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2010年10月18日 (月)

私たちが求める「自由」とは何だろう?

 いまの社会は世界的に資本主義経済(いわゆる市場経済)が支配しているといえるが、この体制は決して普遍的なものではないことも確かである。中国や北朝鮮のような一党独裁体制によるいわゆる「社会主義国」に比べて、われわれの社会を「自由社会」と呼ぶことがあるが、これも何が「自由」なのかピント来ない。

 言論の自由はたしかにあるといえるだろうし、職業選択や起業の自由、商品売買の自由などもたしかにあるだろう。しかし今日では、雇用しない自由、クビを切る自由、失業の自由、ホームレス化の自由、自殺の自由などの方が現実的になってきている。

 この「自由」の概念は近代的「個人」という概念と密接に結びついているのであるが、この「個人」が「自由」であるためには、「私有」という条件が必要となる。自分が必要なモノは自分の裁量で獲得し、使用し、処分できるという考え方である。それは商品市場での売買の自由という経済的条件と同じ土台で築き上げられてきた概念である。

 たしかに近代資本主義社会を築き上げてきたブルジョアジーたちは、王侯貴族などの特権的階級に対して、こうした「自由」をつきつけ、それによって、商品経済社会を土台とした「自由」を勝ち取ってきたといえるだろう。

 しかし、すべての歴史がこうした「自由」に向かって動いていると考えるのはあまりに非現実的である。商品経済が世界中に行き渡り、それを土台とした資本主義経済社会が「グローバル化」している今日、その矛盾がふたたび新たな段階で現実的になってきたと考える。

 ブルジョアジー的「私的自由」が中産階級からやがて労働者階級にまで降りてきて、すべてはそのような「自由社会」に行き着くと考えるのは完全に間違っていると考えられる。なぜなら、個人的自由の条件である、生活必需品の生産が個人のレベルで行われることは決してなく、ましてその個人が生活のために、売りに出す商品もなく、それを作るための生産手段も持っておらず、結局自分の社会的存在意義を示す能力であるところの「労働力」を労働市場に売りに出さねばならないという矛盾がある限り、本当の「自由」は決してありえないからである。個人の自由による「自由社会」は生産手段を所有し、売買する商品を所有した「ブルジョアジーの私的自由」にすぎないのだ。

 20世紀後半以降にケインズらの需要牽引型資本主義経済政策のもとで「中産階級化」した労働者階級の多くの人々は、こうした「ブルジョアジーの自由」を「消費の自由」という形で与えられてきたために、現実には生産手段を奪われ、労働力を売りに出さねば生活できない労働者階級であるにもかかわらず、「プチ・ブルジョアジー」意識を持つようになり、「消費の自由」を普遍的な自由であるかのように思い込まされてきたようだ。それがいまや地球レベルでの「消費の限界」をつきつけられ、ボロボロに崩れてきたのだ。

 借金をしてまで消費を推進させられ、モノにあふれた生活をしてきたアメリカの労働者階級が、その購買によって資本家に還元した貨幣は、アメリカ消費市場に低賃金労働でモノを供給してきた中国やアジア・ラテンアメリカなどの労働者が過酷な労働によって資本家階級に収奪されてきた莫大な富とともに、いまや国際的な金融資本に集中し、金融市場や証券市場の思惑的動向やその破綻で世界中が破産や失業に直面している。その中で、労働者階級が徐々に変化を求め始めた。その流れに乗って登場したのがオバマ政権であるが、しかし、そのオバマもいまや「チェンジ」の方向を見失い、失業者は増え続けるばかりである。

 一方、「経済成長」著しい中国などでは、言論の自由を奪われ、政府の厳しい締め付けに置かれた、ノーベル賞受賞作家などが、「自由化」を求めて動き始めている。しかし、その目指す「自由化」が「ブルジョア的自由」ではないことを期待したい。彼らと私たちが共有できる自由は、もっとその先にある。

 19世紀末に、エンゲルスが、「自由とは必然性の洞察である」と言ったのは蓋し名言であるが、それが、20世紀中葉の「社会主義国家」の変貌によって、「必然の王国=管理統制の王国」として受け止められるようになってしまったことは、まったく残念である。ブルジョア的私有の自由を超えた、社会的共有の形をもとめ、社会的に必須な条件に対する社会的共有化という条件のもとで、個人の自由を保証し発揮させる社会こそ、われわれがもとめる自由社会なのだと思う。

 

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