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2010年5月17日 (月)

異端の魂

 私は、ときどきやってくる恐ろしいほどの孤独感がもたらす浅い眠りの中でさまざまなことを思い巡らせる。自分がもう40年以上にもなる研究者としての人生で求めてきたものは一体何だったのだろうか?それは一言でいえば、自分の固有の存在意義とは何なのか、ということだったかもしれない。

 デザインの理論研究の道に入ってすぐに遭遇した学生運動の大波の中で、私は、世の中を見えないところで支配している法則性を知ることの重大さを悟らされた。それからの40年は心のどこかでいつもマルクスの考え方を自分のものにしようとする気持ちが働いていた。しかし、それはデザイン理論研究の世界では「異端」の烙印を押されることであった。一時はそういう自分をおもてに出さないようにして、コンピュータサイエンスや認知科学の世界でデザインの創造性の研究を行ってきた。しかしそれでも、その間も、マルクスの考え方が正当であると信じることができたのは何故なのだろうか?それは、ある種の直感であったように思う。ある考え方が持つ、真理探究への態度は、その深い内容を理解できないうちから、それが正しいという直感を感じさせるのかも知れない。

 例えば、マルクスの考え方を批判する人達の中で、マルクスは、資本主義社会の批判はするが、それに代わる社会の具体的デザインができていない、という人がいる。だから、その誤った理解が20世紀の半分を支配してきた、いわゆる「社会主義国」や「共産圏」を支配してきたような独裁的思想を生み出した、という人もいる。

 これは一面で真理であるかも知れないが、そこには次の様な誤解がある。マルクスは、サン・シモンやシャルル・フーリエらの様な空想的社会主義者の考え方を鋭く批判しており、徹底した現実社会への批判を通して、現実社会を支配している法則性を抽出し、そこから浮かび上がってくる方向へ進むべきだと考えていたようである。だから敢えて、安易な「理想の社会像」を描くことを避けたのだ。「空想的社会主義」は所詮、SFの世界であって、そこには想像力(創造力ではない)に任せて勝手にさまざまな次世代社会像が描き出せるが、ほとんどどれ一つとしてそれらは実現されない世界である。なぜなら、人間は正確かつ具体的に未来社会を予測することなどできないからである。だからこそ、人間はそれまで「神のみがそれを知る」として人間の成せる技ではないことを認めてきたのだ。「神」とは無縁のマルクスは、しかし、空想や神の御心ではない人間本来の能力を知っていた。

 マルクスは、その意味で、徹底した現実批判を通して浮かび上がってきた真実をよりどころとして、そのつど正しいと判断できる方向に進むことが、試行錯誤を経て、やがて現実的な意味でのよりよい社会への建設につながると考えていたのだろう。20世紀のいわゆる「社会主義国」や「共産圏」での思想は、その過程での、試行錯誤のワンステップであったのだと思う。それらは矛盾をあらわにして20世紀末に挫折してしまった。しかし、いまわれわれは、その挫折の原因が何であったのかを検証し、試行錯誤の階段をさらに一段上らなければならないのだと思う。

 デザイン理論研究の世界でも、最近、「デザインの再定義」などと銘打って、「デザインとは、未来に向かって、あるべき姿を構成すること」などともう何十年も前にICSIDかどこかで宣言されたことと同じことをいまさらもったいぶって掲げている研究者がいる。このような研究者はまず、現代の資本主義社会が生み出した分業種のひとつである「デザイナー」の職能を無批判に理想化あるいは普遍化するデザイン論の考え方(これがいまのデザイン理論の主流であるが)に疑問を持つこともなく、ただ普遍的な人間労働の本質である、構成的思考をそのままデザインの定義として唱えても、それは何も語り得てはいないというべきであろう。

 その意味では、現代資本主義が生み出した歴史的産物であるデザイナーあるいはデザインという職種の労働が置かれた現状を正しく捉え、批判することを通じて、そこから浮かび上がってくる、進むべき方向を見いだすことこそが、真理に向かっての試行錯誤の一歩であると考える私の「異端的」な立場の方がはるかにマシなのではないかと思うのである。

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