インダストリアルデザイナーの労働が直面する諸問題 その1「ID'erの置かれた状況」
前回に述べたような歴史的経緯によって誕生したインダストリアルデザイナーであるが、同時期に、それ以前は広告宣伝美術家などと呼ばれていた職能がグラフィックデザイナーと呼ばれるようになった。しかしそれよりも早くから服飾関係のデザイナーが社会的には職能として定着していたため、「デザイナー」は当初は服飾デザイナーを意味する言葉であった。しかし以後次第にさまざまな種類の「デザイナー」が登場することにより、それらに共通するカテゴリーとしての「デザイン」が成立したのである。ここでは、その中でインダストリアルデザイナー(以後IDerと略称する)の行っている労働に着目しよう。
IDerの仕事は、元来その存在意義が、商品の「魅力化」による購買意欲の刺激にあったため、商品の機構や構造を対象としてきた設計技術者とはまったく異なる労働内容であった。具体的には、商品の外観のみを問題にすればよく、それが顧客にとって魅力的であるかどうかだけが問題だったのである。その意味では、設計技術者よりも資本家の目的意識に近い位置にいるといえる。しかし、現実に商品を生産し機能させるためにはそのメカニズムや構造に関する工学的設計知識が必須であるため、IDerは設計技術者と常に対立しつつも協働しなければならない立場であった。
IDerの主張が通るか、工学的設計技術者の主張が通るかは、その業種が直接的に大衆需要を目指しているかどうかによっていた。例えば、自動車産業や家電産業、日常生活用品産業などではIDerの主張が通ったが、産業機器、計測器、鉄道車両産業などの専門機器業種では、設計技術者の主張が重視された。IDerの労働が重視される業種では、デザイナーの仕事は「面白い」と言われ、デザイナーの才能や創造力が発揮されやすい分野とみなされた。しかし、そこではデザイナーの工学的知識が乏しいために欠陥や危険を内包した商品が「魅力的デザイン」とされることがあり、顧客に購買され使用に供された後になってさまざまな問題を起こすことがあった。そうした商品を作っている企業の経営者は、そのことが企業のイメージを損ない、信用を失い、ひいては売れ行きに影響することを恐れるが故に、IDerにそれを考慮するようにさせた。商品の「使いやすさ」や「わかりやすさ」もそのような顧客のクレームがあったという事情から、事後的に、あらかじめIDerが考慮しなければならない問題としてその労働内容に取り込まれたのである。これらの事情が生じる原因は、結局、モノを作る側とそれを使う側とが同一の目的意識を持たなければならないにも拘わらず、実際には全く立場を異にしているという事実によるのである(これは、「消費者」と呼ばれる人々の多くが実は生産的労働者であって、「生産者」と言われる人々が、単に生産手段を私有しているだけであって、ただ生産物を商品として作らせ、それを労働者に買わせることが目的となっているという資本主義的生産様式特有の矛盾の現れである)。
IDerが抱えるもう一つの問題は、デザイナーとしての自負と経営者あるいは雇い主の主張との確執である。デザイナーは自らの才能をよりどころに仕事をしているという自負があるため、これが自分にとって最良のデザインであると信じて、それを雇い主に見せたところ、「たしかに良いデザインかもしれないが、これでは売れないだろうし、他者競合商品に勝てないだろう」と言われることがしばしばある。そのとき彼は、「なんてセンスのない雇い主だ!」と思うが、仕方なしに雇い主が受け容れてくれそうな他の案を考えることになるのである。もちろん言葉巧みに雇う主を説得してデザイナーの主張が通ることもあるし、説得に必要な調査分析結果がものをいう場合もある。
デザイナーも賃労働者である以上、いくら個性や才能を主張してみても結局、雇い主が気に入ってくれなければ、彼の労働の存在意義がなくなるのである。こうした不満をつねに抱えているデザイナーは、やがて自分の会社を持ち、自ら経営者でもありデザイナーでもあるという立場を求めることになる。しかし、たとえ首尾良くそのような「理想的な」立場を確立し得たとしても、やはり、自分の内部で「本当にやりたいデザイン」と「売るためのデザイン」を峻別して行かざるを得ないのである。
これは、デザイナーという職能の本質が購買欲をそそるために商品を「魅力化」する、ということにあったのであり、彼の労働力商品としての使用価値(資本家にとっての)がそこにあるのだからそうなるのが必然なのである。自ら小資本家となったデザイナーの場合は、資本家がデザイナーの仕事を自らの労働内容として直接市場に問うことになるだけであって、本質的には事情は変わらない。
結局、作る立場と使う立場が本質的に分離されている資本主義社会では、「デザイナーの良心が世の中を良くしていく」という期待は幻想に過ぎないのである。それを幻想でなくなるためには、すべての社会的分業種の労働の中に含まれているデザイン的側面を、共通の目的意識で結びつけることができるような、言い換えれば、「売るために作る」のではなく、「必要だから作る」社会へと生産・消費の仕組みを変えて行かねばならないだろう。これについては別の箇所で考察するつもりである。
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