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2009年5月24日 - 2009年5月30日

2009年5月29日 (金)

GMとUAW

Mizzさん、コメントありがとうございます。

 私の書いた、デザイナーの存在意義については、実際に企業のデザイナーがそういうことに気づいてくれるかどうかは、その置かれた状況によってまったく様々なのだと思います。

 ご指摘のGMとUAW(全米自動車労組)との関係は」、おっしゃる通り私も興味あるところですが、おそらくUAWは世界の労働者階級の中でもっともリッチな人たちであって、言うなれば「労働貴族」に属する人たちではないかと思います。彼らの多くはGMの株主になっており、GMの経営に大きな発言権を持っているわけですが、これは自分たちが歴史的な使命を持った労働者階級の一員というよりも、むしろ私的な財産権の擁護という立場で経営者との協定を結んでいる人たちと考える方が妥当かもしれません。つまり私有財産の擁護という意味で自分たちを資本家と近い立場で考えているのではないかと思います。

 これはアメリカに限らず、日本や西欧諸国の労働組合がほとんどそうであるように、生産手段を共有化し、他の業種や他の国々の労働者と団結をして、全世界規模で資本家階級に取って代わる力を獲得するという自覚的立場とは異なり、自分の私的財産を護るという立場であるように思えます。

 UAWに本当の意味での労働者階級の自覚を持てといっても、いまの状態ではとても無理だと思います。困難な道筋ではあるけれど、やはり少なくともマルクスの「資本論」には目を通し、自分たちの歴史的使命を自覚した上で、経営者たる資本家と対峙することが必要だと思います。

 自分たちの実存そのものを変えていくことなしに、賃上げ要求や生活権の要求を繰り返してみても、結局はせいぜい「ミニ資本家」的実存の域を出ないのではないでしょうか?労働者も努力すれば資本家になれる世の中ですから、労働者の理想は資本家になることであっても不思議はありません。しかしそれを繰り返していても決して、資本主義社会の矛盾は解決されないはずです。すべての労働者が資本家になるなんていうことは自己矛盾であるわけで、搾取する対象である労働者階級がいない資本主義社会なんてありえないわけですから。

 GMのデザイナーもUAWに所属しているかもしれません。しかし「多分)デザイナーは他の分業形態の労働者達に比べて、やや異なる意識を持っているのではないでしょうか?つまり組合組織に入らなくとも、その気になれば他の企業に移籍できるし、いざとなれば自営でデザインオフィスを開業できるのですから。

 その点日本の自動車会社のデザイナーは、もう少し企業よりの考え方(親方日の丸的)かもしれませんね。トヨタやホンダのデザイナーは会社あってのデザイン業務でしょうから、会社と一体化した意識が強いのではないでしょうか?

 そしてさらに悪いのは、国ごとのナショナリズム(各国の資本家はこれを最大限利用しようとします)や競争意識があって国境を越えた団結などからはほど遠い状態だと思います。貧しい農村から職を求めて都会に出てきて低賃金労働に甘んじている後進資本主義国(中国も含む)の労働者たちが日本の労働者の賃金を押し下げている、という意識でしか見ていないような気がします。しかし実はもっとも多く価値を生み出しているのは(つまりもっとも多く剰余価値を資本家に提供しているのは)そういう国々の労働者であり、そういう国々の労働者の生み出した価値が国際的な資本の流通を通してわが国の資本家たちをも潤しているのであり、われわれは相対的に高賃金に甘んじていられるのではないでしょうか?

 「グローバル市場に乗り遅れないように」というかけ声で過重労働に甘んじさせられ、「もっと付加価値を持つ商品を」というかけ声で、本来必要もない奢侈品的商品のデザインを絞り出さされたり、「サービス産業こそわが国を救う」などというかけ声で価値を生まない労働に励まされ、資本家どうしの過剰資本の移動に手を貸したりしているということに気づいたとき、われわれはいったい誰のために競争させられ、誰のためにデザイン能力を搾り取られているのかが認識できるようになってくるのだと思います。おそらく、働いても働いてももっと厳しい社会経済状況が到来し、わが国の労働者も相対的に高賃金でいられなくなってきたとき、そして自分の財産権や生活権を確保できなくなってきてはじめて労働者間の団結の必要性が現実問題となり、過酷な労働条件に置かれた後進資本主義国の労働者と手を結ぶ必要性が認識されるようになるのではないでしょうか?

