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2010年11月26日 (金)

20世紀後半からの資本主義社会を考える(3)絶え間ない買い換え需要の創出

(前回からの続き)

 このように、巨大になりすぎた資本が過剰資本の圧迫から逃れるために、労働者の生活資料商品生産にかこつけて湯水のごとく資源やエネルギーを消費しながらそれによって過剰資本を消尽させながら、同時に資本蓄積を拡大成長させて行かざるを得なくなった20世紀後半特有の矛盾に満ちた資本主義経済体制の中で、それにふさわしい生活文化の形が生まれた。それは生活資料商品の多品種化と奢侈品(贅沢品)化そして広告産業とレジャー産業の隆盛を促進させる文化である。まず我が国でのその歴史を顧みてみよう。

 戦争で壊滅的打撃を受けた日本の資本主義経済が、労働運動の盛り上がりや東西冷戦が進む中で、朝鮮戦争の特需をきっかっけに、ケインズモデルを基礎としたアメリカ型資本主義を手本とした戦後型の資本主義経済に脱皮し、それに伴い1950年代後半から生活文化の変化が始まった。まず電気洗濯機、冷蔵庫、テレビ、掃除機などの家電機器が次々と市場に登場し、政府のクリーピング・インフレ政策の中で労働者の賃金は相対的に上昇し、それらの商品を購入することが可能な状態となり、それらの商品は売れ行きを伸ばした。それと同時にそれらの商品の宣伝広告を専門とする企業が急成長し、広告料だけで経営される放送局が登場した。家庭内ではそれまでの、たらいに洗濯板、氷の冷蔵庫、ラジオ、箒などが廃棄されるか部屋の片隅に追いやられていった。当時は、「文化生活」と言われ、公団団地やアパートなどが「文化住宅」と言われたのである。これは確かに、生活文化の大きな革命であったと思う。この段階ではインダストリアル・デザインやモダンな住宅デザインが世の中の変化を可視化してくれる役目を果たし、同時に産業資本が生み出した商品の販売をプロモートする広告産業資本がグラフィックデザインやCMというジャンルを生み出し急速に拡大した。

 1960年代に入ると、日本にもアメリカ的なモータリゼーションの波が押し寄せ、成長する自動車産業資本の周辺に多くの関連産業資本が生まれ、家電製品なども含むこれら耐久消費財の生産を中心とした産業資本群が急速に成長した。それに追いつかない道路やインフラ整備で「てんやわんや」の時代であった。そこでは政府の公共投資が盛んに行われ、道路やダムの建設とともに、資本家的企業の育成が推進され、日本の資本主義経済は高度成長の道を歩み始めた。しかし一方で60年代中庸からすでに排水や排気ガスによる公害が社会問題となった。工業製品の大量生産を無制限に促進することへの警鐘が鳴り始めたのである。そして時代の方向に敏感な学生たちによる学生運動が盛んになった。

 しかし、同時にこの時代は、いわゆる小市民(プチブルジョア)意識が社会一般に拡大した時代でもあり、中間層化したアメリカの労働者階級をお手本としてそれを日本の資本主義社会も追いかける形となった。学生運動もその影響を免れることができず、60年代末には先鋭化しながら、実質的な展望を持つことができなくなっていった。その一方で「左翼的」技術論者の星野芳郎が「マイカーのすすめ」という本を出して評判になったり、同じく「左翼的」建築評論家の川添登が「デザインとは何か」の中でデザインは文明の形成者であるかのような説を展開したのもこの時代の特徴であろう。一言でいえば、マルクスの思想にルーツを持つ人たちも、圧倒的な現実となった、大量消費社会をベースとした「市民社会」に足をすくわれ、それを普遍的な生活文化の形として礼賛する立場になっていったのである(これについては別の機会に詳説したいと思う)。そうした中で、労働組合は、たんに「春闘」という形で、毎年労使間の賃金水準を調整する機関となってしまい、階級意識などは薄れていった。

 1970年代になると、生活必需商品の購買形態がおおきく変化し、クルマを使った顧客を対象にするスーパーマーケットや量販店が成長した。そのため町の個人営業の食料品店や電気屋さんなどが次々につぶれていった。この時期に、すでに需要が一巡した家庭電化製品やクルマの需要を再活性化させるための新製品の売り込みが激しくなった。そこでは、耐久消費財商品の奢侈品化が急速に進んでいった。工業デザイナーの仕事はこの頃から、いわゆる「買い換え需要」促進のためのデザインが主流になっていったのである。

 ここで何をもって「奢侈品」というかをはっきりさせておかねばなるまい。それは、生産物の使用価値を構成するための必要十分条件が、競合商品との競争の中で、一定の限界を超えて、使用者の心理に訴えるようなレベルまで拡大された状態になったものを指すとしておこう(これについても別の機会に詳説する予定)。たとえば、家電製品であれば、基本機能のほかにさまざまな「魅力的な」付加機能をつけて売る場合。そして競合各社の技術水準がすでに横並びとなったため、投資した労働力の割に大きな利潤が期待できる奢侈品化は「既存モデルよりかっこいいデザイン」にすることである。あとは派手な宣伝でいかに購買者をその気にさせて商品を売りまくるかである。こうして生活資料商品の生産と宣伝販売には止まることなく拡大への拍車がかかることになったのである。そしてそれと同時に、家庭用耐久消費財のメンテナンスや修理という仕事が世の中から消えていった。またその一方で、労働者の休日や余暇も「金儲け」のチャンスと捉え、観光やレジャーなどへ資本が投入され、いわゆる第三次産業の比率を高めていった。

 ここに「なくてもいい無駄な消費」を生み出すことでしか生き延びられない戦後資本主義経済の原型が出来上がったのである。しかしこの流れは、一方で絶え間ない「技術革新」を伴っており、ニューモデルの開発はそうした技術革新をドライブとしても行われたため、一見、技術の進歩の「結果」と見えたのである。だがこの技術革新の背景には、東西冷戦下でのソ連とアメリカによる軍事技術開発競争があったということと、資本主義陣営の内部では、「売れる商品の開発を目的とした技術開発競争」が推進力であったことを忘れてはいけない。人間生活に必要な技術の開発が、資本主義経済体制においてはその目的を「売ること」に置き、「生活に必要な」という内容はその手段として位置づけられているのである。アメリカなどでは軍需技術開発などで生まれた素材を、何か消費財として売れる新商品に流用できないかと考えて新製品が開発されることも多かった。しかしこれも本質的に「売るための技術開発」であったことには変わりない。

 一方、70年代中庸には、1週間にもわたる鉄道の大ストライキがあり、労働運動の最後の盛り上がりがあったが、それ以後は、労働運動も学生運動も急速に萎んでいった。このことは労働者階級や学生が1970年代後半からは完全に、実生活の上でも意識の上でも「小市民化」し、運動への意味と目標を見失っていったと考えてよいであろう。そしてその後には、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」といわれた80年代バブル経済の時代がやってくるのである。(続く)

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