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2010年7月26日 (月)

プロボノという労働形態

 WikiPediaによるとプロボノは、pro bono publicoというラテン語からきた造語であり、弁護士など法律に携わる職業の人々が無報酬で行う、ボランティアの公益事業あるいは公益の法律家活動をいうらしい。それが現在では、さまざまな職業的専門知識や技術を身につけた人たちが、その能力を生かして、ボランティアとして無報酬の公益活動に参加することを指すようになったそうである。最近では、自分の能力を自分の勤務している企業だけではなく広く社会のために役立てたいと望む人たちが増え、プロボノが盛んになりつつあるという。大いに結構なことである。

 しかし、リタイアした人たちならまだしも、実際に現役で企業などで働く人がこうしたプロボノに参加しようとする場合は、企業の労働時間を減らしてそれに参加するか、休暇を使って参加するしかない。少しでも労働時間を減らしたくない企業からすれば、困った話だろうと思いきや、どうやらそうではなさそうである。企業側では、自社の社員が、自分の持ち場と違う場で、いつもとは違うさまざまな問題を解決するために働くことで、その創造性を刺激され、専門的能力を磨き上げるチャンスを与えてくれると見ているようである。そして、それは結局、自社の競争力を高めてくれると考えているようなのである。

 要するに企業は、プロボノのようなボランティア活動は、企業に間接的に利益になる限りにおいてそれを認めているのであって、社会が必要としているが利益に結びつかない公益的活動は、単に従業員が労働意欲を取り戻し、同時に社会貢献できたという充実感を持たせることによって自社の業務にいっそう励んでくれるようになるための手段として意味があるが、企業の本来の目的ではないということである。

 さて、ここでちょっと暑さで熱中症になりそうな頭を冷やしてよく考えてみよう。

 まず、第1に、なぜこうした活動が盛んになってきたかを考えてみると、さまざまな企業での労働現場で働く人たちが、その職場では社会的な役割を果たし切れていないという実感を持っているからなのではないだろうか?もし、企業での労働を通して充分社会貢献ができていると感じていれば、そこでの労働時間を割いてまでプロボノを始めようなどとは思わないのではないだろうか?

 第2に、企業における労働の外で、無償労働としてしか、社会的な公益活動ができないという現実があるのだということ。

 第3に、企業は自社の労働内容に拘束されていたのでは、従業員(労働者)の創造性が磨かれないと認めているということ。

 つまり企業活動は社会的に必要な労働を直接その業務として行うことではなく、あくまで「利益追求」が第一の目的であること。その手段としては、社会的公益活動を利用するにやぶさかではないということ。そして、企業の専門職に就いている労働者は、その専門を直接社会のために生かすのではなく、企業の利益追求の一環を担うことを前提とした形でしか、つまり本来の目的と手段を逆転させた形においてしか、専門的能力で社会貢献することはできないのだということである。だから、専門職の労働者がまったく当然にも、自分の専門的能力を社会のために役立てたいと念じてもそれが企業活動においてはなし得ないという実感を持ち、ボランティアとしての企業外活動でそれを実現しようとするのである。

 プロボノは確かに新しい現象であるかもしれないが、これはあくまで、資本主義経済法則のくびきのもとで、労働者がなんとか社会貢献したいという切実な願いを果たす一つの過渡的な形態であると考えるのが本当ではないのだろうか。本当の意味で、労働者の専門的能力がその創造性を発揮して直接に社会貢献できる体制は、まだまだ現実のものになり得てはいないのである。

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