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2010年2月16日 (火)

住む場所を奪われた人々

 「住む場所を奪われた人々」といっても、これは路上生活者のことではない。わが資本主義社会の労働者階級である。人生のすべてを資本に捧げ尽くして、退職金をほとんどすべてはたいて、ついの住まいを建て、余生を送るわが労働者階級になぜ、「住む場所を奪われた」というのか?不思議に思われるかも知れない。

 しかし、資本主義社会は、じつは、農民から土地を奪い、耕作地から追い出すことで、生産手段を奪われた彼らが工場労働者として資本家の工場に吸収されていったという歴史的事実(資本論 第24章 いわゆる本源的蓄積 第2節 農村住民からの土地の収奪 を参照 日本でも明治維新以後似たような状況があった)があり、そこに大量の無産者による労働者階級が誕生したのである。以来、わが労働者階級は、つねに自分の労働力だけを「売りに出せる商品」として所有する無産労働者となり続けている。労働賃金は基本的に、その労働力を日々再生産するに足る前貸し資本であって、決して本来の意味での「所得」ではない。

 労働賃金でまず購入が必要なのは「食」と「衣」である。そして「住」としては従業員寮や借り上げアパートなどが使われる。そして自分の家を持つことが人生で最大の夢となる。やがて、退職する頃になると、賃金から月々わずかながら貯蓄をして貯めた預金で、余生を送るための家を購入する。こうして、労働者階級は生涯働き続けて資本に莫大な利益を与えながら、自分は生活に必要な最低限の物質的条件を何とか維持するに留まるのである。もちろん比較的若いときに、ローンで家を購入できる恵まれた労働者は、いわば、ローンという形で、借金を背負う(貸し手の金融資本はこれによって莫大な差益を得る)ことで定年までの労働賃金の先取りを契約されるのであって、途中で病気などのやむを得ない理由で会社を辞め、賃金が見込めなくなると、持ち家は手放さなければならなくなる。

 そもそも、人間が人間として生きていくためにはそれに必要な物質的条件がなければならない。それは自分たちが住む地球の一部から獲得するのである。土地はそのすべて(生産手段も生活手段も)を生み出す基本的物質条件である。労働者階級はこれを資本に奪われているのである。

 しかしなぜ、人間の労働が生み出したものではない、土地が私的に占有され、それを売買することができるのであろうか、しかも途方もない高額な価格で?

 そもそも価値とは、その社会に必要な生産物を生産するために必要な社会的平均労働によって形成され、それに要する労働時間によって価値量が決まるものであったはずである。しかし、前にも触れたように、価値はそのままの形で直接商品の価値を表示するわけではなく、一定の貨幣量を意味する「価格」によって表示されるのである。価格は商品市場の需要と供給の関係で変動し、その変動の中心に位置するアンカーポイントが価値に当たる(需要が供給を上回る場合は、資本側はより多くの利潤を引き出すために商品の供給に必要な労働力を確保して供給量を増やすためにやがて価格は下がるし、その反対の場合は労働者を解雇して供給量を減らす)のであるが、そうであれば、人間の労働が生み出したのではない、したがって本来価値がない土地に価格が付くのは、純粋に需要供給の関係だけに基づくと言ってよいだろう(この価値問題については別項で述べることにする)。だから土地には際限もなく高い価格が付けられ得る。ちょうど需要に応じて供給量を増やせない芸術作品や骨董品がオークションなどで馬鹿高い値を付けるのと同じである。いくら高くても買い手がいればそういう値が付けられるのである。

 実際、労働者階級の生活の中でもっとも高い買い物は住宅であり、そのうち土地の価格がしめる金額の比率が圧倒的に高いといえる。住宅は、需要が多ければ建材工場などを増設することで供給量を増やせるから市場競争のもとでは一定以上の価格にはならないのである。

 少し話がやや飛躍するが、本来、土地は、空気や水や天延資源などと同じように、あらゆる人間が必要としており、しかも人間が作りだしたものではない以上、誰かがこれを私有あるいは占有することは理に反していると言わざるを得ない。言うなれば、それらは人類共通の自然的存在条件なのである。

 これに対して、通俗的な「社会主義論」では土地を国有化するという話が出てくるが、これは、実はそれほど簡単な話ではないのである。「国家」の本質が何であるかを問題にしなければならないし、共有と私有の関係も深く考察しなければならないからである。

 こうした様々な問題を含みながら、資本家たちは、蓄積した利益を土地に投資し、そこから莫大な差益を獲得するために血眼になっている。土地を奪われ、それを取り戻すために生涯を掛けて働き続ける労働者階級が生み出した莫大な剰余価値とそれが蓄積されてグローバルに流動化された過剰資本の分け前にあずかるために、彼らはあらゆる手段を講じて奔走するのである。そして労働者階級は、会社が国際市場競争に負けないようにと「労使一体となって」がんばり、「合理化」で解雇される仲間にも「この不景気じゃ仕方がないさ」とあきらめ、その影響で自分の労働時間を増やされて、身体を壊してしまっても、「これでも一生懸命働いたんだから仕方ないさ」と自分の無力のせいにしてしまう。

 さあ、「消費税」に色気を見せ始めた民主党政権が、この実情をどこまで理解しているのか??

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