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2010年4月11日 - 2010年4月17日

2010年4月16日 (金)

崩壊する中間層とデザイン商品市場の変貌

 アメリカのオバマ政権が進めている医療保険制度の改革は、下層社会で貧困のため病気になっても医者にかかれない多くの人々への大胆な救済策である。誰が見てもこれは正論と思われるのだが、アメリカではこの法案に真っ向から反対する人達が多い。何故か?新制度を実施させるに必要な資金を増税で補うということになるので、自分たちの生活が圧迫されるという人達が多いからである。もちろん、この反対派の後ではオバマ政権を倒そうとする共和党の議員たちがそれを煽っているのであるが、この状況からは、アメリカ中間層がいまや二つに割れてしまっているという印象を感じざるを得ない。

 かって、アジアや中国などで生産される多くの商品をアメリカの中間層がどんどん消費して、それによりその消費がアメリカや中国の資本を太らせ、世界経済がバランスを保つという構造だったのが、リーマンショック以来の世界的金融恐慌の影響で、アメリカの経済事情は一気に悪化した。ブッシュからオバマへのチェンジもそこで危機に直面したアメリカ中間層が動いたから実現したといえるだろう。

 ケインズ型戦後資本主義社会の中で生まれ、東西冷戦の中で成長したアメリカ中間層や、ヨーロッパ、日本の中間層は、いわゆるデザイン商品の市場を支える中心的な人々であった。クルマを持ち、高級家電製品に囲まれ、持ち家に住み、グルメを楽しむ、という生活がいわゆる市民生活の標準的スタイルであるというイメージ(実際にはこうでなくてもいずれはこうなりたいと思っていたスタイルというべきかもしれないが)を持ち続けてきたといえるだろう。しかし、この認識は21世紀になって徐々に変わりつつある。

 1960〜80年代の中間層安定期を担ってきた世代の第二世代になって、世界情勢は一変し、東西冷戦は終わり、アメリカの金融資本を中心としたグローバルな市場が世界経済を支配すると同時に、生活資料商品の生産は中国やアジアの低賃金労働による低価格な商品が世界市場を席巻するようになり、そこから莫大な利益を吸い上げた、先進資本主義国の資本は、いわゆるサービス産業に投資を行い、その分野での雇用が増加したのである。その一方で、工業生産を中心とした産業資本の多くは、対アジア低価格商品の関係で極度の合理化を余儀なくされ、雇用は著しく減少した。そうした労働市場(正しくは労働力商品市場というべきであろう)の変化の中で、中間層第二世代は、安定した雇用が失われ、つねに流動的な労働市場の中で翻弄され続ける状態となった。日本ではそれに呼応するように資本家側の立場に立つ政府が、非正規雇用を尻押する法改正を行い、すでに形骸化していた労働基準法の一層の無力化を推し進めたのである(鳩山政権はその尻ぬぐいをさせられているが、基本的な方針が定まっていないので期待は持てない)。

 その一方で、労働者側は、1970年代からすでに労働組合員の「中流意識化」が進み、1990年代にはすでにその組織としての存在意義が希薄になっていたため、こうした事態に何ら対応できなかったのである。

 こうした状況の中で、中間層は両極化しつつあり、金融、サービス業関係の資本や激しい競争の中で国境を越えた資本の吸収合併(正確には競争に負けた企業の一部を切り捨て、採算の取れる部分を吸収合併)で生き残ってきたゼネコン、自動車、電機などの大きな産業資本に正規雇用され、安定した生活を維持する労働貴族としての比較的リッチなグループと、競争に負けて倒産するなどで次々と転職を余儀なくされる、非正規雇用の下層労働者階級に転落したグループ(ワーキング・プアーと呼ばれる人達も含む)に分かれてしまったと考えられる。

 世の中ではこれを、能力のなさ(あるいは学力のなさ)、やる気のなさ、のせいと考えている人も多いようだが、それは間違っている。これは意味のない企業間の競争により労働の場から放逐されてしまう人達を見捨ててきた社会全体の責任であるのだから。

 その中で、いわゆる「デザイナー商品」は、この上層部の人々をターゲットに売られ、そこでは「付加価値」を付けていかに価値以上に高い価格で商品を売るかが主目的とされている。デザイナーの創造性はもっぱらこの付加価値を高めることを目的として称揚されるのである。