 資本家階級にとっては、労働者の賃上げ要求よりも、そのような状況が来ることの方が恐ろしいのだと思います。「労働の自由化」という旗印の下で、労働基準法は無力化され、労働者階級も正規雇用の労働者と非正規雇用労働者という形で分断され、労働者間の格差を生み出すことで両者の対立を助長し団結させないような力が働いているようです。いまのところ、残念ながら資本と賃労働の関係が崩壊するような兆しは見えません。しかし、やがていつかはそういう日が来ると思います。

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2009年5月26日 (火)

デザイナーの個性について

'no author name'さん、コメントありがとうございます。ご指摘の通りだと思います。

 デザイナーが自分の仕事で個性を発揮できると勘違いするのは、いまの社会で他の仕事があまりにも個性を否定するものだからかもしれません。いまの若い人たちは仕事で個性を発揮できないから、個人的生活で趣味の世界やゲームなどにそのはけ口を求めているのだと思います。デザイナーになれば仕事で自分のやりたいことができると思い込んでいること自体間違っているのですが、デザイン学校などでは、それができるような宣伝をして学生を募集するので若者達は多分欺されているのだと思います。しかも、デザイナーが「個性」と思い込んでいるものは、実は意図的に作り出されたイメージに過ぎず、デザイナーという職能が使命として持っている、商品の販売促進に寄与するために、商品のバリエーションを増やし、買い手の購買欲をそそることが「個性の発揮」の内幕なのだと思います。

 そしてその買い手の側も実は、「消費者」というレッテルを貼られた労働者自身であるわけで、生産の場から個性を剥奪された労働者が、自分と同じような他の大勢の労働者が製造に関わった商品を「買う」(実は労働力の再生産のために資本家から前貸しされた貨幣を生活用品と引き替えに資本家に返しているに過ぎないのですが)という場面で、商品の選択という形でしか「個性」を発揮できないようにされているのです。この生活用品の商品市場での回転を良くするために、「魅力あるデザイン」が必要とされ、これによって本来要らないものまで買わされて、消費拡大に貢献させられているわけです。さらに最近では「エコ商品」などといううたい文句で新たな商品を買わされ、「経済活性化」(「経済活性化」とは資本の側の見方に過ぎません)のためと言われ、さらに消費を拡大することに貢献させられて、挙げ句の果てが、社会的総生産量をどんどん増やし、結局、資本家の私的利益を増やし価値増殖の欲求を充たすために総エネルギー量を増大させ、総資源量を減らし、地球環境悪化や資源枯渇に貢献させられているのです。

 現代社会の生活スタイル形成に貢献していると言われるデザイナーの「個性」がこのように資本の私的利益に利用されるための「個性」であることを、まず自認するべきでしょう。現代社会の生活スタイルはこうして資本の私的利害の競争の中で生産の場から主導権を奪われた労働者の生活が商品の購買の場での「選択」においてしか自己表現できない社会のスタイルであり、デザイナーはその一翼を担っていることになります。しかし、それにも拘わらず、現代のデザイナーは、私は少なくとも二つの意味で存在意義があると思います。

 第一に、さまざまな分野にデザイナーの仕事が求められる(直接的には販売促進のためですが)ことで、あらゆる製造物の生産労働にデザインという行為が潜んでいるという事実を発見できること。そして現在自分が行っている「デザイナー」としての仕事は、それが本来あるべき形ではないということに気づかされ、人間が「ものづくり」を始めて以来、営々と続いてきた生産的労働過程の中に、普遍的な意味でのデザイン行為があったという事実に気づくチャンスが与えられる(みんなが気づくというわけではありませんが)、ということです。自分の仕事への否定の否定として、本来の普遍的なデザイン行為というものを想定するチャンスが与えられるということです。

 第二に、デザインという仕事が決してそれだけで自立して一つの生産物を生み出すことができないという事実を知ることです。つま資本主義的生産様式での分業種の一つに過ぎないということです。工学的設計のエンジニアや工場の生産労働者や材料の在庫管理など他の分業種の労働と結合しない限り、一つの完成した生産物ができないということを知ることができます。

 少し中途半端で分かりにくい言い方でしたが、私は、いまの資本主義社会の矛盾の中で自分の存在意義に疑問をもちつつ、日々の生活の中でそれを忘れようとしているさまざまな職種の労働者たち(この中にデザイナーも含まれる)が、それぞれの場で、この矛盾に気づき、その根本的原因がどこにあるかを突き止めようとするようになることで、そして互いに共通の原因で苦しんでいる労働者たちが団結して立ち上がることでしか世の中を変えていくことはできないと確信しています。

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2009年5月25日 (月)

誰が資本家?私って労働者?

