« 菅さんこの現実をみてください! | トップページ | まともな研究者への期待 »

2010年6月11日 (金)

生活を護るための景気回復という虚偽

 民主党が鳩山ー小沢ラインから管ラインに変わったからと言って、「生活者」の捉え方が大きく変わることはないだろう。民主党も自民党も基本的にはこれに関しては同じ捉え方である。それは、生活者の生活を護るには、企業が利益を回復し、雇用が増え、企業が労働者に一定水準の給与を支払えるようにすることが重要で、そのためには景気回復がもっとも重要な課題である、という考え方である。残念ながら労働者階級のほとんどがこのような捉え方を「社会常識」として受け容れていることである。

 しかし、この捉え方は基本的に間違っている。まず、ここでなぜ「生活者」と呼ぶのかが問題である。毎日飯を食い、家に帰って寝るという意味では資本家や政治家も「生活者」である。しかし、彼らは、生きるために資本に労働力を売りに出している労働者ではない。「生活者」という捉え方と、社会的生産の原動力でありながら自らの実存を労働力商品として資本に売り渡すことでしか生活できなくされている「労働者」という捉え方では、まるで視点が異なるのである。

 労働者の労働形態は、資本主義社会の歴史的進展とともに変化し、その社会が置かれた場所や状況によってさまざまに異なっている。かってエンゲルスが「イギリスの労働者階級」で明らかにした19世紀後半のイギリス社会では、過酷な長時間肉体労働に晒されている肉体労働者が多数を占めていた。その後、いくつもの大きな戦争で多大な犠牲を払ったのち、アメリカ、ヨーロッパや日本で、労働者階級が資本側にあらたな政策転換をもたらすことで勝ち取った一定の生活水準も、いまの日本では、産業の中核だった家電・自動車などの耐久消費財の国内需要が頭打ちになり、全面的に輸出に頼る形になってしまったため、国際的な市場(商品市場および金融市場)の動向に大きく左右され、それらの企業ではたらく労働者は好むと好まざるに拘わらず不安定な生活に陥らされている。ましてや、それらの大資本の傘下にある中小企業では、さらに過酷な状態が進んでいる。

 さらに、もっとも生活に必要な食料や衣料の生産は、ほとんどが国内では行われず、輸入商品となり、それらを生産する中国やアジアの労働者の労働に頼っている。その一方で国内では、それら国外で生産された生活資料商品の販売や流通部門が多くの労働者を吸収している。さらには、社会的に必要な労働において労働者が生み出すすべての富を、産業資本家を踏み台にして吸収し、資本の頂点に立っている金融資本関係の企業(銀行、証券会社など)にも労働力として吸収される「幸運な」労働者もかなりの割合を占めている。また、資本主義社会の腐朽化にともない増加した第三次産業と呼ばれる、エンタテイメントやレジャー観光産業などに多くの労働者が吸収されている。そして「サービス産業」と呼ばれる(実はいわゆる「付加価値」による利益を目的とした資本)が次第に多くの労働者を吸収するようになってきている。

 これらすべてを「生活者」と言ってしまっては、何も見えてこないのである。毎日過酷な労働に晒され、値賃金に耐えて生活する、労働者、比較的リッチな生活でレジャーや付加価値商品を好んで購入する労働貴族、と労働者の中にもさまざまな「格差」が存在する。

 しかし、こうした格差をばらまきや無料化で場当たり的に手当てすることが問題の解決ではない。肝心なのは、あらゆる労働部門で社会的に必要な労働を行っている労働者の生み出す価値の大半を「無償」で「合法的に」獲得し、それらを金融資本という形で運用することで、莫大な富を蓄積しその分け前を奪い合うという本質をもつ現代資本主義社会の仕組みへの批判なのである。グローバルな市場競争とは、実は国境を越えた世界資本の内部で起きている、こうした富の奪い合いの競争なのである。

 世界中の国々で国家間の経済的「格差」を利用して安い労働力の獲得に奔走する資本は、結局、過剰流動資本という形で世界資本に蓄積された途方もない大きさの富を、株や債権などの国際的信用市場での思惑による売買で動かし奪い合う。それが各国の金融市場での不安定な動きを生み出している。

 資本側は、いかにして少ない労働者で多くの利益を獲得するかに血眼になっているのであって、失業者を減らして労働者の生活を安定させることなど、本当はどうでもよいのである。経団連のいう「社会に貢献する企業」というのは、国際的過剰流動資本からできるだけ多くの分け前をぶんどり、それを日本の資本家たちが分け合い、それらの資本家たちの経営する企業が倒産しないようにするために労働者を低賃金でつなぎ止めるということを「経営者的な表現」で言っているに過ぎない。

 問題は、資本がこれまで労働者から奪い続けてきた、「自分たちに必要なモノの生産は自分たちの手で行い、その成果の社会的配分も自分たちの手で実行する」という人間として当たり前の能力を、労働者階級側が、自分たちの能力として取り戻すことにあるのだ。それが達成されることで初めて、自分たちの手で生み出した社会的な富が、自分たちのために使われる社会がやってくるのである。

 要はその目標に近づくために、一歩でも歩みを進めることである。それにはまず自らも陥っている、「社会常識」の中にある「虚偽」を見抜くことである。

|

« 菅さんこの現実をみてください! | トップページ | まともな研究者への期待 »

経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/210651/48599787

この記事へのトラックバック一覧です: 生活を護るための景気回復という虚偽:

« 菅さんこの現実をみてください! | トップページ | まともな研究者への期待 »