« 2009年6月14日 - 2009年6月20日 | トップページ | 2009年6月28日 - 2009年7月4日 »

2009年6月21日 - 2009年6月27日

2009年6月23日 (火)

分割労働でのデザイン行為(その2)

 さて、前述の様に、資本家的に分割された単純労働にも、人間の労働に必須の要素としてデザイン行為の基本形が存在しているといえることは確かであるが、それは生産物の生産という視点から見れば、目的と手段の関係が逆転している。労働者は資本家から与えられた分割労働を行うが、そのとき彼の目的意識は、ただ分割された労働の結果となるべき姿にのみ注がれるのであって、生産物全体がどのような目的で作られているのかは知らされていない。もし知ることができてもそれは労働者自身の意図のもとで作られているのではなく資本家の目的意識のもとで作られているのである。労働者は資本家の目的意識のもとで、彼らにとっては利潤を得るための手段でしかない生産物の、しかも資本家の都合で分断された労働の断片を「目的」として労働せざるを得ないのである(例えば、ボルトにナットを締め付けるという目的として)。

 直接生産物を作る現場での労働においても、生産の準備段階である設計の場面においても労働は資本家的に分割されている。しかし設計においては、そもそもその生産物がどのようなものであり、何のために使われるものなのかを理解していなければ設計労働そのものが成り立たないため、生産現場とはひと味違う分割労働となる。そこでは設計労働者は、設計対象となる生産物の使用目的を理解し、それに相応しい機能を果たすように設計しなければならない。設計労働の分割は生産物の使用目的を理解しつつ設計対象の性質に応じた形で分割される。例えば自動車設計においては、エンジン設計、車体設計、外部デザイン、内部デザイン等々である。そして最後にこれら全体を統括する設計者(例えば設計主査)がいて、彼が各分割設計労働の進行状態や結果を掌握し、コントロールする。設計主査の労働はもっとも資本家の意図に近い位置にあって、資本家の頭脳の一部を代行していることになる。

 したがって全体としてみれば設計労働においては直接的生産労働に比較して資本家の意図がより直接的に反映される。資本家は「売るための」商品という第一義的目的のために、商品市場の動向に応じて、例えば自動車の外観デザインを重視しようとすれば、エクステリア・デザイン労働部門が資本家の意図を汲んで「売れそうな」外観デザインを考え、エンジン設計や車体設計労働を行う労働者は多少工学的な無理は承知でデザイナーの要求に従わざるを得なくなる。

 また設計労働全体はさらに資本家の要求にしたがって細分化され、機構設計や電装部品設計のある部分は自動設計やモジュール設計というかたちでルーチン化される。デザイン労働もクレーモデル専門のモデラーや詳細なスケッチを描くレンダラーやカラリング専門労働や、デザイン動向の市場調査専門労働などに分割され、ある場合はこれらの一部あるいは全部がコンピュータソフトに置き換えられ、また「外注」という形で別の資本家のもとに委ねられたりする。こうして設計労働も細分化され、労働内容がより多層化され単純化されることにより、生産物全体の使用目的はますます設計労働者の目的意識からは遠ざかってゆく。

 そこでは直接的生産過程の労働と同様に、その分割された労働の成果としてのみ求められる状態が彼らの目的となる。そしてそれらの分割労働を最後に全体として一個の商品として的確であるかどうかを評価し、市場に送り出すための意志決定を行うのは資本家自身である。

 だから単純労働を含めたあらゆる資本家的分割労働において行われる「デザイン行為」はつねに生産全体の目的意識を疎外され、資本家によって手段的に分割された労働の結果として期待される状態をその目的にせざるを得ない。

 ことばを換えて言えば、資本主義的生産における労働者は剰余価値生産という資本家の第一義的目的にとって合理的な形で分割され手段化された分割労働の中で、その分割労働の成果のみを直接的目的として「デザイン行為」を行うことを通じて、好むと好まざるに関わらず資本家の意図を実現させるための労働を行うことになるのである。これは本来のデザイン行為とは目的と手段が逆転した形であり、このような形ですべての労働が資本の意図を実現させるような生産物の生産のために「デザイン」されているのである。そこにあるのは資本家の意図の代行であり、そのような形で目的意識が疎外されたデザイン行為である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月22日 (月)

分割労働でのデザイン行為(その1)

 mizzさんからのコメントをいただき、実は少し偉そうなことを言い過ぎたかな、と反省しています。自分の身の丈以上のことを願って「ものいい」を付けたようで、少々恥ずかしい気がしています。

