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2009年7月23日 (木)

希望よ死ぬな!

 今朝の朝日新聞のコラム、森巣博の弁はなかなか面白かった。世界中でバクチを打ちながら、もの書きをしているという現代版無頼派作家の森巣氏はおそらく全共闘世代と思われる。昨今の自公政権崩壊の状況に臨んで、若者が自殺や無差別殺人やテロに向かう絶望と怒りのパワーを、選挙での投票に向けるべきだという主張である。私も基本的にはこの意見に賛成である。

 ここで重要なのは投票の結果、民主党中心の政権ができたとしても、おそらくはこの重篤な社会の病は治らないだろうということである。民主党の主張は自民公明の一部の連中とさほど変わりはないからである。民主党に投票したからといって、決して民主党のマニフェストに全面賛成したからではない場合が多いであろう。それでもやはりとりあえず、自公政権のこれまでやってきたことを許すわけにはいかない。決して許さない。そういう思いである。まずは反対の意思表明が必要なのだ。おそらく次の衆議院選挙で勝つであろう民主党はそのことを肝に銘ずべきであろう。

 すべては反対の意思表明で始まる。それは絶望と自暴自棄から再び起き上がるための第一歩なのである。次に必要なことは、自らが陥っている絶望の原因を冷静に見据えることである。ただ怒っているだけではだめである。もしかすると自分が目指していた「幸福」のイメージが、社会常識という既成概念の枠の中での幻想だったかもしれないということ。その社会常識の土台となっている社会の仕組みを疑うこともなく信じていた自分が間違いだったかもしれない。その「幸福」が幻想に過ぎなかったことが分かってきたとき、それを目指していた自分が挫折し、希望を見失ってしまったこと自体が、実は幻想からの覚醒の一歩だったのかもしれないと気づくのではないだろうか?

 そこからが、本当の意味で自分との闘いであり、既成概念との闘いであり、社会常識との闘いでもあり、孤独への道であると同時に、その孤独を通じて初めて可能となる、借り物ではない本物の、内面からの、そして同時に客観的で伝達可能な希望の芽が得られるのではないだろうか?

 その孤独と苦しみを通じて共感できる「客観的で伝達可能な思想」が築かれなければ、世の中は良くならないと思う。もしかするとその苦しみは自殺や無差別殺人に走る絶望や怒りよりはるかにつらいものかもしれない。しかし、この絶望感に充ちた世代に生を与えられたわれわれとしては、生きる意味はそこにしかないのではないだろうか?

 全共闘時代とともに歩んできた私の周りには、一時の高揚した反既成概念の運動の中で得た希望の芽を失い、孤独感に押しつぶされていつのまにか既成概念の担い手になっていった多くの友人が居る。かくいう私自身も孤独感に押しつぶされてきた一人である。しかし、人生の残りが少なくなってきたいま、思うことは、「連帯を求めて孤立を恐れず」は真実だと思うし、そこにこそ、この閉塞した絶望世代の希望への道があるのだと思う。

 森巣氏も賭博に打ち込みながら、絶望からの孤独な内面の闘いに生きてきたのであろう。かれは決して希望を捨ててはいないと感じた。

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