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2010年4月 8日 (木)

自分が自分であることの認識として表れる「上部構造」

 自分が何者であるのか、という問いは、自分が生きている社会や時代の中で、自分自身がどのような位置に存在しているのかを自己確認することである。普通、これは自分では意識しないが、外界との関係で「こちら側」としての自分を意識する場合にはつねに知らず知らずのうちに、そのような自己認識をしているのである。

 例えば、学生である「自分」は未だ、社会の中で果たす役割があいまいな状態であり、その意味では、まだ固まっていない自己認識とも言えるだろう。しかし、自分の職業や仕事の内容が決まり、そこで社会に対する役割が確定してくると、自分が何者であるのかをはっきり認識できるようになってくる。世間でいう「職業意識」とか「プロ意識」というやつである。現実には、「職業意識」を持てたとしてもいろいろな仕事をやってみてもそれが自分の「天職」ではないと感じ、次から次へと仕事を変えてみて、やっと「これが自分のやるべき仕事だったのだ」と感じるのに長い年月を要することがある。また生涯「天職」に巡り会えずに終わってしまう人も多いのである。

 一般的に言って「天職」に巡り会えたという実感を持つ幸せな人は、現実に日々動いている社会の中で、それが稼働し機能するために必要な法律や制度があり、その中で社会的機能を支える様々な形の分業形態が存在し、自分の能力や才能が、その一つにうまく嵌った場合に初めて感じることができる自己意識であろう。それはそれで良いことだと思う。

 ところで、マルクスは、社会の成り立ちについて、まず、その社会で必要とする生産物を生産・消費するための社会的仕組みがどのようなものであるかを示す「生産関係」を土台として、その上に、その生産関係を日々稼働されるための、法律や制度があり、その中で暮らす人々の「社会常識」が成り立っている「上部構造」が構築されているとしている。

 われわれが住む資本主義社会に於いては、商品の最高発展形態である「資本」が社会の土台である生産関係を支配し、それがうまく稼働するような仕組みとしての法律や制度があり、その中で、自分の役割分担を考えなければならないという上部構造が出来上がっているといえる。したがって、われわれの持つ「社会常識」はそのような上部構造を、普遍的で一般的な意識として捉えているといえるだろう。

 ある社会が比較的うまく機能しているときには、「社会常識」の内部からその矛盾は見えにくくなっている。しかし、その社会の内部矛盾が激しくなってきたときには、もはやこれまでの社会常識は維持できなくなり、根底からそれが問い直されなければならないときが訪れるのである。

 18世紀末のフランス革命では、王権に対し古い貴族社会の矛盾を突きつけて台頭した「市民(ブルジョアジー)」による革命が起こり、当時の社会を変革したが、マルクスが生きた19世紀中葉のヨーロッパでは、そのブルジョアジーが謳歌する「市民の自由」の内部矛盾が顕著な形で表れてきた時代を迎えていた。

 マルクスは、当時のブルジョアジー的社会常識の枠組みで経済学や哲学を論じていた「御用知識人」達の常識的枠組みをとことん批判し続ける中から、初めてその社会の生産関係を支配している、資本という矛盾の本質的存在を摘出し、そのメカニズムを解明することが出来たのだと思う。しかし、彼がなぜ、そこまで徹底した批判を貫けたかと言えば、それは彼が、非常に鋭い感性をもって社会の矛盾を捉える能力があったということと、それを理論的に解明する能力があったという、いわば個人的才能があったからだけではない。なによりも、彼が、その時代における真の意味での自分の役割を自覚したからであろう。つまり、ある真理を直観させる自覚と歴史観を、そのたぐいまれな分析力が可能にしたことにより、当時の社会常識の枠組みを超えた立場からそれを批判することが可能になったということだろう。マルクスの考え方の中には、自然科学を根底で支える唯物史観の延長線上に位置づけられる「歴史の科学」として社会科学を捉えようとする気概が感じられる。それは決して「宗教的教義」と並び称せされるような「イデオロギー」ではなく、人類が歴史的に獲得してきた普遍的真理と真実をさらに発展させようとする気概であったと思う。

 さて、今日のグローバル資本主義社会の「御用知識人」達が、マルクスの思想を無視あるいは「シカト」し、上部構造内での自分の役割を懸命にアピールする中で、本当にまっとうな歴史観を持ってこれらの上部構造そのものを批判できるほど気概のある知識人はいったい何人いることだろうか?

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