 残された下層労働者達は、中国やアジアの低賃金労働者の過酷な労働の結果である安い生活資料商品によって何とか日々の生活を維持せざるを得ないのである。

 デザイナーの世界では、高級「感」(決して高級ではない)や本物「志向」(決して本物ではない)が叫ばれているが、現実には、ほとんどの人々が無名のデザイナーと極度に労働条件の悪い低賃金生産労働者の血と汗の結晶である低廉な生活資料商品群に囲まれた生活をしているのである。若い中間層の人々をターゲットに販売されている「イケア」の家具や生活用品を見る度に私はその価格表に書かれた驚くほど安い値段とそれを生み出した労働者の過酷な現実の関係が目に浮かぶのである。

 

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2010年4月15日 (木)

「豊かな消費社会」の哀れなモノたち

 私の家の向かいにあるMさんの家が、最近、住人がいなくり、取り壊されることになった。Mさん家族は私の家族と親しくしていたのだが、ご主人が10年以上前に亡くなられ、ご家族が遠方に引っ越してしまったため、しばらく空き家になっていたこの家屋敷を売りに出されたのである。Mさんのご家族は遠方に住んでいるため、古い家の後片付けや始末が思うに任せず困っていた。そこで、私の家族がそれをお手伝いすることになった。Mさんは、文筆家であり、インテリのご家族であったため、貴重な蔵書や趣味の良い家財道具が、取り壊されることになった家にそのまま残されていた。遠方に住むMさんご家族はそれをすべて引き継ぐことは不可能なので、処分して欲しいと頼まれたのである。

 まずMさんの膨大な蔵書は、市の図書館でも引き取ってもらえず、仕方なしに私の家族が文献リストをつくり、Mさんの友人で出版業を営む人が主なものは引き取ることになった。これは大変な作業で約5ヶ月ほどかかった。そして、程度の良い家具類などはリサイクル業者に引き取ってもらい、さまざまな家財道具は古物商を入れて引き取ってもらった。

 しかし、それでもあとには、膨大な量の蔵書や家財道具が残されたのである。これらはすべて「ゴミ」として捨てるしかなかった。中には有名ブランドの衣類や食器などが多くあり、ほとんど使われないまま、ゴミやカビにまみれていた。私たちはそれらを、痛ましさの念を持って「市の指定したゴミ袋」に押し込んだ。

 これと似たようなことが、13 年ほど前に私の家でもあった。それは東京に住み長年、開業医を営んできた私の父が亡くなり、その家と診療所を処分することになったときのことである。そのときは、膨大な量の医療器具や蔵書や家財道具を「痛ましさの念」など持つ暇もなく廃棄せざるを得なかった。

 そして数年前、退職金をはたいて我が家を建て替えた時にも同様なことが起きた。家族が少なくなり、お金もないのでコンパクトな設計の家にせざるを得なかったため、父から引き継いだ家財も含めて多くを廃棄せざるを得なかったのである。

 これらの事実から見ても、われわれの生活は、その人生に於いて驚くほど膨大な量のモノを購入し、その殆どを、本来の意味では消費し尽くさないうちに廃棄しているのだということを思い知らされる。

 それほど経済的に余裕がない家計から、一生懸命貯めた小遣いをはたいて、自分の趣味や楽しみのために使う金も、自分の願望を満たしてくれるモノを買うことに使われる。例えば新しい機能を持ったデジカメやパソコンが発売されれば、それが欲しくなり、いま持っている古いモデルを下取りにして、新しいモデルに買い換える。しかし、本当にその新しい機能を使いこなすまでに至らず、大抵はそのまた次に発売される新型モデルに買い換えるということを繰り返す。

 いわゆる生活必需品についても似たような状況があり、テレビ・冷蔵庫・洗濯機や自動車や携帯電話など(これらのモノが生活必需品化されている社会は世界の中でもまだ少数でしかないことを忘れてはならないのだが)においても、いままで使っていたモノより省エネだから、新しく買い換えなければ損をするという思いにさせられ、買い換える。政府や公共企業体までもがそれを尻押しするのである。

 こうした、めまぐるしいモデルチェンジによる買い換え需要の喚起の背景には、もちろんめざましい技術革新という側面もあるが、要するに、モノを次から次へと買い換えさせることで、景気を浮揚させるという現代資本主義社会の「法則性」がその背後に働いているからである。

 われわれの社会では、モノは本当に必要だから作り出されるのではなく、「買わせるために」作られるのであって、その機能や使用価値を発揮し尽くすことなしに廃棄され、その廃棄物の処理に膨大な資金を投入している社会である。この社会で生み出されたモノたちはさぞかし無念であろう。しかもこの廃棄物の処理は購買者が支払う税金を使って成されているのである。

