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2009年7月5日 - 2009年7月11日

2009年7月10日 (金)

デザイン労働力の価値と価格

 資本論によると労働力の価値は、労働力を再生産するに必要な生活資料の価値に相当する。自ら所有する生産手段に労働力を結びつけないと新たな価値を創造することができない資本家は、労働者の労働力を商品として買う。そのときに支払われる労働賃金は、労働者がその労働力を翌月も資本家に提供できるようにするために貨幣という形で前貸しされた資本(この中にはその労働力を養成するのに要した教育費の一部も含まれる)であり、労働者はこの貨幣と交換で生活に必要な資料を購入する。それによって貨幣は生活資料商品を生産する資本家の手に渡り、資本家間の資本流通を通じてふたたび社会的総資本の一部として蓄積される。デザイナーも現代社会の中でこうした賃労働者の一つの形として存在する。

 ところでデザイン労働者の形態は、例えば資本家に雇用されているいわゆるインハウス・デザイナーという形と、そこから分離して独立した経営を行うデザイナーという形に分けることができる。デザイン労働それ自体は単独で一つの完成した商品を生産することはできない(つまり分割労働である)ため、労働内容としてはどちらの形態でもさほど変わりはないと思われる。違いと言えば、インハウス・デザイナーは直属の上司や営業部長などからの意図をうけてそれらの人々の合意の元で、しかもその企業の取り扱う特定の商品のみについてデザイン労働を行わなければならないが、独立経営のデザイナーは自分が小資本家としてその労働の成果を大資本に売るという立場にあるため、かなりの部分自分の裁量で労働が行える(例えばさまざまな資本家から仕事がもらえるなど)ということであろう。しかしデザイン料として受け取る金はインハウス・デザイナーの労働賃金とそれほど大きな差はないと考えられる。見かけ上収入が多いように見えたとしてもインハウスの場合に賃金から差し引かれていた退職積立金や社会保障費などを自前で行わなければならないので実情はさほど変わらないだろう。

 しかし独立デザイナーの場合、いったん、何かのきっかっけでその名前が知れ渡り「有名デザイナー」になれると、インハウス・デザイナーより遙かに高い収入が得られる。日本にも多くの「有名デザイナー」が存在し、六本木ヒルズなどでセレブな生活を送っている御仁も多い。人々は、彼らがデザイナーとしての才能があり、質の高いデザインをする能力があるのだから当然であると考えるだろう。これはデザイナーに限ったことではなく、ミュージシャン、芸術家、シェフ、骨董品鑑定家、などなどみなそうである。

 ここで、「才能」と呼ばれるものはいったい何だろう?もちろんどんな世の中でも、同じ仕事をさせても人によってその結果があきらかに違うことは当然起きる。それは「労働の質」の違いと見なされる。前述した労働力の価値という視点から見るとどうか。有名デザイナーの場合、デザイン労働力の売り手としては自分の労働力の価格を価値以上に高く売ることができることになる。逆に言えば、有名デザイナーの労働力も普通のデザイナーの労働力もその価値は同じであるはずなのに一方はそれよりはるかに高い価格で売られるのである。

 マルクスは資本論で、価値は社会的に必要な労働として平均的に費やされた労働時間によって決まる量を持つ、と言っている。ここで「社会的に必要な労働」はあらゆる個々の具体的労働を合算した社会的総労働の分担部分という意味で言っているのであって、その意味で「抽象的人間労働」という言い方をしている。これは決して中身のない抽象ではなく、実際には個々のしかもその能力の差(つまり労働の質の差)が、社会的に必要な総労働という形で合算され、互いに社会を成り立たせるために必要な労働を各自の能力に応じて行い合っているという意味で、ただその分担比率(必要労働時間として)のみが意味を持つのである。

 資本主義社会では、商品市場での価格という形でしか価値が表現されないために、実際の価値よりはるかに高い価格や低い価格がつけられて市場で売買される。例えばブランド商品がそれである。バッグに「Gucci」とか「YSL」とかいうブランド(ロゴ)が着いていれば、たとえ中身は他の量産品と同じであっても何倍かの価格で販売される。それらのブランド商品は、実際の価値よりはるかに高い価格の商品が買えるお金を持った富裕層のひとびとに買われて行く。ある場合には買い手のセンスの良さを示すための自己演出費として、またある場合は単なるコレクションとして将来オークションで高い値が付くことを予想して。

 有名デザイナーの労働力もこれらの商品と同じである。彼らのデザインした商品は高額の金を払って手にれる「価値」があると判断され買われるのであり、それを生み出す能力を高価なデザイン料で買われるのである。

 マルクスは「労働の質」は「社会的に必要な総労働」の中に合体されており、そこでの担当部分比率を表す労働時間のみが価値に関係し、個々の労働の質は価値には関係がないという立場をとっているのだと思われる。ブランド商品と普通の商品の価格の差は決して価値の差ではないということである。

 われわれは、新しい次世代の社会のあり方を考えるに当たって、資本論によって、価値と価格の違い、そして価値と価値観の違いをしっかりと理解しなければなるまい。

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