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2009年10月26日 (月)

生きるということ

 このところ身体的にも精神的にも疲れていて、ブログを休んでいた。しかしその間にも世の中は少しずつ変わりつつあるようだ。それぞれの人が自分自身の生活をこれまでと同じように過ごし、面白いことがあればそれに興味を示し、理不尽なことがあればそれに怒りを感じ、そして好きになった人がいれば年がら年中その人のことばかり考え、恋に破れれば、世の中のすべてが自分に味方してくれないような気持ちになって絶望し、たまたま良いことがあれば「やった」と有頂天になり、そしていつものように晩飯を食って風呂に入って寝る。

 つまりはこれが生きることなのだ、多分。

 何か事を成し遂げようとする人も、惰性で生きているような人も、結局はそうなんだ、きっと。

 時間はこうして過ぎて行き、やがて「これでおしまい」というときが来る。

かっこよく言えば、人々はつねに「現在」を生きている。いろいろ将来の夢や希望を描いたり、過去の思い出に浸ったりすることもあるが、結局は現在という時間をあれこれ日常的に生きているのだ。

 人生の終わりが近づいてきた人に「希望を抱いて生きよ」などといっても「先がない俺にそんなこと言っても無理」と言われるかも知れない。

 しかし現在を生きるということは、あれこれ日常的に生きるだけなのだろうか?

 私はいまそのことを考えている。これはどうどう巡りの自己撞着的思考かもしれないが、多分、あれこれ日常的に生きるということは、それ以上の何かを含んでいるに違いないと、何となく思っている。

 例えば、鳩山首相のような人はすばらしい学歴もあり、家柄も良く、頂点に立つ政治家として誇りを持って毎日世の中のために分刻みの超多忙な日々を送っていることだろう。そして一方、世の中から見捨てられ、あるいは世の中を見限ったホームレスのような人は、有り余る時間の中で、日々残飯をあさりながらも、道ばたに咲いた花を見て「美しい」と感じ、何時間もそれを眺め続けることもあるだろう。

 どちらもそれぞれの日常を生きているのだ。そこにはどちらも人間として生きるという意味の何かがあり、それを否定することはだれにもできない。

 日々生きるというという「現在」(私はこれを「実存」と呼んでいる)が示すその日常の意識はその背後に、気づくと気づかないとに拘わらず、社会関係とその歴史的成り立ちの深い過去をはらんでいるのだ。そして笑ったり怒ったり、飯を食ったり風呂に入ったりする自分の日々の現在が、実は過去の歴史の深い闇を背負った現在という時間そのものであることに気づかされることがある。

 時間には物理的時間とこのような実存的時間があり、それは互いに関係しながら意味のことなる時間を成している。物理的時間がなければ実存的時間はありえない。しかし実存的時間は物理的時間を超えることができる。それが「未来」である。

 他の動物たちと異なり、人間だけが、自分自身の人生の限界を越えた未来を想定することが出来る。自分が死んだ後のことを考えても自分にとっては何の意味もない。しかし人間は、死を間近に控えても、未来を思うことができるのだ。それがその人の実存を支える「希望」になりうるのだ。

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コメント

遅ればせながら、元気づけてあげます。とはいっても、極めて間接的な方法なので、効き目の程はあまりないかもですが、そこは考えようです。

人間とは違って、資本が生き延びるのはものすごく大変なことです。貨幣が資本に生まれ変わった途端に、大きくなるか、死を迎えます。大きく成り損ねると死ですし、そこに進化も将来も予めなにもないのです。ただ大きくなって生き延びるか死です。例え大きくなって生き残ったかの様にみえても、いずれは死にます。再生とか子孫を残すとか、未来を想像することはできないのです。それに、自分では何一つできはしないのです。資本家の手を借りるしかないのです。

資本論第二章の冒頭に、当たり前のことだが、商品は自分で市場には行けない。持ち主に連れて行ってもらうしかない。と書いてありますが、資本はもっと厳粛に、わずかな持ち主に頼るしかなく、死もまた、所有者の死とともに、社会的な持ち主の消滅とともに、永遠に死にます。

人間は、様々なものを残して、将来の人間と共有していくことができます。遺伝子でも、文化でも、なんでも。資本はなにも残さない。自然の中においては、生きられないし、自然ではないからです。人間はまさに自然そのものです。

効果ありましたか。まあ、お笑い程度において。

投稿: mizz | 2009年11月 4日 (水) 21時42分

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