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2010年9月24日 (金)

グローバル資本主義体制の「成長」を牽引する中国政府の強圧的態度

 尖閣諸島問題で中国政府が日本に様々な形で圧力をかけてきているのは周知の通りである。これに対して日の丸を掲げて民族主義愛国主義丸出しで反中国を叫んでみても始まらない。それでは中国政府と同水準の馬鹿げた行為になるからだ。

 中国は沖縄がアメリカから日本に返還された当時は、尖閣諸島のことには無関心だったが、周辺の海底油田などの資源の存在が明るみに出ると、一変して尖閣諸島の領有を主張するようになった。毛沢東路線で経済が破綻した中国が鄧小平路線に切り替え、資本主義的市場経済の導入で復活し、資本主義国際市場で急成長を遂げ始めるとともに、天然資源の囲い込みを目論むようになったのである。そして21世紀になって、アメリカや日本の資本主義社会の「成長」が怪しくなり、不動産バブルや金融恐慌などの資本主義経済体制の末期的症状が明らかになってくると、その労働力の安さを武器にして「世界の工場」となった中国が、外資を導入して安い生活資料商品を量産し、アメリカや日本に輸出することで国内の資本家を育成し、資本主義国際市場での競争力を強化してきた。そしていまや一大消費国に変貌を遂げ、国際資本主義経済体制を牽引する立場になったのである。今回の尖閣諸島での事件を巡る中国政府の居丈高な態度はそうした背景の元で起きた事態である。

 しかし、一方で、今朝の朝日新聞に出ていたように、労働者が政府や党のやりかたに反対を唱えると、警察が裁判もなしに、逮捕し、「労働教養所」という強制労働機関に送られ、何年もそこで人権を無視した強制労働を行わさせられる制度があるのである。

 海岸部の大都市周辺では、巨万の富を獲得した中国の資本家やその分け前に預かった中産階級的富裕層がリッチな生活を営み始めたが、奥地の辺境では農民が貧しい生活を強いられ、そこから仕事を求めてあふれ出してくる労働者を低賃金で雇用して働かしている企業が数多く存在している。下層労働者や農民たちは政府や党のやりかたに反対をすればたちまち「労働教養所」送りになるので、だまって不条理な生活に耐えるか、党・政府が行ってきた反日愛国主義教育に感情移入して、尖閣諸島問題で反日デモを繰り出し日本の国旗を燃やしたりすることで鬱憤を晴らすしかないのだ。

 革命当時は、労働者・農民を代表する党と政府であったはずなのに、いまは資本家による労働者の労働搾取を認めむしろそれを促進し、それに反抗しようとする労働者農民を圧政で押さえつけたり、愛国民族主義教育の成果を利用してその不満を領土問題に転化しようとしているのだ。

 そして中国の富裕層はそうした下層労働者や農民の労働を搾取することでリッチになっているのである。そういう人たちが日本に観光ツアーや買い物ツアーにやってきたり、日本の不動産を漁りにやってくるのだ。

 小さな島の帰属を巡って、両国の政府高官が「国のメンツ」をかけて外交交渉の席を蹴ったり、粛々と国内法で処理したりしている限りは我々にはあまり関係のないことであるが、もともとそんな馬鹿馬鹿しいもめごとに関わりのない両国の労働者や民間人の交流や生活にまでこの問題を進入させてくる中国政府のやり方には実に腹が立つ。

 ここで見極めなければいけないのは、「反日」や「反中国」という形で問題を十把一絡げにするのではなく、中国の中で搾取と圧政に苦しむ労働者・農民は、グローバル巨大資本の搾取のもとで苦しむ日本の労働者階級と国境を越えて同じ地平に立っているということである。本来あるべき労働者階級のインターナショナリズムに立ち返って問題を見直さなければその本質は見えてこないのである。社会主義本来のヒューマニズムとインターナショナリズムからまったく逸脱してしまった中国政府の「覇権主義的」振る舞いは、国内での労働者階級への搾取と圧政の表側の顔である。皮肉にもかつて中国を侵略した日本の国家主義的思想の指導者たちと酷似した姿勢である。

 

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