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2009年12月13日 - 2009年12月19日

2009年12月17日 (木)

創造的デザインによる価値創造という幻想

 「価値粗造」という言葉がやたらともてはやされ、誰もそれに異論を唱えない中で、デザインこそが価値創造の決め手であると言わんばかりの論調が目立つ。しかし、その表現の背後には価値という概念を経済的価値と個人の価値観を区別せず混同したとらえ方が見えてくる。そしてその背後に重大な問題が隠されているのだ。

 経済的な意味での価値はマルクスが「資本論」で明快に分析してるように、人間の労働によって生み出されるものである。そしてある人工物のもつ価値量は、その人工物を生み出すために必要な社会的平均的労働時間で決まる。また「自然物」である魚をわれわれが食用にするために採って商品とする場合には、運送や加工などに要した労働を除いた場合、それを捕まえるために必要な労働時間がその価値を決めることになる。もちろんそれらの労働の過程で用いた労働手段や原材料には、過去の労働の成果が含まれており、これがあらたに生み出される価値の中につけ加えられている。しかし商品市場においては、この価値が需要と供給の関係で決まる「価格」として現れるため、しばしば価値は価格と同意義に考えられてしまう。資本主義経済社会では、社会的な生産と消費の関係を商品の売買の場である「市場」での需要と供給の関係として捉えることで、本来の価値を市場価格という形で覆い隠してしまうのであるが、覆い隠された価値は価格の表向きの変動の中で、社会的な需要を充たすための人工物およびそれに要する労働力の社会的分配の基準となる指標として存在しているのである。

 社会的に需要されるということは、その人工物が特定の使用価値を持っており、その使用価値を生み出すために必要な労働時間がその価値量を決めているということである。このことは、宇野弘蔵が「価値論」で述べてるように、その人工物を社会的に要求されている量だけ生産するために必要な労働量(労働者の数と考えてもよいだろう)をその生産分野に供給しなければならないわけであって、それによって初めて生産物が生産され、生み出された人工物はその価値にしたがって、必要な人々に分配され社会的需要が充たされることになる。資本主義社会では労働者の労働力をも商品としてモノと同列に扱うことで、商品市場の自然発生的需要供給バランスを通じて、社会的に必要な労働の配分までも行わせているのである。

 したがって本来の価値は、社会的に要求される人工物の生産量とそれに必要な労働量の社会的供給バランスをとるための明確な基準として用いられる概念であるにも拘わらず、資本主義社会ではそれがまだ明示的意図の元に捉えられず、商品経済によって築き上げられてきた市場のメカニズムによって「自然発生的」に決まる価格によってその「代行」をさせているとも言えるのである。

 そのため、市場での価格の決定には多くの恣意的要素が加わり、いわゆる「稀少価値」(美術骨董品オークションを見よ!)や故意に価格をつり上げるために形成される「ブランド価値」などというものが横行するのである(多くの場合これらは「付加価値」という言葉で表現されている)。そしてその恣意性の中で、個人の持つ「価値観」が最大限利用されるのである。そこでは、売り手は、いかに実際の価値以上に商品の価格をつり上げるかに腐心し、買い手の個人的価値観を効果的に刺激して価値以上の価格を受け容れさせようとするのである。

 デザイナーの労働は、まさにこういう場面で、売り手の要求に応えるために用いられるのである。その真の価値を覆い隠し、いかに高価な価格を付けても買い手がそれを欲しくなるかを考えさせられるのがデザイナーの「価値創造」なのだ。いわゆる「価値創造」とはこのような恣意的な価格のつり上げ以外の何物でもないとさえいえる。

 そして、その価値を超えて法外な価格を付けられた商品を、ありがたそうに買っていく買い手は、お金が余っているリッチな買い手なのであって、日々の暮らしに事欠く人々では決してない。一握りの有名デザイナーは自らのブランド価値により法外な価格を付けられた商品から得られた莫大な利益の一部を資本家から分け前として獲得し、自らもリッチな階級の一人として高価な買い物を楽しむことができるのである。

 しかし、残り99%のデザイナーは、決してそうでない。かれらは「デザイン労働者」なのであって、資本のために、買い手の個人的価値観を刺激しつつ価値以上の価格を創造する労働がかれらの職能的使命である。そしてその使命を全うすることで、消費拡大を促進し、利益追求を本質とする資本家側に莫大な富を集中させ、その結果地球環境の悪化や資源の枯渇そして社会的富の不当な偏りを促し、貧富の差を拡大させ、結局は自分たちの足下も危なくなるような状況を生み出すことに荷担してしまっているのである。

 デザイナーは不況の際にはもっとも簡単に整理(職種替えや配置転換など)されやすい職種であり、デザイン系大学でも経済不況はすぐに学生の就職率低下につながる。それはデザイナーの労働力もそれによって生み出された商品と同じ論理で(就職戦線という名前で呼ばれる労働市場において)売買され、それによってデザイン労働者たちは生活せざるを得ないという資本主義社会の仕組みが支配しているからなのである。

 このような現実の中で、デザイナーが自らの職能を通じて「創造的価値」を生み出すことによって創造的に社会を変えて行くことができるかどうか、だれが考えても答えは明確ではないだろうか?

 

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