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2010年9月 6日 (月)

「広い意味でのデザイン」の矛盾

 前回までは、ハイエクの「自由主義」と「反計画主義」の本質と矛盾について考察した。今回は、一転してデザイン論で用いられる「広い意味でのデザイン」の矛盾と、それが実はハイエク的「反計画主義」と無関係ではないことについて述べることにする。

 「広い意味でのデザイン」というとらえ方は、××デザイナーと名の付く職能の領域が拡大して行くにつれて、デザイン教育側が、それを一般化してとらえる必要が生じ、そこから登場した表現であると考える。それは、単に、いまある職能や仕事の中に含まれている共通の「デザイン的要素」を一般化した表現に過ぎない。そのため、そこには何ら現実の、従って個々の「デザイン的仕事」における矛盾やそれへの批判が含まれていない。だからそれは無内容で形式的な「抽象」でしかない。

 また、「普遍的な意味でのデザイン行為」という表現は、それに比べると、特殊と普遍という歴史的把握が含まれている点が違うが、それは川添登などに見られるように、マルクスの労働過程一般の記述(これについては資本論第一巻第三編第五章第一節「労働過程」を参照されたい)を「普遍的デザイン行為」という表現に置き換えているに過ぎない。じつはこれはかつて私自身の「デザイン行為」のとらえ方でもあったので、その自己批判も含めてこの論考を行う。

 「広い意味でのデザイン」は上述したようにデザインの現実への批判が含まれたいないので、その本質が「売るためのデザイン」であることや、それが資本主義的量産体制の中で分割された個々の分割労働全体を「上から」支配する生産物生産の目的意識(なぜそれを作る必要があるのかという)を資本家の目的意識にしたがった商品の全体像として具体的に表現するために必要となった一つの職能(デザイナー)が受け持つことになったという、歴史的事実を一切見ようとしないのが特徴である。だから「広い意味でのデザイン」は本質的に資本家のトップダウン的なデザイン観の表現であり現実のデザイン労働における矛盾を覆い隠す役割を果たしているといえる。

 「普遍的な意味でのデザイン行為」は、職能としてのデザイナー誕生の歴史的経緯を知っており、その意味でそれを歴史的に特殊な一つの時代(20世紀的資本主義社会)の産物であることを示し、それゆえその職能が持つ本質的矛盾(売るためのデザイン)を指摘しながら、本来あるべきデザイン行為として、マルクスの労働過程一般のとらえ方を対置する。それは「広い意味でのデザイン」よりもはるかに内容があり、実践的な目標が含まれているといえる。しかし、あるべき姿としてマルクスの労働過程を対置するだけでは、いわば「絵に描いたモチ」に過ぎないのであって、サンシモンやフーリエのユートピア思想とあまり変わらないことになる。

 それでは、何が問題であり、われわれはどうすればよいのであろうか?これは非常に重要な問題であるが、とりあえずは以下の二つの問題について考察する。それは、思考の方法としての「抽象」と「批判」の問題である。

 「広い意味でのデザイン」における「抽象」は、単なる共通点の抽出であり、無内容な形式的表現であると同時にそれは資本家の利潤追求という抽象的で無内容な目的意識をある意味で象徴しているといえる。これは丁度、ハイエクが「自由主義」と同じことを裏側から表現した「反計画主義」における無内容性と共通の根を持っていると考えられる。つまりここでの「広い意味でのデザイン」はその具体的な目標が何もない。「取り戻されるべき自由」という意味での目標がないハイエク的「自由」と、実現されるべき目標のない「デザイン行為」とは裏表の関係にあると考えられるからである。このように現実に存在する矛盾への批判なき「抽象」はつねに無内容で、しかも本質的にトップダウン的であるといえる。

 これに対して、現状のデザインの矛盾に対する批判から出発し、それに対して「取り戻されるべきデザイン」のイメージが「労働過程一般」としてあるのだが、単にそれを対置したにすぎない。そのため「普遍的な意味でのデザイン行為」という把握は、批判そのものが抽象的になってしまい、したがって目標それ自体も漠然としたイメージでしか描かれ得ない。

 そこで必要なことは以下のようなことであるといえる。

 個々のデザイン労働の現場においてデザイン労働者自身がその労働を通じて感じる矛盾を取り上げ、それを批判的に考察することを通じて、その原因を突き止めていく。個々のデザイン職場でのさまざまな形の矛盾をそれぞれ批判的に考察することから得られる、その背後にある共通な大きな原因を抽出していく。そしてそれを克服するために何らかの実践を通じて現実に働きかける。その結果を見てさらに考察を重ねていく。こうした批判的抽象とそれにに基づく試行錯誤を通じて、はじめて問題の全体像が具体的に明らかになり、「獲得されるべき目標つまりあるべきデザイン行為の姿」それ自体も具体的になっていく、という思考方法が必要であろう。

 マルクスが初期の批判的考察である「ドイツイデオロギー」や「経済学・哲学草稿」にみられるような、ややユートピアン的な、未来社会へのイメージを対置する思考から、資本論におけるような徹底した資本主義経済社会への実践的批判に移行したのは、そのような意味があるのではないかと考える。現実的矛盾への批判的抽象とそれによる現実への働きかけを試行錯誤的に繰り返すことでしか、具体的な未来社会のデザインは不可能であることをマルクスは身を以て示したのではないだろうか?マルクスの批判的抽象は、その本質においてボトムアップ的であると同時に、それは単なるトップダウンの「裏返し」ではなく、個別的問題にこそ全体的問題の具体的内容が内在するという意味での「個別における全体性」を明らかにしたのではないだろうか?

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