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2010年2月10日 (水)

何が間違っているのか?(その3 アメリカ資本主義のグローバル化)

 マルクスが資本論を書いた時代は、イギリスの産業資本主義社会が最盛期を迎えた時代であった。そしてその後、資本主義社会は、産業資本に対する金融資本の支配が進み、経済恐慌という資本主義経済の本質的矛盾に何度も直面し、これを植民地政策や戦争という強硬手段で何とか切り抜けようとしたが、第一次大戦という破局とロシア革命という危機を迎え、いよいよ終焉が近づいたと思われた。しかしその拠点をアメリカに移すと同時に、新たな形にメタモルフォーゼしていったのである。基本的には、現代の資本主義社会はそのアメリカ型資本主義の延長上にあると見てよいであろう。

 20世紀の後半、アメリカ型資本主義は、社会主義圏の台頭に対抗するため、軍事力とドルの国際的支配を背景にグローバル化していった。その中で、以前にも述べたように、政府の公共投資や金融政策などを通じて中産階級化した労働者階級と彼らを「消費源」といしたあらたな利益回収の仕組みを確立し、「大衆社会化社会」を現出していく一方で、軍需産業を基幹とした技術革新が次々と行われ、急速にその力を拡大していった。そしてアメリカ資本主義の傘下にある先進資本主義国はその恩恵にあずかったのである。

 しかし、そもそも基本に資本主義経済の本質的矛盾を抱えたままなので、それはやがて、さまざまな形で破綻を明らかにせざるを得なくなってきた。公害、絶え間ない国際紛争での戦争、人種差別、そして金融資本が産業資本を支配することから来る、流動資本の過剰化とその争奪戦。これは根無し草のバブル経済という形で当然ながら破裂した。そしてそれに続く、社会保障の崩壊、公的医療の崩壊、公教育の崩壊、労働者階級の分裂と貧困化、などに見られるように、見せかけの「中産階級化社会」は崩壊しつつある。

 しかし折良く、20世紀の末に、アメリカ資本主義の「天敵」であった社会主義圏が一部を除いて「自滅」したのである。アメリカ資本主義はこれによって救われ、すでに崩壊しかけていたにも拘わらず「グローバル資本主義」として経済の「世界標準」となり得たのである。

 そしていまわれわれはそういう状況の21世紀型資本主義社会に「実存」しているのである。だからマルクスの資本論に展開される事実を、ただ単純にいまの資本主義社会に当てはめてみて、「いまの社会はもはや資本主義社会ではない」などと思うのは全くの間違いである。現に、資本論で分析されている資本主義社会の本質的矛盾(原理的矛盾)をそのまま内包しているのであって、ただその現れ方が大きく変わっているに過ぎないのである。

 それでは、どのようにその現れ方が変わっているのであろうか、次にそれを考察・分析してみよう。本来ならば、こうした分析はマルクス経済額の専門家が行うべきなのであるが、残念ながらいまのマルクス経済学者にそれを期待するのは難しいようなので、私のような「素人」がこれを行わざるを得ないのである。したがってマルクスの行ったような精緻な分析は到底望み得ず、かなりおおざっぱな、しかも直感的な「分析」となることをお断りしておく。(以下次回に続く)

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