« ハイエクの「自由主義」をめぐる問題について(その4) | トップページ | 「広い意味でのデザイン」の矛盾 »

2010年9月 5日 (日)

ハイエクの「反計画主義」をめぐる問題

 ハイエクの「自由主義」がいかに資本主義経済を支配している価値法則への無知に基づいているかは前回までに述べたとおりである。今回は、その「自由主義の」反面である「反計画主義」について、いわゆる計画経済との関係と、さらにデザイン論での「広い意味でのデザイン」というとらえ方との関係を考察してみよう。

 資本主義経済体制はサッチャー・レーガンそしてその「一周遅れの継承者」だった小泉・竹中による規制緩和による「小さな政府」に代表される、ハイエク的市場主義がさんざんな失敗に終わった後、再びケインズ的な「大きな政府」型資本主義、つまり、資本家同士の市場経済で賄いきれない部分を政府が補完的な機能を演じることでとりつくろう形の政治経済体制に戻ろうとしているかのように見える。

 このケインズ型(あるいは新ケインズ型)資本主義体制を「社会主義」だといって非難する人々には、そのまったく的外れな非難にはただあきれかえるしかないが、それらの人々に共通した「計画経済的な管理体制」への感情的な反発があるように思える。そうした感情の思想的な表現がハイエクの「自由主義」に裏打ちされた「反計画主義」であるといえるだろう。

 ハイエクの言う「計画主義」とは、トップダウン的で官僚や権力者が決めた全体計画にすべての人が従わねばならないという形のヒトラー的「全体主義的」体制、あるいはスターリン的社会主義の体制を指しているのであって、資本家的企業がその組織の経営方針などを計画的(トップダウン的)に決めることは、その非難の対象から外されている。つまり資本家企業の経営者は、「自由社会」での代表的個人であって、彼らが私有する企業ではその運営や管理は徹底して計画的に行わねばならないが、それら資本家すべてが利己的で自由な競争のもとで利益を追求する場としての市場は管理されてはならないという主張である。

 この主張には明らかな矛盾がある。それは、一方で、特定の資本家が一人勝ちして甘い汁を独占させないようにするため市場への参入の自由、競争で相手をつぶす自由、労働力商品を出来うる限り安く買いたたく自由を確保しながら、他方で徹底的な合目的性において労働力の使用価値を使い切る、つまり徹底的に労働を搾取し、必要な場合に「合理化」のために労働者のクビを切るのである。

 この矛盾が、本来社会全体として必要な生活資料の生産が、生産手段の私有を前提に行われる資本主義社会の矛盾であることをマルクスは指摘しているのである。マルクスの資本主義社会への批判の中で重要なことは、社会的に必要な労働の持つ本来の合目的性が、生産手段を私有する資本家の利潤追求の手段とされてしまうことで、労働の目的意識が労働者の手から奪い取られ、資本家の利潤獲得という目的にすり替えられていることである。それによって、社会的な生産全体が、無政府的競争市場で売るための、商品の生産となり、生産体制全体が無駄な消費を促進するような経済体制が出来上がってしまっているのだ。

 この矛盾を克服するためには、労働者が生産の実権を握り、社会的な生産における合目的性を自分たちの目的意識として取り戻さねばならないのである。

 マルクスの目指したのは、こうした体制を確立し、労働者自身が生産の目的と運営を計画的に行えるような社会を実現させることであったといえる。その意味でそのような社会は、完全にボトムアップ的な計画性を持った社会であり、後にスターリンが生み出したような、党官僚が労働者を支配しトップダウン的な計画で運用される社会ではない。ましてそれはハイエクのいうような最初から完璧な計画で作られることなどはあり得ないことであって、資本主義社会への徹底した批判を通じてあきらかになったその仕組みの矛盾を克服するための確かなな指標を立て、その実現に至る過程は試行錯誤を繰り返すこと以外にはあり得ない。つねに目標の吟味を行いつつ試行錯誤で目的実現を具体化させることこそが、新しい社会の仕組みを創出させる唯一の方法なのである。

 ところで、デザイン理論界における「デザイン」のとらえ方においては、職能としてのデザイナーという現実から出発し、その職能内容の曖昧さからくる無原則な領域の拡大に従って、「広い意味でのデザイン」という概念が登場している。

 「広い意味でのデザイン」というとらえ方は、あたかも文明社会全体の形成を射程に入れるかのごとくに拡大され、「デザインとは、未来に向かってあるべき姿を構成すること」などと「再定義」されたりしているのである。

 この「再定義」では、「あるべき姿を構成する」主体が誰なのか一言も語られていない。もし政治的な権力を握ったヒトラーのような人物が、「われわれの社会の未来はこうあるべきだ」と主張し、それを社会全体の人々が「構成させられる」ことになったらどうなるか、まさにハイエク的「反計画主義」のターゲットにされそうな定義である。

 この問題については次回でさらに考察を行うことにしよう。

|

« ハイエクの「自由主義」をめぐる問題について(その4) | トップページ | 「広い意味でのデザイン」の矛盾 »

新デザイン論」カテゴリの記事

経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/210651/49358382

この記事へのトラックバック一覧です: ハイエクの「反計画主義」をめぐる問題:

« ハイエクの「自由主義」をめぐる問題について(その4) | トップページ | 「広い意味でのデザイン」の矛盾 »