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2009年8月9日 - 2009年8月15日

2009年8月15日 (土)

終戦「祈念」日に考える

 今日、64回目の終戦記念日である。NHKがさまざまな特集番組を組んで放映しており、それらのいくつかを見て感じたことを記しておこう。

 どんな戦争体験を持っているか、また終戦の日をどんな思いで迎えたか、といった戦争体験を語り継ぐ番組では、どの証言者ももう二度とあのような悲惨な思いはしたくない。戦争はいやだ。と語っていた。この思いはおそらく戦争中と終戦直後のつらい体験をした人々が共通に抱く感情であろう。ある意味で戦争反対は国民的コンセンサスであるといっても良いだろう。

 しかし、そのコンセンサスが現在の状況の中でどう受け止められているのかといえば、それは様々であって、ほとんど正反対の意見にまで両極化されているようである。それをもっとも鋭く我々に突きつけた問題は、オバマ大統領のプラハ演説と北朝鮮の核脅威の問題であろう。

 オバマ大統領が世界で唯一核兵器を実戦に使用した国であるアメリカが、核廃絶に向けて努力することは道義的責任である、と述べたプラハ宣言は、唯一の核被攻撃国である日本人すべてにとってある種の感動を与えたといってもよいだろう。

 しかし一方で核武装を進める北朝鮮が、日本に向けていつミサイルを発射するかわからないという恐怖感を煽られ、日本も「防衛力」を強化し、場合によっては核武装することで北朝鮮の脅威に応えるべきだ、という意見を持つ人がおどろくほど多くなってきている。元航空自衛隊幕僚長の田母神氏の大東亜戦争擁護論のような講演があちこちで「受ける」という土壌が育ってきているのだ。

 占領軍に押しつけられた憲法を改正し、日本も国防軍を持ち、自国を自分の手で護れるようにする。という意見が一見説得力を持っているかのように見える現実が育ってきてしまったのだ。この責任は長期にわたって続いた自民党政権にあるといってもよいだろう。

 たしかに最小限コーストガードとしての海上保安などは必要かも知れないが、それと国防軍を持つということは全く意味が違うのである。国防軍を持つとうことは近隣諸国への脅威を増やすことになり、近隣諸国との戦争の危機を逆に増加させることになる。北朝鮮が運良く?いまの金王朝を維持できたとしても、いまの日本に対して核攻撃を加えるという可能性はほとんどないといってよいだろう。もしそういうことをすればその結果、北朝鮮自身が国際的にどのような状態に追い込まれるかということくらいあのわがままな「将軍様」も理解しているはずである。かれの核武装PRは単なる脅しの材料に過ぎない。

 しかし日本にもそれに乗じて危機感を煽って、再軍備論を正当化しようとする「過激な偏向思想グループ」がいるために、われわれは必要以上に北朝鮮核武装論への危機感を煽られているのだ。欺されてはいけない。その陰では不況にあえぐ日本の資本家たちが軍需産業に活路を見いだそうとする動きもあるのだから。

 ここでもし日本が憲法を改正し、自衛隊を国防軍として位置づけ、核武装を始めようとすれば、北朝鮮はそれこそ本気になって核武装を始めるだろう。もしかすると韓国もそれに続くかもしれないのである。すでに核武装している中国もますます核武装の強化をエスカレートさせるだろう。そうなればせっかくオバマ大統領が活路を開こうとした核廃絶への道は完全に閉ざされてしまうのである。

 日本人は自虐的歴史観を捨て、大東亜戦争をも評価して、もっと自信を取り戻すべきだ、という意見は、そもそも「自虐的歴史観」というとらえ方からして間違っている。日本が自ら起こしたあの戦争で自国民300万が戦争で死に、中国、朝鮮、その他のアジアの国々でそれ以上の死者を出さしめてきたことを深く反省し、二度とこのようなことがないように祈念することがなぜ自虐歴史観なのか。われわれ日本人はあの戦争でそれまで自分の中にあった世界観も人間観もすべて入れ替えねばならないほど痛烈な反省の場に立たされたのではなかったのか。

 われわれは北朝鮮の「将軍様」が核やミサイルで脅しをかけてきても、そんなものは完全に無視すべきである。そして少しでも話し合おうとする気配があればそれを積極的につかみ、あくまで話し合いで良好な関係を築くようにすべきだ。そこからオバマ大統領のプラハ宣言を実現できる場を生み出せるように努力すべきなのではないだろうか。

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2009年8月 9日 (日)

社会保障の財源問題

 衆議院議員選挙が近づき、各党のマニフェストが公表されてきた。社会保障や医療制度の疲弊から収入の低い人達が生きて行けなくなってきたいまの社会にたいして、それを改善するための財源の確保の仕方が政策の最大の論点になっている。

 自民党も民主党も基本的にはいまの仕組みでパイの配分をどう切り分けるかが政策の違いになっており、消費税などにより税収をふやして財源を確保するという自民党に対して、税金の無駄をなくして財源を確保すると主張する民主党である。

