« 「就活」という労働力商品市場の姿から見えてくるもの | トップページ | グローバル資本主義体制の「成長」を牽引する中国政府の強圧的態度 »

2010年9月23日 (木)

自由な競争が安くて良い商品を育てるという神話

 このところ厳しい暑さが戻り、少々疲れが出てしまったが、ようやく少し気温が下がり再び頭脳労働が出来るようになってきた。

 ところで資本主義経済の社会では、自由な市場での自由な競争が安くて良い商品を育てるという定説がある。では次のような事実をどう受け止めるのか?

(1)「○○焼きそばと××焼きそばグルメ対決!」これは食品メーカーの広告ではない、私の住んでいる町の郵便局に掲げられているポスターである。つまり地方特産の焼きそばをゆうパックで送るというサービスの宣伝なのである。郵便局が焼きそばの広告を出しているのだ。

(2)私が長年非常勤講師として働いていたある高専での最後の授業で、私は学生に対して「君の使っている携帯電話のすべての機能を挙げて、その中からいつも使っている機能を5種類までランク付けして挙げてください」という内容のアンケートを行った。その結果は人によってばらつきはあったが、平均35種類の機能が挙げられ、集計結果から、いつもよく使う機能は、1位電話、2位メール、3位電話帳、4位アラーム、5位メモ、という結果が出た。1位〜3位は「携帯電話」である以上当然の機能というべきであろう。それ以外の機能は人により様々で、ばらつきが大きかったが、データフォルダ、インターネット、電子辞書、カメラなどが5位以下では複数の人に使われている機能だった。つまり35種類もある機能はその3/4がほとんど使われていないことになる。しかし携帯電話を買うときにはずらりと店頭に並んだ多くの商品を比較して、「この機種が機能が多いのでこれにしよう」と考える顧客が多いということだろう。要するに使うための機能ではなく買わせるための多機能なのである。その機能を実現させるために膨大な労働力(設計・デザインを含めて)とエネルギーや資源がそこに注がれている。

 これはほんの一例に過ぎないが、このたぐいの例はいくらでも挙げられる。つまり、商品本来の(本当に必要な)機能での競争ではなく、いわば二次的で付録的な機能での競争がもっとも熾烈な市場競争の焦点なのである。その一方で、郵便事業のより公共的な面での利便性が犠牲になったり、携帯電話本来の使いやすさ(例えば高齢者向けの分かりやすいインターフェースや必要な機能のみに絞られた安い電話機など)への取り組みがおろそかになっている。

 それはなぜか?商品本来の機能を磨き上げることでは、それに要する時間や投資額に見合った利益が得られず、市場での熾烈な競争に負けてしまうからだ。手っ取り早く顧客の欲望をかき立て、とにかく「買わせてしまう」ことが競争に勝つための必須の要件なのだ。そのためには必要以上の「欲求」を生みだし、そこに「ビジネスチャンス」をひねり出すしかない。だから次から次へと、「無駄」と「無意味」が生み出されてくるのだ。デザイン労働者の能力はもっぱらこうした目的で用いられる。

 自由な競争は必然的に過当競争となり、そこから生み出されるのは競争相手を叩きつぶしてもかまわないという市場経済的論理と倫理であり、かぎりない無駄や無意味の生産で資源やエネルギーの無駄遣いを促進し、環境破壊を繰り返すしかなくなる。「自由な商品市場」の行き着くところは結局こういう過当競争の世界であり、それによる潰し合いである。

 しかし、現代の資本主義社会では、この膨大な「無駄」と「無意味」によって雇用が生まれ、経済が回っていく仕組みになっている。世の中の人々はこの「無駄」と「無意味」な消費をすることによって自分たちが「豊かな」生活をしていると勘違いしている(させられている)のである。

 ところで資本主義社会では人間の能力をも労働力商品として労働市場で売買されることはすでに述べたとおりであるが、資本家同士の競争によりいわゆる「合理化」(人減らし)が進むにつれて、資本構成の高度化(労働力としての可変資本に対する生産手段などの不変資本の割合が大きくなる)によって少ない労働者が多くの生産物を生産するようになると、雇用労働者数が減り資本が搾り取れる剰余価値量が企業全体としては減るので、必然的に事業を拡張し、労働者数を増やさなければやっていけなくなる。しかし、今日のような段階(社会的に必要な商品生産量が飽和状態になり労働力が過剰になる)では、それも壁にぶつかり、「合理化」によりクビを切られる労働者数の割合と事業拡張の割合とのバランスが保てなくなってきたのだ。つまり合理化によって利益増加を維持している資本側は、労働市場に「労働力商品予備軍」があふれているのに、それを積極的に買おうとはしなくなっている。だから企業が景気を回復しても雇用は一向に増えないという状態になるのだ。このような状況においては、労働力商品同士の競争が激しくなり、自分の持つ本来の固有の能力ではなく、資本側に媚びて自分をねじ曲げてでも労働力を売りに出さざるを得なくなる。労働力商品市場での過当競争である。これは労働者同士での足の引っ張り合いや潰し合いという、冷たい人間関係の世の中を生む。

 その結果、一方で労働基準法の換骨奪胎による低賃金労働の日常化と、「合理化」による人手不足にも拘わらず労働者を雇用しないことによる既雇用労働者の長時間労働や労働過重の日常化(巷に失業者があふれているにも拘わらず)、そしていつでもクビに出来る非正規雇用労働者の急増、他方で、水ぶくれ的に種類の多くなった商品の質の低下とそれらへの購買による「貧者への浪費の押しつけ」などなどである。

 これが「自由な競争」を謳歌する資本主義社会の実像であり行き着く姿である。

|

« 「就活」という労働力商品市場の姿から見えてくるもの | トップページ | グローバル資本主義体制の「成長」を牽引する中国政府の強圧的態度 »

新デザイン論」カテゴリの記事

経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/210651/49535231

この記事へのトラックバック一覧です: 自由な競争が安くて良い商品を育てるという神話:

« 「就活」という労働力商品市場の姿から見えてくるもの | トップページ | グローバル資本主義体制の「成長」を牽引する中国政府の強圧的態度 »