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2010年12月 2日 (木)

20世紀後半からの資本主義社会を考える(6)中国をめぐる世界資本主義の変化

 2008〜2009年には、アメリカでのサブプライム・ローンの焦げ付きから始まった金融恐慌により大手金融資本の倒産などによる株式市場の暴落や、GMなどの大手生産資本の倒産などに波及し、アメリカ資本主義体制が危機を迎え、世界的不況を巻き起こし、他の資本主義諸国でも失業者が急増した。それを機に、さまざまな壁にぶつかっていたブッシュ政権は選挙で敗れ、オバマ大統領が登場した。そして日本でも自民党政権が行き詰まり、民主党が圧勝した。まさに「チェンジ」の年といわれた。

 しかしそれから1年たって、期待された「チェンジ」は挫折し、すべては再び行き詰まり、壁はいっそう高く感じられるようになった。いったい世界で何が起きており、これからどうなるのか、すべての人々が不安感を強めている。ではその「壁」とは何だろう?

 20世紀後半を通じて、過剰な消費によって全地球に自然破壊を拡大させながら過剰資本の圧迫から逃れることでふくれあがった資本は、金融資本のもとに蓄積され、それを元手にして儲ける方が効率的であるために、アメリカ資本主義は「ものづくり」が衰退し「金貸し国家」に変貌していったと考えられるが、その過程は中南米やアジア、アフリカなどの大量の低賃金労働者の創出とその労働力の搾取がアメリカや日本の資本主義経済にとって必須の存在になっていったと考えられる。

 もともと資本の生み出される「源」は、生産的労働にあるのであって、そこから生み出された剰余価値が収奪され資本として蓄積されていくのだが、貨幣→商品(生産手段と労働力)→生産→商品→貨幣’(貨幣プライム)という資本の回転中に生じる遊休資本を有効に生かし、貸付資本などにより資本家同士の資本の配分を合理的に行い、その利子によって増殖する金融資本が登場するのだが、そうなっても、それを可能にするためには生産的労働の存在が必須の前提である。したがって、「ものづくり」は資本増殖の原点なのである。しかしかつてのイギリスやいまのアメリカのように「金貸し国家」になってしまうと、「ものづくり」は労働賃金の安い他国の労働者か、自国の中でも低賃金に耐えうる下層労働者が行うことになる。実体のない価格のつり上げや投機の差益によってふくらんだ富はいわば「根無し草」同然のものであっていつかは崩れ去る。それに引き替え、「ものづくり」を中心とする国の資本はまさに労働者の血と汗の結果である労働生産物の収奪によってうまれたばかりの「生きのいい資本」であって、「金貸し国家」もこれなくしてはやっていけないのである。

 だからアメリカの産業資本家は中国での生産(コンピュータをはじめとするさまざまなアメリカブランドの商品の生産)においてアメリカや日本などよりはるかに低賃金で働かせる中国の労働者が生み出した商品を国際市場に出して、多くの利益を上げると同時に、中国の安い労働力で生み出される生活資料商品をアメリカ市場で販売するために輸入することで、流通部門での雇用を増やしながらアメリカの下層労働者の賃金の高騰をも抑えることが可能となる。そして利益が集中する金融資本やエンタテイメント産業や軍需産業などの寄生的産業のもとで働くリッチな労働貴族(主として白人)がいる一方で、流通、建設など社会のインフラを支える労働は、ヒスパニックや黒人など低賃金労働者が担うという形が普通になっていく。そしてそれらすべての人々の莫大な「過剰消費」を促進させることでアメリカ全体の資本主義経済は回っているのである。

 こうして「世界の工場」としての中国と「世界の消費の中心」であるアメリカは互いに補完しあう関係になっていったのである。

 しかし、最近になって、中国では、国内の低賃金労働を搾取して莫大な利益をあげる資本家たちと、その恩恵にあずかって成長しつつある、新労働貴族や、もともと特権的地位にある党官僚や政府官僚の人脈につながる人たちのような「新興富裕階層」が成長しつつあり、13億人という圧倒的な人口の中で、巨大な国内市場を生み出しつつある。そのため、中国で作ってアメリカで消費する、という図式は崩れつつあり、中国で作られた生活資料商品は相変わらず輸出されアメリカや日本などで消費されることが多いが、それと同時に、国内消費も増え、またアメリカやヨーロッパ、日本などの「中間層」が主要な消費のターゲットだった、奢侈品商品(高級ブランド商品や高価な耐久消費財、高級車、高級カメラなど)は中国の新興富裕階層が大きなターゲットになりつつある。それにしたがってデザイン労働市場の変化も起こりつつあり、中国でのデザイン労働者が育ち、生活資料商品を中心とした中国製品のデザインが中国人デザイン労働者によってデザインされることが多くなるとともに、日本のデザイン労働者の労働内容は、より「付加価値」の高い、言い換えれば「虚偽の価格で売れる」商品のデザイン(もともとデザイン労働はそのような本質を持っているのだが)へと比重を高めつつあると考えられる。

 こうした状況の変化に応じてグローバル金融資本は、中国市場への投資にそのどん欲なまなざしを向けつつある。またその波及効果もあってインドやアジア諸国の労働力やアフリカの資源などへのどん欲な触手を伸ばしているのである。その中で、日本の資本家たちも海外の労働力や中国の国内市場へと雪崩を打って出て行きつつあり、日本の労働者階級は、労働の場を失い、労働条件は悪化し、国内需要は落ち込み、その中で政府の「成長戦略」のかけ声だけがむなしく響いているのである。成長するのは資本であって、労働者階級の生活ではないということがいまの政府には何一つ分かっていないのである。

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コメント

野口さんの現代資本主義分析には、圧倒されますが、それだけに大いに参考になり、ありがたく思っています。一般的な経済学者達、ブルジョワ経済学であれ、マルクス経済学者であれ、さっぱり分析ができておらず、なんら言及できずにいる中、貴重な考察となっています。

なにを買っても、メイドインチャイナとかシンガポールであることは、驚くばかりです。そう言えば、食品偽装も100円ショップもユニクロも中国なくしては成り立たないでしょう。

日本のデザイナー達は、多分直接的には、これらの様々な中国商品のデザインには関係してはいないでしょうが、資本家側に立って、生活資料商品をいかに安くして、間接的に搾取する剰余価値を大きくするかに、それなりの権限をもたされて、中国はじめアジア各国のデザイナーをかくあるべしと強制的に指導している存在ではないかと思います。すなわち、日本のデザイナーの解雇、派遣化、使い捨てがきっちりとデザイン済であるとことと思います。この渦の中にいたら、かなり危うい自分を見出すことになるでしょうね。

こうして、中国の労働者達の状況が、世界を大きく揺るがすことになるのは目に見えるところですが、ここでの資本の攻防も見逃せません。中国元の対ドル価格の改訂を迫りながら、まったく迫力のない茶番を演じているのも、アメリカ資本がもう中国資本なくしては成り立たないことの証明になっているでしょうね。二酸化炭素排出規制では二つが尻抜けならぬ頭抜けというのも理由が明らかですね。双頭龍で、竜馬も唖然。

北朝鮮への対応も、資本的説得ではどうにもならず、戦争気運盛り上げ茶番で凌げるものでもなく、本気で戦争という昔の手は資本そのものの潰滅に繋がりかねず、その手は縛られていると思います。経済復興の戦後の世界情勢が以前とは全く違ったものになるとしか見ることができないからです。かくて、資本主義そのものが自壊するのと世界の労働者達の連携との同時進行のステージとなりそうですね。いや、そうしたいものです。

投稿: mizz | 2010年12月 8日 (水) 14時56分

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