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2009年8月24日 (月)

夏の終わりに

 緑の生い茂った庭の木々に、暑さや毛虫のせいで枯れ葉が目立つようになった。

2〜3日前までの蒸し風呂のような暑さは少し和らぎ、朝晩は涼しくなってきた。蝉の声もアブラゼミからツクツクホウシへと変わってきた。あとひと月ほどで蝉の声も聞こえなくなり夏は終わるだろう。

 若かったとき、私はこの時期が嫌いだった。夏休みがもうすぐ終わってしまうということもあったが、それよりも夏の間にやっておこうと思ったことが少しも進まず、夏が終わってしまいそうになることがいやだった。

 年を取ったいまでもこの思いはあまり変わらない。これから何かやれそうなときにはワクワクとした期待感があり、楽しいが、なにもやれずに鬱々として時が過ぎてゆくことほどいやなものはない。

 夜中に目覚めたとき、いろいろなことが頭に浮かび、昼間考えもしなかったことが思いの淵に浮かんでくることがある。次から次へと思いは巡り、やがて夜が白々と明けてくる。窓の外で小鳥の声が聞こえ始める頃になるとその思いはまるで映画のラストシーンのようにフェードアウトして行くのである。

 そしてその後に再び睡魔が襲ってきて深い眠りについてしまう。やがて暑さで目が覚めると、もう7時半を回っている、という具合である。何ともすっきりしない目覚めである。

 つい最近まで、自分の肉体的・精神的老いに必至で抵抗し、まだやり残したことが山ほどある、これを何とかせねば死ぬにも死ねない、と焦っていた。しかしいまはもうあまり抵抗をしても仕方がないと思うようになってきた。どうせやるべきことをやって死ぬなどということはできないのだ、中途半端で終わるのが自分の運命なのだと半ばあきらめの境地になってきた。

 暑かった夏の疲れがこうした思いにさせているのかもしれないが、やはり年々思考力や記憶力が衰えてきた。目も悪くなってパソコンを操作したり本を読むのが非常に疲れる。「枯れ葉マーク」には枯れ葉同然のことしかできなくなっているのだ。その厳正なる事実を知らねばならぬ。

 若い世代の人達との世代ギャップもますます大きくなり、私の考えていることなどは多分まったく通じない世になるのだろうと悲観的になることもある。

 しかし、そうはいっても私にはまだ残りの人生がある。肉体・精神ともに衰えたといえどもいまだ一個の人間として生きている。生命観あふれる人生の夏を逸してしまった悔しさはあるが、これも人生。蕭々として秋から冬へと進まざるを得ないのだ。

 おそらくこれからは一層、一日一日を大切に生きねばならないのだろうと思う。

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コメント

秋になりました。枯葉シーズンです。比例復活という枯葉もある季節です。それとは別に、なんとしても、枯葉ぶりを発揮するには最適ではありませんか。風とやらも、しっかりと舞を後押しするでしょう。

さて、民主党政権が実現となりました。当然ながら、自民政権とは多少なりとも違った場面が見られそうです。それも、民意に近い形で。

先ず第一は、自民の景気回復が、庶民の懐を豊かにするという論法を、民主は、庶民の懐に手当てすることで、景気は回復すると言ったことです。経済成長が失業を産む構造、資本論の骨格に数ミリは迫った観、多少は動いたかなと思わせてくれます。

自民が、景気政策を後退させれば、企業が潰れ、生活はより厳しいものになり、派遣法改正とか最低賃金を1000円にすれば、中小企業は壊滅し、多くの企業は海外に逃げると脅しても、そして日本の将来の展望の基本であるべき企業の成長が見えてこないと、日本自体が壊滅すると揺すっても、民主は、見事に反論します。日本の将来が、低賃金を強いることで見えてくるでしょうか。我々はそんな日本は少しも望んでいません。安い賃金を求めて海外に行くですって。いつでも海外に出て行ったんではないでしたっけ。展望も脅しももう沢山でしょう。

資本論には、地域経済と自由貿易の論戦が沢山登場します。いつも自由貿易の勝ちです。でも資本論も自由貿易常勝の先を明解に示しています。資本自体の崩壊があると。自民の崩壊が先行したところでしょう。

第二は、日米同盟です。対等が明示されています。自民は対米追従、民主は対等と大きく異なります。ただ対等といっても、内容はこれからですが、まずはインド洋からの撤退です。社民代表が外務大臣という読みはありませんが、それも全体には含まれると見れば、はっきりしてきます。思いやりに手がつくかどうかは微妙ですが、米国が、ひっきりなしに民主首脳陣に対話を求めた理由が分かります。民主が緩む点もここにあります。核はともかく思いやりは別と。それだけ、沖縄拠点は、中東戦略、世界戦略の要なのです。アフガン対応も沖縄なしでは、アメリカは考えられないのです。ここはアメリカにしっかりと世界の将来を考えさせましょう。それが緩めば、民主の要が問われます。

八ツ場ダム撤退に、町長は、地元の建設業界の困惑を述べて、自民と契約したんじゃない、国と契約したんだと不満のようす。でも、町民の生活の心配は出てきません。民主は、予算はそこにではなく、他に使うのだから、全体としての支出は変わらない。部分的な問題には細かく対応する。そもそもダムで儲ける人々はごく僅かでしょう。とお見事。労働者は、安い労働力を売るだけで、儲けはない。他に仕事があれば、それでいい。跡かたずけの仕事が相当あるはず。

夏が終り、秋になったが、興味尽きない新政権の仕事ぶりを沢山見たい。海外で儲けた大企業のストックはすでにGDPの2倍を越えているが、この金の困惑が目に見えてきたようだ。黄金の秋というからね。

ちょっと云わせてもらいました。

投稿: mizz | 2009年9月 4日 (金) 11時13分

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