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2010年3月23日 (火)

「生活水準の差」とは何か?

 生活水準という言葉は日常的に使われながら、意外とその内容について深く考察されていないように思う。

 例えば、日本の場合、毎日の生活に掛かる食費、被服費、住居費(日本ではこれが異常に高い)、ガス・水道・電気代、医療費そして電話やインターネットなどの通信費、TV受信料、そして子供の養育・教育費などは、普通に生活するために最低限必要な生活費として考えられている。これを満たした上で、さらにクルマを買い換える費用、賃貸住宅から持ち家に移るため貯金、旅行や趣味のための費用、などというお金が使えるような状態を「可処分所得がある」と言っている。

 必要生活費と「可処分所得」との境界線をはっきりと引くことは難しい。なぜなら、必要生活費の最低限度はどこまで縮小できるかはっきりしないからである。例えば、収入のほとんどない人へ国から支給される生活保護費はわずか6〜7万円程度しか出ないが、これが日本の憲法に唱われている、人間らしく生きる最低限の権利への保障になるのかどうか甚だ疑わしい。しかし、同じ金額をアジアの国々の貧しい農村での生活で使うとすれば、リッチな収入ということになる。もちろんその場合、その国の通貨と円の換算レートが問題にはなるが、なによりも彼の国での「生活水準」がきわめて低いからそうなるのだと考えられている。

 日本やアメリカのように農業が完全に資本主義経済の内部に組み込まれてしまった国と違って、アジアやアフリカの国々では、農村では未だに自分たちの生活に必要な食料を自給し、住居は先祖代々引き継いできた家があり、地域での助け合い・物々交換的経済が多く残存していると考えられ、そこでは生活のために必要な現金収入はわずかでも生活は維持できる。彼らは決して「貧しい生活」をしているわけではないのである。そういった生活をしている人々が、ひとたび資本主義経済に巻き込まれる羽目になると、まず、農村に進出した資本家企業によってその労働力が格安で資本家に調達されることになる。労働賃金とは「労働者に前貸しされる労働力の再生産費」であるから、当然のこと、格安の賃金でも彼らは生活していける。

 しかし、それが一歩進むと次は労働力を大都会の資本主義的消費圏に集中させ、相対的にやや高い労働賃金で彼らを働かせるようにになる。資本家としてはその方が生産効率が良いからである。労働者達は都会で生活することになる。そこでは生活に必要なものはすべて商品として購入しなければならない。実はほかの資本家的企業で彼らと同様な立場の労働者が低賃金で働かされることによって生産された格安の生活資料商品を同じ立場の労働者が購入して生活を成り立たせているのである。その貨幣の流れの中間にあって労働の生み出した価値を資本家達が搾取し分け合い、その過程の中に「前貸しされた労働力再生産費」は吸収されていっているのである。

 都会に働きに出た農村出身の労働者達は、乏しい賃金から生活費を削って貯蓄をし、それを故郷の農村に住む家族の生活費や教育費として仕送りする。これは必要生活費を超えた「可処分所得」と言えるだろうか?決してそうではないことは明らかである。やがて農村にも資本主義的商品経済の大波が押し寄せ、農村での生活にも、生活資料を商品として購入しなければやっていけない状態が来る。そうなると、現金収入が必要となり、都会に労働者として働きに出た家族からの仕送りが生活の頼みとなっていく。こうして初めて、農村は「貧困化」されるのである。アジアの農村は決して最初から貧困であったのではなく、資本主義経済がそれを貧困化したのである。

 そしてそのような状態が生み出されることによって、その結果としてグローバル化した商品市場を支配する資本が、先に資本主義化された国々との間に、「生活水準の差」を「労働力の再生産費」の差という「金額の差」として実体化するのである。そのことによって、資本は労働賃金が格安で調達できるアジアの農村に労働力を求めて殺到するのである。

 労働賃金の差が、生活水準の差であるとすれば、たしかにわが国の労働者は生活水準が高いと言える。しかし、われわれの労働賃金がどのように使われているかを考えると決して単純にそうは言えないことに気づくであろう。

 例えば高額の住居費や医療費(保険料も含めて)や子供を「優良な労働力商品」に育て上げるために必要な莫大な教育費、そして働けなくなったときに必要となるであろう生活費をあらかじめ確保するためにさまざまな貯蓄や投資。そのときの「住むための場所」を確保するための貯蓄や投資。これらに収入の大半が使われているのである。これは可処分所得ではなく、必要生活費ではないのか?

 われわれの生活は労働賃金の金額が多くても決して豊かではない。比較的高額な労働賃金はわれわれにとって本来の意味での「所得」ではなく、「労働力再生産費として前貸しされた貨幣」であることを思い出さねばなるまい。それは資本の回転過程を成す、その一つの形態に過ぎないのだから!!

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