 そこで今回は、本来の持ち場に戻って私の持論である「すべての働く人達はデザイン行為を行っている」という視点から、単純労働者のデザイン行為について考えて見ようと思う。

 どんな世の中でもその社会を支えて行くために、人々は社会的分業という形で役割分担して社会に必要な労働を行うわけであるが、その中で生産的な労働(社会で必要とされるものを生み出す労働)がどのような仕組みで行われているのかによって、その社会の歴史的な位置が分かるといえる。だからここでは生産的労働に着目してみよう。

 現代の資本主義社会では、すべての生産物は商品として生産され、売るために作られる。そして商品はその所有者である資本家によって市場で売られ、貨幣と交換され、資本家はその貨幣をふたたび生産場面で、生産手段商品や労働力商品を購入するために使う。生産手段のうち労働手段は必要なときのみ資本家によって購入される(設備投資)。原材料や消耗品は生産のたびに購入され、生産手段として労働手段によって生産物に加工される。労働手段を用いて生産物を生み出すのに必要な労働力は資本家によって労働市場で獲得される。生産手段の価値は労働過程で生産物の中に組み込まれ、生産的労働によって生み出される新たな価値の一部となる。労働者は常に自分たちが生活するのに必要な価値量を超えて価値の生産を行い、その剰余価値部分はすべて「合法的に」資本家に属することになる(正確には搾取されることになる)。

 資本家は労働者の労働力を商品生産過程で存分に使ったのちに、ふたたび労働力が使えるようにするために必要な貨幣を労働者に前貸しする。労働者はその前貸しされた貨幣で生活資料商品を購入し、貨幣は生活資料商品を生産する資本家の手に渡り再び資本家階級の手に戻る。もちろん現代では、流通産業や広告業、サービス産業などが生産ー消費過程の一部を補完し、資本家同士の資本の合理的運営のために金融システムや株式債権などが大きな役割を果たすようになっている。しかも過剰資本が投機的に運用され、それが大きな影響力を持つようになっている。しかし、基本は、価値の生産過程である生産的労働の仕組みである。

 労働者が生産的労働で生み出した価値は資本家に私有されることを通じてしか社会的な富になり得ない。資本家は富を私有することにより生産に必要な商品(労働力商品を含む)を買い取る自由を持っており、労働者はあらゆる生産手段から自由(free from)な存在として労働力を売りに出さなければ生きていけない。これが「自由経済」と言われる資本主義社会の基本的な仕組みである。

 そこでここでは生産的労働者が行っている労働の特徴を見てみよう。

 資本主義社会では「売る」ことが第一義的な目的であり、そのための手段として社会的に必要なものが作られる。そしてできるだけ効率よく価値生産における剰余価値部分を増やすように生産的労働が分割され「合理化」されている。分割された労働の一部は生産ロボットなどの自動機械に置き換えられつつある(資本論をよく読めば分かるが完全に自動化された生産は価値を生まない)。しかしそれらの自動機械は莫大な設備投資が必要なため、大資本のもとでしか採用されず、中小の資本のもとでは、安い労働力を用いた単純労働にたよっている。

 そこでは常勤の労働者に与えなければならない社会保障費などの経費を削減する必要から、何の保障も必要なく自由に首を切れる臨時雇用(アルバイト)や派遣労働者を使うことが日常化している。労働者が明治以来100年以上かかって闘い取ってきた権利である労働基準法など労働者を保護するための法律を骨抜きにする最近の政策の結果、そうなったのである。

 そこでは、労働者は、決められた単純作業のセットを繰り返し行い、労働日が終了したときに時間当たりの労賃に労働時間を掛けた金額を受け取る(日本では月給という形を取ることが多い)。

 そのような労働の中で、いったいデザイン行為は存在するのだろうか?存在する!!

 例えば、一本のボルトにナットを締め付ける作業においても、ボルトの支持具に対して適切な角度でナットを持っていき、ナットを脱落させないように適度なトルクでそれを締め付ける。そこでは労働者は一定の注意力と緊張感を持ってその作業を行わなければならず、「ボルトにナットを締め付ける」という目的に相応しい手や工具の使い方を習得しながら作業を行う。労働者は目的とそれを達成するために必要な手段や方法を知っていて、次に何が起きるかを予想しながら作業をするのである。この作業はチンパンジーやオランウータンにはできないのである。この目的を達成するために相応しい手段や方法を適用しつつ、次に起きることを予想しながら行う労働こそ「デザイン行為」のもっとも基本的な形であるといえる。

(つづく)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2009年6月14日 - 2009年6月20日 | トップページ | 2009年6月28日 - 2009年7月4日 »