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2009年6月28日 - 2009年7月4日

2009年7月 2日 (木)

政治家のデザイン力

 人間の労働一般がその本質として持っているデザイン的側面、つまりこれから生み出すべきモノや起こすべきコトをあらかじめ目的意識として企図し、その実現に必要な手段・方法を探索し、適用する、という行為はあらゆる社会で人間がやっていることであり歴史的にやってきたことである。しかしこの普遍的な意味でのデザイン的行為は、現実の歴史や社会の中で、その社会の仕組みによってさまざまに異なる形の労働過程の中で行われてきた。現代資本主義社会では、その一部が「デザイナー」という形で職能として登場した。その職能は一見、あらゆる人工物に関わりをもつ職能であるかのように見えるが、実はそれまであらゆる生産分野で行われてきた労働の一部を横断的に括り上げ、商品としての生産物の姿を「販売促進」という共通の目的に添った形で仕上げるために歴史的に特殊な役割を与えられた分業種なのである。この、商品の販売促進という共通の目標はこの社会を支える資本主義経済体制のつねに変わらぬ共通命題であり、この社会で生み出されるあらゆる生産物に刻印された宿命である。
 しかしデザイナーが資本主義社会でのあらゆる商品生産物に関わりがあるからといって、かれらは職能として社会をデザインできるわけではない。社会は商品ではないからである。いまのところ、社会をデザインするのは政治家の仕事である。資本主義社会の支配的政党は資本家階級の代表であるから、資本家的産業界のために社会をデザインする。個々の資本家は無政府的な市場競争の中で他の資本家との利益獲得の闘いを展開しなければならないので、社会全体の見通しや調整などできないし、やろうとしない。したがって個々の資本家間の利害関係の調整や、さらには資本家階級と労働者階級の階級的対立によって起こるさまざまな矛盾をコントロールするために利害代表としての政治家や政党が必要なのである。資本主義国の政府は政党間の方針の違いを選挙で問うことを通じて、こうした資本家間の抗争や階級的対立を間接的に調整し、全体として資本主義経済体制がうまく機能するようにコントロールすることが役割として与えられている。
 だから政治家や政党は資本主義国の現在や将来をデザインしなければならないのである。いわゆる「マニフェスト」に表現されているのは政党の社会デザイン観であると言ってもいいだろう。何の根拠もなく「幸福を実現する党」などど叫んでいるオカルティックな「政党」は論外として、少なくとも何らかの根拠に基づいてマニフェストを掲げている多くの政党の社会デザイン観は、いかに資本主義社会の矛盾の真実を覆い隠し、それを別の問題にすり替える(不勉強のため問題をどうとらえていいか分からないので適当にごまかしているという方が適切かもしれないが)ことに努力しているかが分かる。
 特に最近の政党はまるで市場占拠率を競い合う資本家企業とおなじ発想で、選挙人は「消費者」と同じように見られ、消費者の人気取りのために「サプライズ」やキャッチフレーズを並べた広告が使われる。政治家のデザイン的能力は、自らを商品として売り出すのに必要なポイントを稼ぐために政見内容やイメージをどうデザインするかという場面で発揮される。選挙人も選挙人で、まるで人気商品やタレントの投票でもやるような気持ちで政党の指導者達を見る。
 これでは社会に潜む重大な矛盾の真実など到底見えてこないだろう。政治家達が自らを政治家商品としてイメージアップすることにキュキュウとしている間に、社会はますます深刻な矛盾の深みにはまっていく。このいまの支配階級にはどうやってもまともな社会のデザインはできないらしい。それができるのは、毎日過酷な労働を通じて現実に日々社会を支えている労働者階級だけだ。

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