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2010年3月26日 (金)

消費は購買の後に始まる

「消費者」という言葉が示すように、商品を購買する人々を「消費者」と呼ぶことが多いが、実は購買と消費は異なる意味を持っている。このブログですでに何度も述べているが、資本主義社会では、モノを売るために作るのであって、そのモノ(商品)が使用価値を持つのは、売るための手段に過ぎない。言い換えれば、作って売る側は、一旦売ってしまえば、そのモノがどう使われようと、そんなことには無関心なのである。しかし、そのモノが使用の場において、何か問題を生じた場合には、商品としての信頼性が失われ、売れなくなるので、それを恐れるのである。まして最近のように目の回るような早さでモデルチェンジする製品の一つ一つについて、どのように使われるか詳細な調査や予測などしていては市場での競争に勝てない。したがって、まず、売れそうな、つまり顧客が買ってくれそうな「魅力ある」商品をデザインする。そしてそれが売れ行きに影響が出そうな欠陥がないかどうかをあらかじめ考慮はするが、前評判が良ければ、発売後まずとにかく売りまくる。そして何か問題が発生した頃には次のモデルを用意しておくのである。こうして殆どの商品はその使用価値を最後までまっとうしきれないまま廃棄されるのである。その結果が途方もない無駄の生産という形で現れ、世の中にがらくたと廃棄物の山を築くのである。

 もちろん、こうした回転の速い大量販売が目的の量産品と異なり、一品一品丁寧に作られるモノも存在する。しかしそれらの少量生産品(多くの場合ブランド商品)は当然のことながら同じ使用価値を持った商品であっても高価になる。最近では、いわゆる「付加価値」(これについてもこのブログで何度も述べている)と称して、心理的価値観や美意識に訴え、それを利用して同じ使用価値の製品を高価で売る商法が一般的である。

 商品経済社会に於いては、消費あるいは使用は、商品が購買された後に始まり、商品がその本来の機構(使用価値)を発揮し、ある目的や欲求を充たすために消尽されて行く過程である。食料品ならば食べ終わったとき、工業製品ならば、それが本来の機能を果たし終えたときに、消費は終了する。消費の期間中、商品はその使用価値を発揮し、購買時に支払われた交換価値としての貨幣に表現された価値はそこで消えてなくなるように見える。しかし本当は消えてなくなるのではなく、それは使用した人々の、人間としての存在を継続させるという形で身体化される。それは価値生成実体としての人間の労働を担う労働力の再生産を行うのである。現実に社会の直接的生産過程を担う労働者は、こうして自分たちが生産した商品を自分たちが購入し、それを消費することによって自らの労働力を再生産し、それを再び資本家に売り渡すことで生産を繰り返しているのである。

 一方、労働力商品について見れば今度は事態が逆転する。生産手段を所有する資本家は、労働者から、その労働力の再生産費に相当する価値と等価な賃金との交換によって購入した労働力を生産手段と結びつけ、労働者に商品の生産を開始する。ここで資本家は労働力商品の消費を開始し、労働力を消費するのである。労働力商品は労働により価値を生み出し続け、やがて自らの労働力の再生産費に相当する価値を超えて労働を継続し続けさせられることによって剰余価値部分を生み出す。この自らの労働力の交換価値以上に価値を生み出すことができるという事実こそが労働力商品の使用価値なのである。したがって資本家は労働力商品の使用価値を徹底的に発揮させ、使えなくなるまでそれを使い果たす。

 派遣労働者法ができ、労働者は自分の働きたい場所や労働形態で自由に労働を選ぶことができる、という甘い言葉で看板を上げ、労働力商品を集め購買した後に、その使用価値の発揮は過酷を極める。そして剰余価値率が上がらなくなるや、使用価値がなくなった労働力を廃棄するのである。

 資本主義社会においては、すべての商品の消費は、市場での売買の後に始まり、市場の外で開始される。労働力商品はその価値以上の価値を生み出すことによってその使用価値を発揮させられ、労働力商品がその使用価値を発揮することによって生み出されるモノとしての商品は、その価値の大部分である剰余価値部分のもたらす利潤を資本家に与え、残りの価値部分は労働者の労働力再生産費として、労働者自らが生み出した商品と交換されることによって労働者に購買され、労働者の身体的維持のために消費されるのである。こうして資本家の手にはつねに労働力商品の使用価値をまっとうさせた結果としての利潤がのこり、それによって彼は生産手段を確保し続ける。一方労働者は自らの労働力を支出して生み出した商品を賃金によって買い戻し、ふたたび労働力しか持たない「消費者」となり続けるのである。

 現在では産業資本家が生み出す剰余価値の膨大な量の蓄積を金融資本家が支配し、新たな産業や商売に投資したり、為替差益を得るために莫大な金を右から左に動かすことで、労働者の生み出した価値の化身である資本が労働者自身を賃金奴隷として支配し続けているのである。

 

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