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2010年10月25日 (月)

階級の見えない階級社会

 資本主義社会は自由で平等な社会であって、たまたま「金儲け主義」の性悪の資本家が登場すると、その悪い面が現れる、という風に考えているとすれば、それは明らかに間違っている。資本主義社会には本質的な矛盾が内包されている。それは商品の等価交換という形式に潜む虚偽である。すべての人が、自分の持っている商品を等価で交換しあうことで世の中の「富」がうまく配分されるという幻想はまったくの嘘である。

 もともと歴史的に資本主義社会を生み出してきた商業資本家たちの「なりわい」は、「安く買って高く売る」ことであって。それは決して「等価交換」ではないのである。ただしそこには商品を遠い国で見つけ出し運んできたという「手間」が含まれるからそれを考えれば「等価」であるという考えもあるだろう。しかし、商店などの商売に典型的に見られるこうした矛盾があり、そのためそれを正当化するための「ルール」が設けられていたりするのである。

 しかし、産業資本主義社会になってはじめて、「すべてが平等な」商品の等価交換による経済システムが全社会を覆うことになった。そこには重要なキーポイントがあった。それは社会を支えるために働く人たちの能力つまり労働力が資本主義社会でもっとも重要な基軸商品となったからこそ可能になったのである。

 労働者が自分の能力を商品として資本家的経営者に売りに出す(いわゆる労働市場で)。資本家は「労働力の買い」においてその労働者に対して賃金を支払う約束をし、そこで労働者が労働力商品を「等価で交換する」ことに合意した形となり資本家的生産が始まる、という具合にである。

 ところが資本家は、その購入した労働力の使用においてその価値以上の価値を労働から引き出し、そこから生み出される剰余価値を無償で獲得するのである。

 ここでいう労働力の価値とは、労働力の所有者(つまり労働者)が自分の労働力を日々再生産できるために必要な生活資料の価値に等しい。しかし資本家がその労働力を使用している時間、つまり労働者が労働している時間に、必ず労働者は、自分の労働力商品の価値以上の価値を生み出すのである。労働力の再生産に必要な生活資料の価値に等しい価値を生み出すために要する労働時間は「必要労働時間」と呼ばれ、それを超えて行われる労働時間は「剰余労働時間」と言われる(あらゆる時代にこの剰余労働は必要とされ、それが生み出す剰余価値は従来はその社会の支配階級の手中にあったが、本来、社会全体で共通に必要な社会的ファンドとして共有化されるべきものである)。必要労働時間と剰余労働時間は同じ内容の労働のにおいては何ら区別がなく継続されるので、その違いは目に見えない。それを区別するのはただ労働時間の差のみである。

 重要なことは、労働力商品を購入した資本家は、それを彼の目的に沿って使用した「のち」に、その労働の代価として賃金を支払うのである。そのため、そこには必要労働も剰余労働も同じ労働としてひっくるめられ、労働賃金はあたかも労働の代価であるかのように見えるのである。

 要するに労働力商品を購入した資本家はつねにその交換価値を超えた価値を手にするのであって、労働力商品とは、その使用価値の発揮において新たな価値を生み出す唯一の商品なのである。だから一見、等価交換にみえても労働力商品の交換は決して「等価」ではない。

 そしてこのすべての価値を生み出す商品である労働力が商品として交換されることによって初めて、そこから生み出された商品が資本家に利潤をもたらし、さらにその商品の流通過程での資本家にとっての「必要経費」という形で利潤の一部が商業資本家の手に渡り、商品交換そのものは形の上では「等価」で行われ得るようになるのである。

 しかも、労働者として社会に存在させられている人々(歴史的にさまざまな場面で生産手段を資本家によって奪われることによってそうになった)は、商品を作る手立てを持たず、自らの労働力を商品として労働市場に出さない限り、生活することができないのである。そして運良く資本家に雇用された労働者も、そこで得る労働賃金は決して本来の意味での「所得」ではなく、資本家の資本の一部(可変資本)として彼らに利益をもたらす労働力がそれを発揮ために必要とする生活資料商品の価値なのであって、労働賃金はは結局生活資料商品と交換することによって、それらを生産する資本家の手に渡ることになるのである。資本家のために労働し価値を生みだす「賃金奴隷」としての労働者がつねにそのような位置で生き続けるに必要な「経費」を労働賃金として受け取るのである。

 これはまったくの不平等交換であり、商品所有者同士の対等な交換では決してない。それは生産を支配する商品所有者(資本家)と、それに労働力を商品として提供させられるモノ同様の位置にある労働者の間で行われる不等価交換なのである。

 マルクスが資本主義社会を「最後の階級社会」と呼んだのも以上のような基本的な矛盾、つまり社会的生産を支配する資本の所有者である資本家階級と、生産手段を持たず資本を生み出すことにおいてしか社会的な労働をなしえない労働者階級という二つの基本的階級における労働の支配ー被支配関係によってすべての社会経済的システムが動いている社会だからである。

 いまの資本主義側の経済学では、「マクロ経済学」であっても「ミクロ経済学」であってもこの価値を生み出す源泉が何であるについては決して触れない。そこに存在する矛盾こそ資本主義社会の決定的アキレス腱なのだから。そしてマルクスはそのアキレス腱を資本論において見事にあぶり出したのである。

(続く)

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