品を買うことで、貨幣の形で前貸しされた資本がふたたび生活資料商品を生産する資本家たちの手に回収されていることにも気づかずに。デザイナーもそういう状況で生活用品に「付加価値」を上乗せし、資本に巨額の利潤をもたらすことに貢献してきたのである。

 そしてその間、絶え間なく拡大させられる消費によって環境汚染や資源枯渇問題があらわになってきた。

 20世紀末に「社会主義圏」が崩壊し、資本主義体制の「一人勝ち」と見るや、再び「市場経済主導主義」(資本家のボキャブラリーでは「自由経済主義」ともいう)が幅をきかせるようになり、「グローバル化」した市場での資本同士の「自由な」つぶし合いが激化した。そして資本側の立場に立つ政府は、「国際競争力を付けるために」という名目で企業の合理化(つまり首切りと雇用の抑制)を黙認し、労働基準法の骨抜き化を公然と行ってきたのである。派遣労働者の悲劇はこうして起こるべくして起きたといえる。彼らは現代におけるルンペン・プロレタリアートである(これは軽蔑の意味では決してない)。

 今日では「自由経済主義」の当然の成り行きとして、巨額な信用と投資による「虚の資本」がふくらみ、それをうまく操ってぼろ儲けをした「富裕階級」とそのもとで、本来の意味での価値を営々と生産しつづけてきた労働者達が陥った悲惨な状況が表面化してきたのである。

 しかし、相変わらず、資本家階級代表の政府は、「景気浮揚のために消費を拡大する必要がある!」と叫び続けている。それによって環境汚染や資源の枯渇は急速に進み、われわれの地球は崩壊の危機に瀕しているというのに!

 資本家が競争に勝つための「負担」がそのまま労働者に犠牲を強いるという理不尽さ、そもそも不要なものまで買わせて儲けた挙げ句に、それがもたらした危機的状況の負担を労働者に押しつけようというのである。

 資本論第3巻においてマルクスが分析している、利潤率の傾向的低落の法則でも明らかなように、資本は利潤率の低落によって絶えず拡大再生産していかなければ成り立たなくなる運命にある。競争で負けた企業を買収し、より巨大化し、市場を獲得し続けなければ生き残れない。そのため、労働者は過重労働に追いやられ、生活時間は削減され、電気代を節約するためにという名目でエコ家電を買わされ、資本側はそれによって再び巨額の利潤を獲得し息を吹き返していく。そして労働者は労働力を搾取されるために高額な教育費を払い、子供もろくに生めないような厳しい生活の中で、働けなくなるまでこき使われ、年金もろくにもらえず、耐乏生活の中で介護からも見放されつつ死んでいく。

 これが「豊かな生活」のなれの果てなのである!

 だが、こんな社会に絶望して、インチキな宗教団体が声高に唱える「未来社会のデザイン」だの「愛と信による日本社会の復活」などという虚言に惑わされてはならない。彼らは結局、この機に乗じて資本家と結託してマインド・コントロールの支配者になりたいのである。

 われわれが望むべきは、社会のために協同して働くすべての人々が、社会的生産の主導権を持ち、必要なものを必要なだけ生産し、地球全体の自然のバランスを計画的に保ちながらそれぞれの役割を自覚し、それに相応しい生活を送れることではないのか?

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コメント

環境対応となると、すぐに産業を萎縮させないかぎりにおいて、とか持続可能性のあるとかいうセリフが登場する。環境屋からは、またかいなということになるが、大抵は汚染物質等の排出源から測定の発注を受ける関係で、測定件数とその売り上げが増えればいいかとなる。測定する技術者は様々だが、測定結果以上の報告はしない。どうすべきなどの見解は御法度。

だから、対策などは環境屋からはない。そういう種類の商品はない。買い手がいない。今回の麻生発言は、単なる様子見で、世界の反応がどっち向きなのか見るだけのもの。前回はブッシュが退いてくれたので、これ幸いの観だったが、オバマもそう強くは出ないと環境屋は読んでいる。でなければ、環境対策提案書の商売が突発的状況になっているはずだからである。そんな商売の発注は皆無なのだ。

さて、コメントでお邪魔をしておりますが、ご寛容の程、予め、申し上げて置きます。

資本主義生産様式の発展に応じて利潤率低下の法則が働く。従って少しでもその低下をくい止めるために、資本家がどう努力するかということになる。彼等は、当然ながら、工業デザイナーに次の事を云うだろう。(1)給料はカットする。(2)労働時間は長くする。(3)新たなデザイン機材は購入しない。(4)やる仕事は、商品の回転率を高めることだ。

そして、大抵は、市場より早く処分場に新製品が届く。処分場の管理者は嘆く。これが流行の最先端のデザインと市場で分かる頃は、処分場で拾うにはもう古過ぎるんだ。なんでも処分場に入る。管理者は、こんな魔法のような場所は本当に有難い。後でどうなるかっていうのさえ気にしなければの話だが。と苦笑する。

二酸化炭素を地中深く埋めるという。すごい穴だが、金のなる穴である間だけの話だ。

GMはデザイナーにこう言ったろう。政府の金がでてくりゃあんたの仕事は、誰でも出来る程度のもんだ。と。

野口さんの書く最後の4行がまぶしい。そこに行き着いてみたい。

投稿: mizz | 2009年6月12日 (金) 22時59分

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