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2009年7月19日 - 2009年7月25日

2009年7月23日 (木)

希望よ死ぬな!

 今朝の朝日新聞のコラム、森巣博の弁はなかなか面白かった。世界中でバクチを打ちながら、もの書きをしているという現代版無頼派作家の森巣氏はおそらく全共闘世代と思われる。昨今の自公政権崩壊の状況に臨んで、若者が自殺や無差別殺人やテロに向かう絶望と怒りのパワーを、選挙での投票に向けるべきだという主張である。私も基本的にはこの意見に賛成である。

 ここで重要なのは投票の結果、民主党中心の政権ができたとしても、おそらくはこの重篤な社会の病は治らないだろうということである。民主党の主張は自民公明の一部の連中とさほど変わりはないからである。民主党に投票したからといって、決して民主党のマニフェストに全面賛成したからではない場合が多いであろう。それでもやはりとりあえず、自公政権のこれまでやってきたことを許すわけにはいかない。決して許さない。そういう思いである。まずは反対の意思表明が必要なのだ。おそらく次の衆議院選挙で勝つであろう民主党はそのことを肝に銘ずべきであろう。

 すべては反対の意思表明で始まる。それは絶望と自暴自棄から再び起き上がるための第一歩なのである。次に必要なことは、自らが陥っている絶望の原因を冷静に見据えることである。ただ怒っているだけではだめである。もしかすると自分が目指していた「幸福」のイメージが、社会常識という既成概念の枠の中での幻想だったかもしれないということ。その社会常識の土台となっている社会の仕組みを疑うこともなく信じていた自分が間違いだったかもしれない。その「幸福」が幻想に過ぎなかったことが分かってきたとき、それを目指していた自分が挫折し、希望を見失ってしまったこと自体が、実は幻想からの覚醒の一歩だったのかもしれないと気づくのではないだろうか?

 そこからが、本当の意味で自分との闘いであり、既成概念との闘いであり、社会常識との闘いでもあり、孤独への道であると同時に、その孤独を通じて初めて可能となる、借り物ではない本物の、内面からの、そして同時に客観的で伝達可能な希望の芽が得られるのではないだろうか?

 その孤独と苦しみを通じて共感できる「客観的で伝達可能な思想」が築かれなければ、世の中は良くならないと思う。もしかするとその苦しみは自殺や無差別殺人に走る絶望や怒りよりはるかにつらいものかもしれない。しかし、この絶望感に充ちた世代に生を与えられたわれわれとしては、生きる意味はそこにしかないのではないだろうか?

 全共闘時代とともに歩んできた私の周りには、一時の高揚した反既成概念の運動の中で得た希望の芽を失い、孤独感に押しつぶされていつのまにか既成概念の担い手になっていった多くの友人が居る。かくいう私自身も孤独感に押しつぶされてきた一人である。しかし、人生の残りが少なくなってきたいま、思うことは、「連帯を求めて孤立を恐れず」は真実だと思うし、そこにこそ、この閉塞した絶望世代の希望への道があるのだと思う。

 森巣氏も賭博に打ち込みながら、絶望からの孤独な内面の闘いに生きてきたのであろう。かれは決して希望を捨ててはいないと感じた。

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2009年7月19日 (日)

金融工学の盲点

 いまNHK TVで「マネー資本主義」という番組をやっている。

 世界の優秀な頭脳をニューヨークに吸収して膨れあがった「リスクフリー」の借金と投資テクニック。原資の何十倍ものマネーを動かし、莫大な利益を上げるための理論。おそらく「金儲けの理論」たる現代資本主義経済学の研究はここに極まった感がある。

 その結果が、今回の世界金融恐慌である。しかし、この金融工学を開発した人々の大半は、その破綻を決定的矛盾とは受け止めず、さらに理論に修正と磨きをかけて再びマネー資本主義の片棒を担ごうとしている。彼らは、サブプライム・ローンによって貧しい人々にも家が持てるようになった、と自負する。少し返済不能の確率計算方法が間違っていただけだと考えているらしい。しかし、そこに大きな落とし穴がある。

 そもそも金融工学が用いる確率は自然現象の中での物質の振る舞いであるが、経済活動は人間が社会の中で意図を持っておこなう行動が生み出したさまざまな様態の総体である。

 さらに、世界中になぜ金が余っていて、それを濡れ手に粟で獲得することができるのか?その金はだれが生みだした富なのか?その一方で、なぜ働きたくとも働けず、日々の生活に事欠く人々が地球上の全人口の70%以上にも上るのか?

 こうした事実に何の疑問も持たず、ただ金を儲けることが自由に出来るということのみを論拠にして作り上げた工学である。

 まちがっても、こんな研究を始めた学者にノーベル賞などやってはいけなかったはずだ。商品経済社会発達の頂点で開花した資本主義経済体制の行き着く先は結局この姿なのだ。たとえまた一時的に「好景気」が訪れたとしても、長くは続かずその後に必ず再び金融恐慌がやってくる。これが資本主義経済社会の「法則」なのだから。

 われわれは怒りをもって金融工学ような理不尽な研究に反対しよう。かつてマンハッタン計画で核兵器を開発した科学者達が、広島、長崎の惨禍を知って、痛烈な自己批判をしたことを思い出して。

 優秀な頭脳を持った世界中の若者達はいまこそ、この資本主義社会の矛盾を理解し、来るべき次の世代の社会の基礎をつくり出すための研究を行って欲しい。そのためには、マルクスの資本論を避けては通れない。資本論で分析された資本主義社会の本質的矛盾はいまも綿々と生きのびており、ますます人類の未来を危うくしている。

 資本論は未完の書であって、マルクスの資本主義社会の分析はまだ緒に就いたばかりで、宇野弘蔵さんのグループや哲学者の廣松渉さんらがかなり頑張ったが、残念ながらいまは止まってしまっている。これをさらに進め、現代資本主義の分析と批判にまで進展させなければ、研究は次の段階には進めないだろう。

 柄谷行人のように、あまりちゃんと資本論も理解しないで「可能なるコミュニズム」なんて言ってしまってはいけません(私自身のことは棚に上げてますが)。

 的場さん、崎山さん、Mizzさん、がんばってくださいよ! 私も頑張りますから。

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