 前回、内閣府の「21世紀ビジョン」の中に、「官」に対する「公」という一括りにとらえられているものの中に実は問題の本質があって、そこでの階級対立が見えていないことが問題だ、と書いた。

 それでは具体的にいったい資本家ってどこにいるの?労働者って自分のことではないし、階級なんていまはないじゃん、と考える人が多いだろう。たしかに現在では確かにマルクスの時代と比べると資本家と労働者の違いが見えにくくなっている。しかし、厳然として、いや19世紀よりもずっと広範で深刻な、しかも見えにくい階級対立が進行しているのである。まず資本家階級自体、資本の機能分担が進み、さまざまな形態を取るようになった。例えば従来の産業資本家は、私財をかき集めて起業する古い創業者タイプから、株式(時には労働貴族も株主の一員になっていることがある)によって不特定多数の人から資金を調達し起業するという形に変化してきた。その代わり株主という資金提供者に利益の分け前を配当しなければならず、また債権という形を通して金融資本家に業務内容をコントロールされることになった。こうして現代の産業資本家は金融資本の一機能(しかし価値増殖というもっとも重要な機能)を果たす役割を演じることになったといえる。

 一方労働者階級の側も単純肉体労働者と頭脳労働者との分化から始まって、労働力のさまざまな発揮の仕方(労働力商品の使用価値のさまざまな内容)によって分化が進んだ。資本主義生産体制特有の企業内分業化である。そのため会社では課長以上が管理職で係長以下は労働組合に所属するなどという変な形が一般化した。課長以上が資本家階級に属するという意味ではない。課長も部長も生産手段を私有して労働力を買っているわけではなく、ただ価値増殖を第一義的目的としている人々の手足や頭脳の一部を担っているに過ぎないのだから。企業の経営者といえども、自分の意志ではどうにもならず、「苦渋の決断」で社員の首を切らざるを得ないことが多いのである。

 資本主義社会とは、金儲けが好きな「性悪」の資本家が世の中を悪くしているわけではなく、生産手段の私有を前提とした資本と直接社会の生産的労働を担っているにも拘わらず、労働力を商品として売りに出さなければ生きてゆけない労働者の関係によって築かれている社会関係そのものが生み出す矛盾を内包しているのだから。

 もっとも顕著な資本家と労働者の区別は、前者が社会的分業の一つを経営する立場にある人であって、したがって何らかの販売しうる形の商品を生み出すことで利益を上げようとする立場にいる人である。それに対して労働者は、自分の手で売りに出す商品を持たず、やむなく自分の労働力を企業の経営者に「商品」として売りに出すことではじめて生活資金を得ることができる人々である。したがって労働者は自分の労働の成果を商品として所有することができず、あくまで企業(の経営者)がひとつの商品を生み出すために効率よく分割した労働の一部を担う立場に過ぎない。

 しかも現代では、私有の形が直接個人や特定の家族などによって行われることはむしろ少なく、法律的には法人という複雑な組織の形で実現されていることが多い。したがって資本家にとって不可欠な生産手段である設備、材料などはその所有者が法人であることが殆どである。そしてその法人が労働者を雇用することで初めてその設備や材料を労働の中で価値を生じさせる対象に変化させることができるようになる。

 自ら生産手段を保有しない労働者と労働力以外の生産手段を保有する法人を経営する資本家がともに独立した同格の個人という概念で括られているのが現在の法律である。しかし、明らかに労働者を雇用する経営組織である法人と個人として労働力を売りに出す「被雇用者」である労働者とでは、本質的に人間としての立場が異なるのである。

 この本質的に異なる立場の人間をともに同格の私人という立場として扱い、「産業界」という呼び方で、雇用者側全体をとらえ、「産業界が活性化されれば雇用が増大して両者がハッピーになれる」と考える社会通念あるいは政府の考え方そのものが、実は問題なのである。だからこそ、いまの政府は資本家同士の利益獲得争いである国際市場の競争の場で、自国の資本家が勝つために合理化などで大量の労働者が首を切られても、賃金をカットされて生活できなくなってもかまわないのである。そして労働者の血税でもある巨額の「公的資金」を資本家に提供して彼らを救おうとするのである。

 企業に政府の資金が入ることが「社会主義化」などでは決してない。政府が労働者の側に立って社会的に正当な富の分配を行うことができなければ、「社会主義的」などとは到底言えないだろう。

 

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