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2010年9月 1日 (水)

ハイエクの「自由主義」をめぐる問題について(その1)

 資本主義経済体制の「理論的」指導者であり、ケインズ派に対抗する「理論家」としてしばしばフリードリッヒ・ハイエクが取り上げられるので、書店で見つけた、池田信夫著「ハイエク〜知識社会の自由主義〜」(PHP新書)という文庫本を読んでみた。

 資本主義体制を普遍的な経済体制として捉える理論家の内部での論争にについては、私自身あまり知識がなかったので、そういう意味ではこの本はその世界でのいろいろな事実を学ばしてくれた。もちろん、池田信夫=ハイエクではないので、この本に書かれているハイエク像は池田信夫によるハイエクなのであるが、そこには実に見事に資本主義社会の基盤的思想となっている「自由主義」の性格(決定的矛盾を内包する性格)が表現されているのでおもしろかった。さらに池田信夫はマルクスを拾い読みしてマルクス主義に関する断片的知識を持っているようなので、池田信夫的マルクス像との対比でハイエクの「自由主義」が描かれているのでますますおもしろい。

 私は、この本を読む少し前に宇野弘蔵の「資本論の経済学」(岩波新書)を読んだので、これとの対比で資本主義的「自由」の本質を考えることは非常におもしろかった。極端な言い方をすれば、私の中でくすぶっていた、人間の実践における計画性や目的意識性に関する問題といわゆる「広い意味でのデザイン行為」というとらえ方の間にある深刻な問題(これはマルクスの労働過程論で表現されている内容と本来の社会主義経済における計画的経済の問題に関わることでもある)への歴史的な重大性とその検討の必要性をあらためて痛感させることになったと言ってもよい。

 しかし、まだこの問題について系統的・体系的に述べるまでに、私の思考がまとまっていないので、ここでは気の付いたことをいくつか述べるにとどめることにしよう。

 その第一は、池田信夫が言う「社会主義的計画経済」はマルクスのそれではなく、スターリンやその一派によって確立された、共産党独裁政権のもとでの一国社会主義的政策の一環としてなされた経済政策を指しているということ。

 第二は、1930年代の世界恐慌のさなかに実施された資本主義体制の実質的修正による、国家機関による経済体制の間接的コントロール(アメリカでルーズベルト大統領により実施されたニューディール政策などの財政政策とその後の戦争によるその「成功」と1970年代におけるその停滞、および戦後のイギリスで実施された労働党政権主導による経済体制に代表される国家主導型経済政策とその後の漸次的停滞化、という事実を、資本主義経済への社会主義的要素の導入による失敗と捉え、その後のレーガンやサッチャーによる「小さな政府」政策による国家機関の市場経済への介入の縮小とその一定の成功をケインス派の挫折と考える見方。

 第三に、それに対する、フリードマンなどのシカゴ派によるいわゆる「新古典主義経済学派」の提唱する、目的関数による計算論的な経済モデルの持つ矛盾を、市場の計画経済モデル化による矛盾として捉える見方。

 第四は、それらを「計画主義」として一括りにし、それに対して、ハイエクの主張する、してはいけないことのルールだけを決めてあとは市場に任せることにより、「意図せざる結果」が結局は経済のバランスを可能にする、という「自由主義」的思想を対比させる。

 おおむねこれが池田信夫の論旨であるようだ。これに対して、宇野弘蔵の興味ある指摘を引用しておこう。「...いわゆる無政府的生産といわれる資本の生産も、つくりすぎた商品は値段が下がり、不足する商品は値段が上がって、その間に価格の運動を通じて社会的に調節せられることになるのであって、その点では価値法則が、これを規制するといってよいのです。いいかえれば、商品経済の無政府性(これがハイエクの主張する「自由主義」と「意図せざる結果」の基礎である)は、特に資本家的商品経済では、決して無法則ではない(つまり資本主義経済が価値法則によって支配されているということ)のです。むしろ両者は表裏一体をなしているのです。」(資本論の経済学 p.28 アンダーラインおよび括弧内の注釈は野口による)このひとことを見ても宇野弘蔵が池田信夫より数百歩も数千歩もさきを行っていることが分かる。

 しかし、池田信夫はさすがに東大出のエリートだけに、そう単純素朴ではない、さまざまな思想家の考え方を断片的にちりばめてハイエクの思想を擁護しているので、批判する側もそれなりに構えなくてはならない。これからそれを少しづつ具体的にそれを進めることにしよう。

 しかし、もっと重要な目的は、ハイエクや池田信夫の批判などにあるわけではなく、さらにそのずっと先にある、われわれが目指すべき、計画的経済体制の輪郭と、その方法論としての「計画的実践とは何か?」という問題についての考察を進めることにあると考えている。もしかすると、これこそ私のライフワークとしての研究テーマになるかもしれないという予感を感じつつ。

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