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2010年12月 1日 (水)

20世紀後半からの資本主義社会を考える(5)バブル崩壊後の労働市場の変貌

(前回からの続き)1990年代中葉から2000年代中葉までの世界は、第一に、東欧「社会主義」圏とソ連の崩壊、そしてバルカン諸国の内戦や湾岸戦争などを通じたアメリカの政治的軍事的優位性の確立を背景として、旧社会主義圏を巻き込んだ全世界的な資本主義経済圏の再編成である。ここに本格的グローバル資本市場が確立されたと考えられる。第二には、中国の資本主義市場への参入と急成長である。資本のグローバル化が進行する中で、中国は、大量に供給される低賃金で質の高い労働力を最大の武器として、生産資本を急成長させ、急速に「世界の工場」化していった。そして第三に、それらの流れの中で相変わらず拡大していく「消費主導型」資本主義経済の自然界における必然的な帰結として顕著になったのが、地球環境の汚染と資源問題の深刻化である。さらに第四には、この時期にアメリカを中心としたコンピュータ技術の成果であるインターネット網の拡大や携帯電話網の拡大といった通信インフラが確立されていったことによる、資本市場のおおきな変化があった。

 しかし、この変化のさなかに2001.9.11のテロ事件が発生し、アメリカは新たなテロとの戦争に突入することになった。以来、アメリカは「世界の警察」として資本主義諸国の支援を強要しつつ、イラク、アフガン、パキスタンと戦線を拡大し、国内的にはイスラム教徒への警戒を強め、入国者の管理や情報の管理を強めるとともに、いままでになく管理的で閉鎖的な傾向を強めていった。イスラム原理主義者たちがアメリカに何を要求しているのか明確ではないが、その根にはアメリカを中心としたグローバル資本主義により経済的にも文化的にも貧困化させられている人々の不満を無差別テロによる殉教というかたちで表明しているのかもしれない。決して、ブッシュ大統領が捉えていたような、北朝鮮、イラン、アルカイダなども十把一絡げにした「悪の枢軸」や「ならずもの国家」といった単純な図式では到底真実はつかめないだろう。

 アメリカはこのテロとの戦争を、軍事力の世界的優位性の確立のためにフルに活用し、ハイテク産業と軍需産業の複合体による資本の拡充を進めた。それとともに、国内的には、支配層や労働貴族たちは金利生活者として生活しながら、社会的底辺を支える労働は社会保障の少ない低所得者層(ほとんどがヒスパニックか黒人)が担い、それらの下層労働者階級には借金してまでもものを買わせることを助長することで、資本主義経済体制を維持しながら雇用を維持するという形になっていった。そのような状況のもとで、大量に中国から輸入されてきた安価な生活資料や家庭用品などがアメリカの「消費市場」を席巻していくことになった。ここにアメリカが労働者階級に安価な生活資料を大量に購買させ、中国が安価な労働賃金でそれらの生活資料商品を大量に生産してアメリカに輸出するという形で、アメリカと中国の資本家同士が利害を一致させるという事態が形成されたのである。しかしいうまでもなくこのことが、結果として世界でもっとも地球環境を破壊し汚染している二つの国、アメリカと中国を、際立たせることにもなったのである。

 デザインに関していえば、すでに1980年代末から始まっていた中国でのデザイン教育の振興策は、90年代に入って急速に進行し、2000年代初頭にはデザイン関係の大学が急増した。いうまでもなく輸出用商品のデザインを行うデザイン労働者を育成することが目的である。その反面、日本やアメリカでのデザイン教育は変質し、「高付加価値」のためのデザインや、インターフェース・デザインやウェッブ・デザインという「ソフト」的な世界に活路を見いださざるを得なくなっていったのである。

 我が国の資本主義経済は、90年代前半の「バブル崩壊」による金融資本の受けた大打撃以来、そこから立ち上がるのが精一杯で、この世界資本主義の流れから遅れをとっていた。不動産や証券投機などによるバブル経済の反省を踏まえて、産業資本企業は、ふたたび「技術立国」を模索するようになったが、相変わらず「金融工学」などに血道をあげたり、レバレッジなどで荒稼ぎをしようとする人たちが増えていた。そこにホリエモンなどという「英雄」が登場したりした。この間に日本の労働市場は大きく様変わりし、大資本企業での通信インフラやコンピュータ技術による業務の合理化により、その部門での人減らしが進み、そこから放り出された労働者や新規に労働市場に現れた労働者が、インターネット関連企業や、ゲーム産業、アニメ産業などの寄生的産業部門などへ吸収されるという、社会的労働力配置の大規模な移動が起こっていた。

 国内の労働者階級を対象とした生活資料商品市場では、中国や東南アジアからの安価な商品が輸入され、「価格破壊」などといわれる形で市場競争が激化し、購買者は安い商品を購入できたが、多くの小売業や外食産業などが淘汰されることが始まった。ここでも小売店や外食産業の労働者が流動化し、不安定な職場が増えていったのである。従業員の多くは、その主たる働き手の労働賃金(生活資料の価格が抑えられているので賃金は上がらない)では生活費が足りない(子供を就職での労働市場の競争に勝たせるために教育費がかさむ)ため、生活を支えるために働かざるを得ないパートタイマーなどなのである。

 こうした労働市場の流動化に乗じて、小泉内閣は、すでに1986年に登場していた労働者派遣法の大改定を行い、それにより資本側に圧倒的に有利な非正規雇用労働者が急増していくこととなり、同時に労働基準法は実質的に骨抜き化されていったのである。それにより不安定で何の保証もないしかも過重な労働があたりまえのように行われることになっていった。そして国際的な労働者階級連帯の基盤を失った労働組合はいまやそれに対して何ら為すすべもなくなっていたのである。

 やがて訪れる2008年のアメリカでの金融破綻に始まる世界的な資本主義経済の崩壊過程が始まるまでは、それでもなんとか資本主義経済体制はボロを取り繕いながら進んでいたと言えるかもしれない。しかし、決定的破綻はついにやってきた。

(続く)

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