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2010年12月14日 (火)

20世紀後半からの資本主義社会を考える(9)エコ産業や廃棄処理産業という資本

 タイミングよく、"mizz"さんからコメントを頂いたので、この問題に触れておこうとと思う。

 腐朽化した末期資本主義経済体制における大量消費社会(ケインズ流にいえば「消費主導型経済体制」)は、それなくしては資本主義経済そのものが持ちこたえられなくなっているために、一方で環境汚染や資源問題といった形で地球という閉空間における自然の限界にぶつからざるを得ず、大きな矛盾に直面しているのであるが、それを「エコ産業」や「廃棄処理産業」によって解決できるかのように装っているのである。

 mizzさんがタイで体験されたようにアジアの新興資本主義諸国では、先進資本主義国からの支援で廃棄処理問題に取り組んでいるという姿勢を政治的な世界では取るが、内実は労働者の生活などには目もくれず、支援を巡る廃棄物処理産業の利権の奪い合いになっているのである。それは、mizzさんも指摘されるようにいまの資本主義経済体制が、「消費者化された労働者」の生活から生み出される廃棄物の処理(これは本来、商品を作った資本家企業が責任を持って処理すべきものである)まで労働者が生活資料商品の購入のために得た労働賃金から支出させることで、さらに利益を獲得しようする構図を生み出しており、廃棄物の処理は、商品の価格に上積みされるか、購買者が別途「ゴミ処理代」や市民税の一部として負担することになるのだ。そしてこのような商品購買者の負担によって支払われた金を廃棄処理業者が利益として獲得し、ここに新たな資本が成長する。そしてトータルな廃棄物の排出量は一向に減らないどころか、どんどん増え続けているのである。

 いわゆるエコ商品やエコ産業も形は異なるが、このような腐朽化した消費主導型資本主義経済体制に「寄生」する典型的な資本である。エコ商品を購入することで、購買者が「地球にやさしい」人間の一人になったかのような幻想を抱かせつつ、結局はエコ商品をどんどん買わせ、無駄な消費を拡大させているのである。エネルギー危機に対応するという名目で役にも立たない風力発電機を法外な価格で地方自治体に売りつけた企業などもあることは周知の事実である。

 リサイクルやリバースエンジニアリング、エコ技術や新エネルギー開発などは、その技術的内容そのものはある意味で社会的成果であるが、それらすべてが、消費の拡大に貢献し、資本の成長に奉仕するためであっては何も意味がないのである。

 COP16などでのアメリカや中国の態度や、国家間での排出権の売買などという状況を見てもこうした矛盾は明白である。

 要は、全く当たり前のことなのであるが、「必要なものを必要な量だけ生産することで成り立つ社会」を生み出すことである。それが資本主義経済体制では不可能であることは徐々に誰の目にも明らかになりつつあるのだ。それは無駄な消費を最小限に抑え、資源の極限的な有効利用や、労働力と生産手段の合理的な社会的配置などが可能となる社会であり、そのためにはマルクスが目指していたような、直接的生産者である労働者がそれぞれの能力に応じてそれぞれの持ち場で社会的に必要な労働を行いながら互いに社会全体の生産体制を直接にコントロールできる社会が生み出されねばならないのである。

 私的利害によって過去の労働の成果を資本として獲得して、それにより生きた労働を収奪することで、無政府的市場原理にもとづき社会的生産活動全体を支配している「資本という妖怪」は、いまや断末魔の苦しみの中で悶えている。その中で、「企業が活性化されれば雇用も増える」などという支配階級のまやかしにごまかされず、資本家的意識における社会崩壊の苦しみを、労働者の階級的意識として新しい社会の生みの苦しみに転換することがいまこそ必要なのではないだろうか?そのような新しい社会を生み出すために必要な物質的・技術的条件はすでに十分整っているのだから。

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