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2010年7月14日 (水)

セルジュ・ラトゥーシュの主張(続き)ーmizzさんのコメントへの回答

 ラトゥーシュの主張に賛意を示した、前回の私のブログに、読者のmizzさんからコメントがついた。実は、私はこのブログの最後に「マルクスも共感するだろう」と書いたのだが、mizzさんのコメントが付く前に、その1行を削除した。自分でも少々軽率であったと気づいたからだ。

 確かに、朝日新聞のインタビュー記事でのラトゥーシュの主張の中には、資本主義経済の仕組みに関する分析がないように見える。彼の主著を読まないと断言はできないが、その主張は、成長神話の単なる「うらがえし」であるようにも見える。普通の市民感覚からも容易に導き出される主張だからである。

 例えば、mizzさんの指摘するように「経済成長」という概念そのものが、資本主義経済の用語であって、そこでは何が「成長する」のか明らかにされていない。マルクス経済学的に言えば、ここで言われる「成長」は、資本の増殖を意味するのであって、これをそのまま、労働者階級の基本的に人間としての権利や主張の成長と見るのは間違いである。

 したがってラトゥーシュの主張に、全面的に賛同するのは尚早であると反省した。しかしいまの政治指導者たちの中で、主流となっている成長神話からみれば、まっとうに見えることも確かである。経済成長神話がふつうの市民感覚から見てもおかしいからである。

 資本主義生産様式においては、現実に社会全体を支えるさまざまな労働を行っている労働者が、自分がこの社会で何者であるのかという「社会的実存」を資本の論理においてしか実感できない仕組みができており、それがあたかも資本が成長することによって自分も豊かになれるかのような幻想を生み出す基盤になっているわけであるが、成長神話はそれを足がかりにして出てくる考え方である。

 振り返ってみれば、一方で、資本が数百年に渡って、植民地略奪と戦争を繰り返すことで地球の自然を食いつぶし、労働への支配力を拡大することで蓄積してきた資本が過剰化し、そのままでは投下した資本に見合うだけの利潤が生み出せなくなって金融破綻による「経済恐慌」に陥り、他方で資本主義体制に反対する社会主義勢力の拡大による圧迫が強ままった1930年代に、すでに資本主義経済体制は危機に陥っていたのである。

 しかしそこで、資本主義体制は、労働者階級の生活資料商品市場を、過剰資本の「処理場」として位置づけることで、あたかも労働者の「所得」(実は労働賃金は所得ではなく資本の還流の一環にすぎないのであるが)が高騰し、それによって、生活資料をどんどん買うことができるようになり、「豊かな社会」が実現したかのような幻想を生み出すことに成功したのである。一方で社会主義体制側では、独裁的官僚による労働者支配が確立し、先進資本主義国側の労働者の生活とほど遠い悲惨な状況が生み出されていった。そこに生まれた「豊かな中間層」という幻想が、ひとつの理想的姿として定着し、世界中の労働者の目標となっていったと考えられる。その中で「経済成長神話」がご用経済学者の定番となっていったのであろう。

 しかし、社会主義体制が自滅してしまった(だからといってマルクスの考え方が間違っていたということには決してならないのであるが)後、「一人勝ち」して「自由市場社会」という幻想の元にグローバルな支配を確立した資本主義社会の「修正版」も今日ではボロボロの状態である。必要もない生活資料商品をどんどん買わせては、捨てさせ、膨大な消費という形で、地球上のあらゆる自然を食い尽くし、そのために労働を支配し、労働者は結局は自分たちが「使い捨ての労働力商品」でしかなかったのに、ありもしない「豊かな中間層」への回帰という麻薬を呑まされ、地球全体の荒廃と人々の社会的実存における退廃状況を生み出してしまった。これでは、もはや成長神話は生き延びるすべもない。

 だからmizzさんの言うとおり、「脱成長」というスローガンではだめであって、むしろグローバルな規模で生産における労働者階級の支配権を取り戻し、資本主義的市場経済の法則から脱却することこそがスローガンになるべきなのだと思う。

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コメント

「通りすがり」さん、コメントありがとうございます。確かに、もう少しキチンとラトゥーシュの考え方を検討してからその批判を書くべきでしたね。まだ理解していない部分があるかもしれないので、ご忠告通り「経済成長なき社会発展は可能か?」を購入して呼んでみることに致します。
 批判することとは、同時に自分自身もそれによって変革せざるを得ないということですから、その意味で心して行うべきことだと肝に銘じます。

投稿: 著者より | 2010年11月10日 (水) 23時06分

 ラトゥーシュの邦訳された著作、『経済成長なき社会発展は可能か?』を読まれましたか? 
 彼の主張には確かに、まだいささか具体性に欠けるところはあります。しかし、彼の提案はゼロ(あるいはマイナス)成長とは全く違います。むしろまさしく貴方の記事の末尾で触れたような「資本主義的市場経済の法則から脱却する」ことを目指すものであり、かつ過去への回帰という不可能なものではなく、全く新しい社会の構築を目指すものです。
アマゾンのリンクを張っておきますので、ぜひご一読ください。彼の主張の妥当性が理解できると思います。
http://www.amazon.co.jp/%E7%B5%8C%E6%B8%88%E6%88%90%E9%95%B7%E3%81%AA%E3%81%8D%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E7%99%BA%E5%B1%95%E3%81%AF%E5%8F%AF%E8%83%BD%E3%81%8B%EF%BC%9F%E2%80%95%E2%80%95%E3%80%88%E8%84%B1%E6%88%90%E9%95%B7%E3%80%89%E3%81%A8%E3%80%88%E3%83%9D%E3%82%B9%E3%83%88%E9%96%8B%E7%99%BA%E3%80%89%E3%81%AE%E7%B5%8C%E6%B8%88%E5%AD%A6-%E3%82%BB%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A5/dp/4861822971

投稿: 通りすがり | 2010年11月10日 (水) 22時00分

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