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2010年6月18日 (金)

まともなディスカッションができない社会

 民主党が、参院選になだれ込む形となったが、そこで管総理が民主党の公約について語った内容は、この前の衆院選のときの民主党「マニフェスト」で宣言されたことのどれもがまともに達成できそうもないことが分かってきて、こそくな修正を行っているという感じである。今度の参院選は、そう甘くはないですぞ!民主党が結局は「自民党左派」に過ぎないことが見え見えになってきたいま、選挙民はみんなそれを感じ始めている。

 それはさておき、選挙の度に思うことは、各政党の主張が、他政党との区別を明確にさせるという点に重点が置かれるのは仕方ないにしても、あたかも誇大宣伝を旨とする商品の広告のごとく、実際にできることからかけ離れた主張をするのは、はっきりいって「詐欺」に等しいということだ。

 虚偽や誇大な宣伝広告がまかり通る必然性をもっている社会であるのが、現代資本主義社会の大きな特徴であるから、当然と言えば当然かも知れないが、誇大宣伝と同時に相手をこき下ろし、クソミソにけなすことで自分の主張を目立たせる行為は、まったくのすれ違いになってしまい本当の意味でのディスカッションになっていない。そのツケを回されるのは結局、選挙民である。彼らは、そのウソとインチキに対する謝罪も保障もしないのであるから。

 それとある意味で対照的なのが、前にも述べたことがあるように、研究者の学会発表や論文発表の世界である。ここでは、若い研究者たちは、指導教員の指導のもとで、研究成果を発表することで、一人前の研究者としての資格を得なければならない。間違った主張を行うことはもちろん否定される。しかし、ある主張や仮設が、客観的に正しいということが、何によって確かめられるかは、分野によって様々であり、自然科学の分野では、観測や実験によってそれが検証されるが、社会科学や人文科学では自然科学とは異なる方法で判断されるようである。しかしいずれにしても、そこでは徹底したディスカッションが必要であり、それを通じて、正当性が問われる必要があるといえる。

 ところが、現実には(特に日本の学会では、というべきかもしれないが)実質的なディスカッションが行われることがきわめて少ないといえる。特に、権威のある学者の考え方や主張に関しては、異を唱えると、「異端」として扱われるか、無視されることが多い。そのため、何人かの。権威ある学者の説が、並列して存在し、「○○学派」「××学派」というテリトリーを築き合うことにもなる。自然科学の分野はまだしもこの傾向が少ないが、社会科学や人文科学の世界では日常的な風景である。残念なことに、工学の分野でもそれはあり、特に設計論やデザイン論といった、領域ではこの傾向が強いのである。

 ディスカッションは、相手を論戦でねじ伏せることが目的のディベートとは違い、何が真実なのかを問う、ということが基本的姿勢になければならない。ディベートが政治家達の特技であるならば、ディスカッションは研究者の良心を本質としていると言っても良いであろう。

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