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2009年6月7日 - 2009年6月13日

2009年6月11日 (木)

地球を崩壊させながら進む「豊かな生活」への虚夢

 麻生首相は昨日、日本はCO2削減目標を2005年産出量を基準にして、2020年までに15%削減すると発表した。これは京都議定書で唱われた1990年値を基準にした場合、たったの8%である。単に削減比率を大きく見せるためにこのような作為的な操作をしたのである。アメリカも同様であり、ヨーロッパも本音はあまり急いで削減したくないのであろう。

 削減量を余り増やせない理由として、産業界への負担が大きく、さらには国民に負担を強いることになるとの理由付けが行われている。マスコミもそれに一定の理解を示しているように見える。

 しかし、もう一度よく考えて見よう。そもそも20世紀の前半までの資本主義体制は、労働者の生活資料を必要最低現に抑え、蓄積する過剰資本を対外的な市場獲得競争や戦争によって処理してきた。それがソビエトを初めとする「社会主義圏」が登場し、1930年代の資本主義体制の危機の中でも着々とその勢力を拡大していく中で、労働運動の高揚を押さえ込む必要があったため、藁をもつかむようにケインズらの理論を取り込み、貨幣価値の国家管理や公共投資を行い、労働者の雇用と賃金の相対的上昇をはかり、それを生活資料商品の増産と販売促進によって資本側に再吸収させるメカニズムを作り上げてきたのであった。それによって、生活用品が市場にあふれ、それを買いあさることが、豊かな生活の象徴であるかのような幻想が定着化してきた。資本家にもらった賃金で生活資料商品を買うことで、貨幣の形で前貸しされた資本がふたたび生活資料商品を生産する資本家たちの手に回収されていることにも気づかずに。デザイナーもそういう状況で生活用品に「付加価値」を上乗せし、資本に巨額の利潤をもたらすことに貢献してきたのである。

 そしてその間、絶え間なく拡大させられる消費によって環境汚染や資源枯渇問題があらわになってきた。

 20世紀末に「社会主義圏」が崩壊し、資本主義体制の「一人勝ち」と見るや、再び「市場経済主導主義」(資本家のボキャブラリーでは「自由経済主義」ともいう)が幅をきかせるようになり、「グローバル化」した市場での資本同士の「自由な」つぶし合いが激化した。そして資本側の立場に立つ政府は、「国際競争力を付けるために」という名目で企業の合理化(つまり首切りと雇用の抑制)を黙認し、労働基準法の骨抜き化を公然と行ってきたのである。派遣労働者の悲劇はこうして起こるべくして起きたといえる。彼らは現代におけるルンペン・プロレタリアートである(これは軽蔑の意味では決してない)。

 今日では「自由経済主義」の当然の成り行きとして、巨額な信用と投資による「虚の資本」がふくらみ、それをうまく操ってぼろ儲けをした「富裕階級」とそのもとで、本来の意味での価値を営々と生産しつづけてきた労働者達が陥った悲惨な状況が表面化してきたのである。

 しかし、相変わらず、資本家階級代表の政府は、「景気浮揚のために消費を拡大する必要がある!」と叫び続けている。それによって環境汚染や資源の枯渇は急速に進み、われわれの地球は崩壊の危機に瀕しているというのに!

 資本家が競争に勝つための「負担」がそのまま労働者に犠牲を強いるという理不尽さ、そもそも不要なものまで買わせて儲けた挙げ句に、それがもたらした危機的状況の負担を労働者に押しつけようというのである。

 資本論第3巻においてマルクスが分析している、利潤率の傾向的低落の法則でも明らかなように、資本は利潤率の低落によって絶えず拡大再生産していかなければ成り立たなくなる運命にある。競争で負けた企業を買収し、より巨大化し、市場を獲得し続けなければ生き残れない。そのため、労働者は過重労働に追いやられ、生活時間は削減され、電気代を節約するためにという名目でエコ家電を買わされ、資本側はそれによって再び巨額の利潤を獲得し息を吹き返していく。そして労働者は労働力を搾取されるために高額な教育費を払い、子供もろくに生めないような厳しい生活の中で、働けなくなるまでこき使われ、年金もろくにもらえず、耐乏生活の中で介護からも見放されつつ死んでいく。

 これが「豊かな生活」のなれの果てなのである!

 だが、こんな社会に絶望して、インチキな宗教団体が声高に唱える「未来社会のデザイン」だの「愛と信による日本社会の復活」などという虚言に惑わされてはならない。彼らは結局、この機に乗じて資本家と結託してマインド・コントロールの支配者になりたいのである。

 われわれが望むべきは、社会のために協同して働くすべての人々が、社会的生産の主導権を持ち、必要なものを必要なだけ生産し、地球全体の自然のバランスを計画的に保ちながらそれぞれの役割を自覚し、それに相応しい生活を送れることではないのか?

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