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2010年3月12日 (金)

唯物論と宗教

 大変な大テーマであるが、ほんの少しだけこの問題に触れたい。というのも、最近「インテリジェント・デザイン(ID)」なる奇妙で紛らわしい言葉が流布されているからである。

 「インテリジェント・デザイン」の実態や、詳細は分からないが、おおざっぱに言えば、進化論を否定し、世の中は、ある超越的な存在者が暗黙のうちにデザインした世界であって、結局われわれが科学として明らかにしつつあるものは、それを理解する過程に過ぎない、といった考え方である。

 そこには、「人間の祖先が猿だったなどというのは道徳的におかしい」といったレベルのものから、自然史や生物の進化を支配している「法則」は科学では説明のつかないものである、といったものまで含むようである。

 このような考え方の背後には「人間」は自然的物質界と一線を画する存在であって、「ヒトをモノと同レベルで扱うような共産主義的唯物思想は悪である」という発想があるようで、きわめて保守的で過激な思想が見え隠れする。

 そこで少し冷静に考えてみよう。まず、唯物論者がヒトをモノとを同列に扱うという考え方は、多分、次のような唯物論者の思想に対する誤解(意図的な)からきているのだろう。

 唯物論者は、こう考える。われわれ人間は、自然史の生物史的段階で、生み出されてきた動物の一つの種である。そして我々の頭脳もその一部として自然がその進化の歴史の中で生み出してきた、自然の一部である。したがって、大きな意味(宇宙全体を含む)での自然的物質の進化の歴史の中で生み出された存在である人類が、その頭脳によって、自分たちもその一部である自然そのものを理解しようとしている。そしてそこに貫かれている法則を、自分たちが生きていくために意識的に適用することで、人類の生活とその歴史を築いてきた。それを通じて人類の頭脳はいっそう高度に発達し、進化してきた。

 宗教は、その人類の頭脳が人類史の中で生み出した、壮大なイマジネーションであり、「すばらしい誤解」であったともいえるのではないか?私は釈迦やキリストというおそらくは現実に存在したであろう宗教者たちを、一個の人間としてある種の尊敬の念を持って見ている。彼らとその弟子たちが営々と苦難の道の中で生み出してきた、宗教的思想は、そこに生きてきた多くの人々の大きな精神的支えになってきたし、非常に深い思想である。それはある意味、「宗教的真実」ともいえるものである。

 しかし、その宗教的遺産はいまや別の役割を果たすようになってきている。それは、資本主義社会の矛盾を補完する役割である。現代の資本主義社会は、つねに新たな新興宗教を生み出している。キリスト教も仏教もイスラム教も現代社会の中でメタモルフォーゼを遂げながらそれに適応するか、反発するかという形で変化させられながら存続している。

 資本主義社会の本質は、前回にも述べたように「お金」という人類が生み出した物質的存在への物神的崇拝であると言えるだろう。つまり資本主義社会こそ、ヒトをモノの支配に従わせる社会なのである。だからこそ、人々は、精神的な拠り所として宗教を求めるのだろう。

 だが、本物の唯物論者は、資本主義社会がその、資本主義的合理性の中から生み出してきたものであるとはいえ、現代科学技術の持つ人類史的役割を知っているはずだ。それはヒトをモノの支配に従わせるための手段として進歩してきたとはいえ、そこに含まれる科学的真理は、人類にとってかけがえのない遺産なのであり、この科学的遺産を正当な形で受け継ぎ、今度はそれを逆転し、ヒトが自然的物質の一部であるという自覚のもとに自然の中の人類の発展という視点から新たな進歩に向かわせることが必要なのだということを。それは「神」や「ヘーゲル的絶対精神」や、まして「資本」という形の「疎外態」では決してなく、あるがままの真理を求めることがそのまま生きることの意義になるような社会を実現するために必要なのである。それを行う主体は、超越者の「インテリジェント・デザイン」などでは決してなく、自然の一部としての人類の頭脳が自然自身のの可能性を発見しながら、自然史のある段階で生み出された生物史のさらにその一段階で生み出された人類社会の歴史を意識的に創りだしてゆくと言う意味で、主体的自然としての人類の普遍的デザイン能力なのである。

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