 消費税によってパイの大きさを増やすという政策は、いわば生活者が生活に必要な資料を購入することに税をかけ、一律に負担をしてもらうという考え方で、金持ちには贅沢品や遊ぶ金を払うときに税金を取る形になるが、収入の低い人々には生活に必要なものすら買えなくなるという事態を生じ、決して平等ではない税制である。また税の無駄遣いを減らすと言っている民主党も4年先には消費税のアップを考えており、同じ穴のムジナである。

 ここで経済の原点に返って考えて欲しい。社会的に必要な価値量の富を労働によって生みだしている労働者が、その生活資料の価値量の生産に必要な労働時間(必要労働)を超えて、さらに労働を続けることで生み出される価値部分を剰余価値(剰余労働)というのであるが、労働者の生活に必要な生活資料の価値量を生み出す必要労働に対する剰余労働部分の比率をマルクスは搾取率(剰余価値率)と呼んでいる。この搾取率は1労働日の労働時間が変わらないとすれば、生産力が高まるにつれて高くなる。おそらく現代の資本主義社会における生産力からすれば、軽く100%は超えるであろう。そうであるとすれば、労働者は1労働日で8時間労働するとすれば、そのうち自分が生活するに必要な生活資料の価値量を生産するのに4時間働けば済むことになる。それを超えて働くことで生み出された価値量も実は本来ならば何らかの形で、それを生み出した労働者に還元されなければならないはずである。

 搾取率が100%であれば、単純に考えて我々が得ている労賃と同じ額の富が日々蓄積されて行き、それがいまは合法的に資本家階級の所有物となっているのである。

 もちろん社会が成り立つためには諸個人の生活に必要な資料だけではなく、医療、教育、育児、介護、働けなくなってからの生活保障、身体や精神に障害を持つ人達の生活保障など、いわゆる社会保障がなければならない。社会構成員の何%かは必ず働けない人々を含み、そうした人々も当然社会の一員として生活を保障しなければならないのである。こうした社会保障に必要な富(財)の価値量は社会的共有ファンドとして、個人の私有物であってはならないはずである。

 資本主義社会ではこれが合法的に、労働を支配している資本家によって私有化される(今日では直接的私有化ではなく多くの部分が法人所有の資本とされる)ため、資本家の企業から税を支出させるという形を取らざるを得ない。すべての個人から税が「公平」に徴収されるというわけである。さらに資本家階級の代弁者である政府は、「産業活性化」や「産業の国際競争力の維持強化」のために資本家の企業から重い税を取ることをしない。そして自分たちが生み出した富を不当に搾取された労働者階級から、さらに「公平に」消費税を徴収するのが最善策とされるのである。

 昨今の資本主義社会は、産業資本家が金融資本や株主にコントロールされた機能資本家(金融資本のために搾取の先頭に立たされる資本家)の立場におとしめられているので、資本はもっぱら間接的かつ広範に生産的労働を支配している金融資本のもとで蓄積される。蓄積された資本は株の買い付けや投機に投入され、莫大なマネーが世界中で持ち主を変えながら動き回っている。しかもこの中には比較的リッチな労働者階級が自らの生活保障のために貯め込んだ預貯金や生命保険金などが含まれている。

 まずはこうした不当な搾取の結果である莫大な量の私有化された富の蓄積を本来の社会的共有ファンドとして還元させる方策を取るべきなのである。そのような形の税制や法律を作り、正しい富の配分を行うことで、おそらく本来社会の維持に必要な富のすべてが確保でき、社会は本当の意味でゆたかで安心できる社会になるだろう。

 いきなりこうした政策が困難であるならば、少なくともこうした将来展望を持って、それに少しずつでも近づけてゆくような政策を取るべきであろう。経団連などの資本家グループや資産家グループからの猛反対は覚悟の上で、しかも国際的な経済関係を見据えてそれを行うことは大変なことであるには違いないが、そこに歴史的真理がある以上仕方がないのである。

 働いても働いても生活が良くならず、医療もまともに受けられず、結婚して子供も生めないような社会の根源的原因はこのおどろくべき搾取の現実にある。

 会社が潰れたら給料ももらえなくなり生活できなくなるから、会社が儲かるように一生懸命働く、という「善良な労働者」であることが社会の良俗を保つために必要な社会常識とされているが、これこそ間違った資本主義的イデオロギーの最たるものなのである。

 われわれは誰のために働くのか?誰のために「国際競争力の強化」が必要なのか?なぜ六本木ヒルズに住むトレーダー達がゲーム感覚で巨万の富を得、毎日一生懸命働く人々が働いても働いても生活が苦しくなるのか?その原因をマルクスとともにとことん考えて見よう!そこから社会保障に必要な財源がどのように調達されねばならないか、自ずと見えて来るではないか。

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