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2010年7月13日 (火)

セルジュ・ラトゥーシュの主張

 今日の朝日新聞夕刊の「文化」欄に、いま来日しているセルジュ・ラトゥーシュというフランスの経済哲学者とのインタビュー記事が紹介されていた。正直言って私はこの人のことを知らなかった。しかし、この朝日の紹介記事で読む限り、非常にまともな考え方をしている学者のようだ。

 彼の考え方を一言で言うと「脱成長(デクロワサンス)」ということである。経済成長神話はすでに崩壊しているという点で、私と同じ見解である。彼は、「私が成長に反対するのは、いくら経済が成長しても人々を幸せにしないからだ。成長のための成長が目的化され、無駄な消費が強いられている。そのような成長は、それが続く限り、汚染やストレスを増やすだけだ」と述べ、「地球が有限である以上、無限に成長を持続させることは生態学的に不可能だからだ」とし、「持続的に可能な成長」という表現自体が、語義矛盾だと指摘する。まさにその通り。こんなあたりまえのことが、いまの世界中の資本主義国(中国も含めて)の指導者たちには何も分かっていないのである。

 経済が成長し、どんどん世界中の富を増やしていけばみんながリッチになって幸せになれるという、馬鹿化た幻想が世界を徘徊しているのである。日本の指導者たちは、まず経済成長ありき、それによって雇用や税収の問題を解決し、社会保障も充実させてゆく、という発想であるが、これは例え一時的に経済が「回復」したように見えても、結局はその後、より深刻で致命的な破綻を迎えることになるだろうことは確かである。

 ラトゥーシュの指摘を待つまでもなく、これからの社会は、いかに地球という閉じられた世界の中で、貴重な資源を節約し、無駄な消費を止め、限られたリソースをいかに合理的に公平に社会に還元できるかを経済学者は考えるべきなのである。これまで世界中で、数百年の労働の中で、おそらくは述べ数百兆人におよぶ人々が何世代にも渡って一生懸命働いて築き上げてきた人類の富を、ほんの一部の人間たちの支配から解放し、それを必要としているすべての人々に再分配すると同時に、その大半を社会的な共有ファンドとして社会保障にあたる内容の事業を拡充させることこそ必要なのであって、それ以上の過剰な「成長」を止めるべきであると思う。

 ラトゥーシュは、インタビューワーの、「物質的な豊かさを達成した「北」の国々だけでなく、「南」の貧しい国も成長を拒否すべきなのだろうか。」という質問に対して、「北の国々による従来の開発は、南の国々に低発展の状態を強いたうえ、地域の文化や生態系を破壊してきた。そのような進め方の成長ではなく、南の人々自身がオリジナルの道を作っていけるようにしなければならない」と答えている。これもその通りである。

 今日、アジアやアフリカ、ラテン・アメリカなどで、経済的貧困国とされている国々は、むしろ、最近になってグローバルな資本主義的経済システムに組み込まれることによって、そうなったのであって、それ以前の独自な地域社会が崩壊させられ、資本主義文明によって「貧困化」させられたのである。日々の生活に必要なものがすべて商品として購入しなければ手に入れられなくなったとき、それまで自給自足的生活をしてきた彼らは困窮し、自らの労働力をおどろくほど安い価格(賃金)で売りに出さなければ生きてゆけなくなるのである。そして、そのようにして生み出された「安い労働力」によって先進資本主義国は潤ってきたのではないか!

 ラトゥーシュは、インタビューの最後で「彼ら(欧州や日本の政治家たち)は、資本主義に成長を、緊縮財政で人々に節約を求めるが、本来それは逆であるべきだ。資本主義はもっと節約をすべきだし、人々はもっと豊かに生きられる。我々の目指すのは、つましい、しかし幸福な社会だ」と結んでいる。

 私は彼の主著「経済成長なき社会発展は可能か?」をまだ読んでいないので、明確なことは分からないが、彼が主張する考え方に基本的に同意し、共感を感じる。

ー追記:ただし「成長」が具体的に何の成長を指すのかを明らかにしなければいけないし、同様にそれに対する「デクロワサンス」の中身についても分析が必要である。

ー追記:このブログを読んだ方は、ぜひこれに付けられたmizzさんのコメントと、それに対する私の回答も読んで欲しい。そしてさらに2011.1.28から10回にわたってこのブログに連載した私の「セルジュ・ラトゥーシュへの思想に関する考察」シリーズを読んでいただきたい。

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コメント

http://www.diplo.jp/articles04/0411-4.html#1 から読んだ。申し訳ないが多少水を注す。

少し前には「持続可能な成長」とか云っていたことを忘れる分けにはいかない。今度は、縮退 と言う。経済成長至上主義者から見れば、とんでもない思考だが、資本の状況から見れば、現状維持の安定化理論として、これで時間稼ぎというか、現状温存に持ち込めれば、それもありかと感じていることだろう。

確かに、無成長 成長の収縮 成長の減速 脱成長 と言葉は並ぶが、経済成長以外の成長の話はそこにはない。人間としての成長がない。現状維持こそ、貧困と南北状態を改善するという珍妙なる理論に陥る種としか見えてこない。

何が成長したのか。それがなぜ成長したのか。その結果がなぜ成長の制約となるのか。または、成長の結果が問題となるのか。の分析が弱すぎる。

開発の名称でやられているものを見れば、資本の拡大以外のものが本当に見当たるはずもないではないか。開発の治療薬か予防薬か鎮痛剤を手当して、多国籍企業群からの呪縛を解放する話では、困ったもんだ。

資本の自己保存に手を貸すようなご親切な論理の変種に見える。やはりそこに資本論がないと本物じゃない。資本と労働力商品の把握がないと単なる持続可能の二番煎じにしかならないだろう。

いや、資本論をそおっと隠す手法にも見える。多分それほどの期待は持てない。大化け期待がないわけではないが、現資本主義生産体制の云わしめる範囲を越えるものとは思えない。

もっとも、資本が資本を抑制することはなおさらありはしない話であるから、これでは助かるはずもない。幻想的な資本主義体制修正論とでも。資本が怖がる部分はない。もうブッシュでも反論しないだろう。

投稿: mizz | 2010年7月13日 (火) 23時44分

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