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2009年8月23日 - 2009年8月29日

2009年8月24日 (月)

夏の終わりに

 緑の生い茂った庭の木々に、暑さや毛虫のせいで枯れ葉が目立つようになった。

2〜3日前までの蒸し風呂のような暑さは少し和らぎ、朝晩は涼しくなってきた。蝉の声もアブラゼミからツクツクホウシへと変わってきた。あとひと月ほどで蝉の声も聞こえなくなり夏は終わるだろう。

 若かったとき、私はこの時期が嫌いだった。夏休みがもうすぐ終わってしまうということもあったが、それよりも夏の間にやっておこうと思ったことが少しも進まず、夏が終わってしまいそうになることがいやだった。

 年を取ったいまでもこの思いはあまり変わらない。これから何かやれそうなときにはワクワクとした期待感があり、楽しいが、なにもやれずに鬱々として時が過ぎてゆくことほどいやなものはない。

 夜中に目覚めたとき、いろいろなことが頭に浮かび、昼間考えもしなかったことが思いの淵に浮かんでくることがある。次から次へと思いは巡り、やがて夜が白々と明けてくる。窓の外で小鳥の声が聞こえ始める頃になるとその思いはまるで映画のラストシーンのようにフェードアウトして行くのである。

 そしてその後に再び睡魔が襲ってきて深い眠りについてしまう。やがて暑さで目が覚めると、もう7時半を回っている、という具合である。何ともすっきりしない目覚めである。

 つい最近まで、自分の肉体的・精神的老いに必至で抵抗し、まだやり残したことが山ほどある、これを何とかせねば死ぬにも死ねない、と焦っていた。しかしいまはもうあまり抵抗をしても仕方がないと思うようになってきた。どうせやるべきことをやって死ぬなどということはできないのだ、中途半端で終わるのが自分の運命なのだと半ばあきらめの境地になってきた。

 暑かった夏の疲れがこうした思いにさせているのかもしれないが、やはり年々思考力や記憶力が衰えてきた。目も悪くなってパソコンを操作したり本を読むのが非常に疲れる。「枯れ葉マーク」には枯れ葉同然のことしかできなくなっているのだ。その厳正なる事実を知らねばならぬ。

 若い世代の人達との世代ギャップもますます大きくなり、私の考えていることなどは多分まったく通じない世になるのだろうと悲観的になることもある。

 しかし、そうはいっても私にはまだ残りの人生がある。肉体・精神ともに衰えたといえどもいまだ一個の人間として生きている。生命観あふれる人生の夏を逸してしまった悔しさはあるが、これも人生。蕭々として秋から冬へと進まざるを得ないのだ。

 おそらくこれからは一層、一日一日を大切に生きねばならないのだろうと思う。

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