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2010年11月22日 (月)

20世紀後半からの資本主義社会を考える(1)東西冷戦下での労働者の「小市民化」

 「近代社会」の経済的土台を築いてきた資本主義社会が、どのように血塗られた歴史を辿って発展してきたかは、「資本論」の記述に任せることにして、ここではマルクスが知ることができなかった20世紀特にその後半から現代に至る資本主義社会の構造的特徴について少し考えて見よう。

 20世紀初頭、レーニンが、金融資本主義国家(金貸し国家)となった当時の英国の実情と、ヨーロッパ列強による植民地再分割戦争への動きを批判的に分析しその特徴を「帝国主義」と名付けたことは周知であるが、宇野学派はこれをのちに「帝国主義段階の資本主義」としてとらえていた。これについてはレーニンの「帝国主義論」(岩波文庫)や降旗節雄の「帝国主義論の史的展開」(1972 現代評論社)を参照してほしい。またその後第一次大戦とロシア革命を経て金融大恐慌により最大の危機を迎えた後、変貌を遂げた、いわゆるケインズ型資本主義の問題については、大内力「国家独占資本主義」(1972 東京大学出版会 UP選書)を参照してほしい。私の現代資本主義社会に関する基本的把握はこれらの文献に依るところが大なので。

 資本主義社会は、少なくとも外形的には、その後さらに大きく変化し、特に、20世紀末のいわゆる「社会主義圏の崩壊」以後は、上記の論者たちの分析の域を超えた状況に来ていると考えられる。上記の論者たちのような専門家ではない私が、それに太刀打ちできるような分析をなし得るはずもないが、現状をマルクス経済学の視点で深く分析した文献に巡り会わないので、仕方なく私の乏しい知識でこれを行ってみようと思う。

 まずは、マルクス時代の資本主義社会から大きく変わっているにもかかわらず、本質的な変わらないものは何かを押さえ、それらが、本質的には変わらないにも拘わらず、外形的にはどう変転してきたのかを考えて見ようと思う。

 その中心は、労働者階級の状態である。マスコミ的表現で言えば、「市民の生活状態」である。1930年代以後、特に第2次世界大戦以後の先進資本主義国における労働者階級は、失業と窮乏生活から逃れることができたように思われてきたのである。それはあたかも「市民」の労働と努力によって未来に渡って経済は成長し続け、労働者はその恩恵を受けてだんだんリッチになっていける、というパラダイムを形成するまでになった。そこには資本家も労働者もともに「市民」として豊かな生活を送る社会が想定されていた。ブルーカラーよりもホワイトカラーの比率が高くなり、「市民」は「サラリーマン」に代表される姿として捉えられるようになった。資本家は経営者と呼ばれ、労働者は従業員とか勤労者とか呼ばれるようになり、その本質的な違いは問題にされることが少なくなった。その立場の違いや対立関係が現れるのは、労働者による賃上げ闘争や労使交渉の場面くらいであった。

 労働者は「消費者」として、資本家の売り出すさまざまな商品を「ショッピング」し、自分好みのデザインの商品を選んで、自分の生活空間を作っていった。そして休暇にはレジャーを楽しみ、少しづつ貯金を殖やすこともできた。資本家的企業は労働者を「消費者は王様」と祭り上げ、次々と新製品を売り出し、それを買わせることで、ますますリッチになった。これが「右肩上がり」の経済成長(実は資本の成長)期における労働者の生活であったと言ってもよいだろう。われわれの世代は、これをほとんど「当たり前」のように考えてきた。

 しかし、よく考えて見れば、この状況は、一方に、スターリン以後大きく変質してしまったとはいえ、いわゆる「社会主義圏」が存在し、そこには少なくとも資本主義社会と対峙し、その矛盾を乗り越えようとする人たちが存在していたことにより、初めて現出させ得た状況であったという事実を忘れがちである。

 それは、東西冷戦下という状況で、資本主義諸国の支配層たちが、ソ連や「社会主義圏」の動きを横目で見ながら、自国の労働者階級がそれらの勢力と手を結んで国際的に反資本主義として連帯しないように、資本家主義国の支配層同士が手を結び最大限譲歩したからこそ可能な状態であったと言ってよいだろう。決して現代資本主義社会が必然的にもたらしてくれた「恩恵」ではないのである。

 だから、その後資本主義国が優位に立ち、あたかもそれが「普遍的市民社会」のように思われるようになるころから、あちこちでその体制にボロがほころび始め、行き詰まった「大きな政府」に対して、市場主導型の「小さな政府」などを目指してみたりしたが、必ずしもうまくは行かなかった。そして「社会主義圏」がその内部矛盾の激化により自壊した後は、今度は「グローバル資本主義」として国境を越え、旧社会主義圏をも巻き込んだ資本側の圧倒的攻勢が始まったと考えられる。

 しかも皮肉なことに、来るべくしてやってきた国際的な金融資本崩壊の兆しのなか、ソ連崩壊後も一国社会主義政策をとり続け、独裁的支配階級となった共産党の統制のもとで資本主義経済を導入した中国が、いまやグローバル資本にとっては「救世主」のごとき存在となったのである。

 いま、労働者階級と農民がもっとも大量に過酷な労働を強いられ、したがってもっとも多く剰余価値を生産する国は、中国であるかもしれない。そしてその莫大な剰余価値の集積をよってたかって奪い合うのが、「グローバル資本家」たちであって、その影響を失業や就職率の低下や雇用形態の悪化という形でもろに受けているのがアメリカ、ヨーロッパ、日本などの、これまで比較的高賃金で生活してきた労働者階級であるといえるかもしれない。しかもいまでは、すっかり「プチブル化」してしまった労働組合指導部もこうした状況に何ら対抗することができないのである。

 一方で中国製の生活資料に囲まれた生活をしながら、他方で雇用が失われ労働の場が日々悪化していくという現実が、いまの「先進資本主義国」の労働者階級の直面する生活状況であるといえる。これまでの「リッチな市民生活」の中で階級意識をまったく失ってしまったこれらの国々の労働者は、中国の労働者と本質的には同じ立場に置かれながら、意識の上では「中国に仕事を奪われた」と思いやすい状況である。そして中国でも、過酷な労働状況への不満が「愛国的反発」という形をとって日本に向けられている。互いに憎み合う個人的な理由など何一つないばかりか、いまこそ互いに手を結びあってグローバル資本主義に対決すべきときであるにも拘わらず。あるいは職を失い、別の職に就くこともできず、貯金を減らしながら不安な日々を送り、アニメやゲームなどに気を紛らわせ、あるいは、職にありついたとしても「国際競争に勝つために」日々過酷な労働を課され、生活時間を失わされ、結婚もできず疲れ果てている日本の労働者階級は、頼みの政権交代も惨憺たる失望に終わり、このままでは先がないという状況に追い込まれている。

 このような状況は1930年代以上に悪い状況と言えるかもしれないのである。

(続く)

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