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2010年4月11日 (日)

疎外と孤独の中から

 前回のテーマは「上部構造」という言葉を使ったので、分かりにくい抽象的な内容になってしまった。そこで、もう少し体験的実感を伴った話にしようと思う。

 私はかつて研究助手として大学紛争に関わったことで、70年代全般を通じて、11年に渡って研究室で完全に「干され」ていた。その間、おそろしい孤独と疎外に耐えていかねばならなかった。このまま生きていても仕方がないという思いは常にあった。その間私を精神的に支えてきたのが、マルクスの経済学・哲学思想の研究であった。

 やがて生きる希望がほしくて「人並みに」結婚しようと思い、家庭を持ったが、このままでは子供達が暮らして行けなくなりそうなので、決心して、自分の思想を隠し、世の中で自分の存在できる場所を求めて、遅ればせながら研究者の道を再び歩むことにした。そのとき既に40歳を過ぎていた。世の中は「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われるほど日本の経済が好調な時期であり、学生の就職率も高かった。私はコンピュータ技術の可能性に大きな関心があったし、人間の個性や創造力の問題にも関心が高かった。そこから私の、世の中の「上部構造」の一部としてのデザイン論研究への道が再び始まったのである。

 20世紀も終わりに近づいた頃、私は懸命の努力の末、ようやく、デザイン発想支援の研究で一人前の研究者として認められるようになったのである。そしてそれからの10年間はその道に邁進した。しかし、自分の社会的ステータスが高まるにつれ、徐々に自己矛盾に苛まれるようになってきた。21世紀になって、一層その矛盾をむき出しにしてきた資本主義社会の中で、結局それを尻押しする立場で次世代を担う若者達を教育していかざるを得ないことへの矛盾である。

 大学で定年間近になった頃、私は再びマルクス経済学関連の文献を読むようになった。このような私の精神的苦痛による職務への態度の逡巡に対する嫌悪からか、私が後継者として育て上げようとした若手の研究者からも離反され、退職後は、なんと私の切り拓いてきた研究領域から私の影響力を完全に排除しようとする彼らの許し難い仕打ちに合ったのである。

 大学退職後、あるコンピュータ・ソフト会社でユーザ・インタフェースデザイン関係のコンサルをやってきたが、そこでこれまでの発想支援システムのアイデアをいままでと異なる視点から提案しようとしたことも実現できず、アメリカの金融恐慌から始まった世界不況の中でその会社の経営も行き詰まり、私も含めてコンサルは全員切られた。

 そして、いま、再び40年前と同じ(今度は年金生活者としてであるが)、疎外と孤独の中に投げ込まれたのである。その中から、私は残り少なくなった人生の時間を賭けて、このブログからあるメッセージを発信し続けようと思っている。

 その「こころ」は、世の中全体を覆っているおおきな矛盾の根底にあるその本質を見抜く直感、そしてそれを深めるための論理と倫理、これこそが研究者にとって本当に必要な能力なのである、ということである。その上で自分の専門とする領域で一体その解決に向けて何ができるのかを考えるべきであろう。世の中の上部構造の中に自分の居心地の良い場所を見つけ、そこでステータスを守ることに懸命になっている研究者は「本物」ではない。

 さて、かく言う私も、たった一人でこの巨大な資本主義社会と勝ち目のない相撲を取ろうという気はない。以前も書いたように、さまざまな同じ思いの人達と連携を取り、連帯の絆を深めることができなければ、結局は疎外と孤独の中で死んでいかねばならないのだ。そして私の専門としてきたデザイン論や創造性支援の世界で得た知識をそのためにいかに生かしていけるかが問題なのである。

 このような訳で、私のデザイン論にはつねに二重の層が内包されている。一つは、私自身が依って立っていた場所である現在の資本主義社会の分業形態の一つとしてのデザイナーの抱える矛盾に着目し、その職能を生み出した社会のメカニズムを批判するという層であり、もう一つは、その批判を通じてその先に、次世代の社会への展望とそこにおける人間の普遍的能力としての「デザイン力」がどのように発揮されていくべきかという視点である。最近、この二つの層の間に何らかの媒介項が必要なのかもしれないと考えるようになってはいるのだが。

 どちらにしてもこれからますます苦しい孤独な闘いとなるだろうが、私の考えていることは決して間違っていないと思うし、それが結局本来の研究者の仕事なのではないかと思うのである。最近視力の衰えも激しいが、モチベーションは決して低くない。

 このブログを読んで、何か感じたことや、反論したいことがあればぜひ下記にメールを入れて頂きたい。

 PGA00374@nifty.ne.jp

以上。

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