 ニュー・デザインの商品が「消費者の立場で」「使用者の目線で」というフレーズが宣伝に用いられて売りまくられていても、実際には、この社会で生み出されるモノの大半は「消費」も「使用」もしつくされずに廃棄されているのである(しかし、この社会でモノと等価な存在として扱われる労働力商品だけは、徹底的にその使用価値を消費し尽くされるのであるが)。要するにいまの社会は「消費社会」ではなく「購買社会」なのであって、モノを生産する側は売ってしまえばそのあとのモノの行方は買ったものが勝手に決めればいいのであって自分たちの責任ではない、という社会である。これが商品の売り買いの自由を保障する資本主義社会の真骨頂なのであるから。

 こうしてわれわれは本来必要もないモノをどんどん買わされ、どんどん捨てさせされて、それによって資本はどんどん太り、余った金が世界中で投機の対象となり世界の経済を支配しているのである。そのなかで、埋蔵資源は掘り尽くされ、森林は破壊され、地球環境がどんどん悪化し、他方では社会的に必要な医療制度や社会保障制度は、国家予算がないからといって後回しになれるか、われわれの税金を上げて、そこから絞り出させようとするのである。世界中にお金が有り余っているというのにである!!

 さあ、この事態を、「デザインにおける創造性」の研究者達はどう捉えるのか?これこそがいまあなた方に突きつけられた課題ではないのか?

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2010年4月13日 (火)

対立する二つのデザイン研究方法の立場に論争の場を与える媒介項

 さて、前回は少々身の上話のようになってしまい、いささか情けない感じであったが、ここでフンドシを締め直して、論理的な思考に戻ろう。

 資本主義社会が生み出した職能としてのデザイナーの労働内容を理論的に根拠づけるための研究がいまの大半のデザイン研究であるといっても過言ではないと思うが、これを第一の方法的立場としよう。それに対する疑問や現在のデザインに対する批判的立場からそれを捉えようとする研究は非常に少ないが存在する。これを第二の立場としよう。この第一の立場と第二の立場は互いに対立する立場であって本質的に相容れない。しかし、第二の立場は、現在の社会の上部構造から逸脱しようとする立場であるから、つねにその存立の場を脅かされるのである。第二の立場は現状への矛盾を直感的に感じ取り、それに対する批判を出発点にしているので、本質的な意味で創造的な萌芽を持っているのであるが、それが直感的段階に留まっている場合には、第一の立場にいる人々からは、「建設的でない」とか「目的に対する方法が見えない」とか非難され、研究者社会から疎外され、自ら永久少数派として自認せざるを得なくなり惨めな思いをすることになる。そこで、第三の立場が必要になると考える。

 それは、徹底した現状分析である。批判が直感の段階で留まっていては、いつまでたっても第一の立場に対して第二の立場は勝ち目がない。しかし、直感が正当な根拠を持っており、それがやがてわれわれの直面する現実の矛盾を乗り越える方向を具体的に示す本来の創造的研究になるためには、批判の出発点をさらに具体的に分析し、これでもかこれでもかと突きつけていく必要があるのだと思う。マルクスが資本論の中で行った当時のイギリスの社会における労働者の立場に対する徹底的な分析がそれである。この立場を私は第三の立場と呼ぶことにしたい。「これは第二の立場の延長ではないか?」と言われるむきには、こう答えたい。第一の立場と第二の立場の本質的違いは、そのままでは接点が見えず、互いに平行線で流れてしまう。しかし、同じ現実を見ていながら、立場が違うことによってそれがこれほどに違って見えるのだということを、突きつけることによって、第一の立場と第二の立場の接点(つまり論争点)を逃れようもなく突きつけるという立場は、第二の立場よりはるかに実践的である。

 第二の立場での直感だけを手がかりにしてそれを論理化しようとする(例えば「論理必然性」によって)ことは、無理があり、論理的にはいかに優れていても、第一の立場とは相変わらず平行線をたどるしかないということが、最近分かってきたのである。私は研究室で11年間「干されて」いたときも、リタイアして再びマルクス経済学を学ぼうとしたときも、宇野弘蔵の考え方を手本としてきた。しかし、宇野経済学のもっとも弱い部分が現状分析と原理論の統合の仕方であるということは薄々知ってはいたが、やはり現状分析がいかに重要であるかを痛感するようになってきたのである。

 私がいう「媒介項」とは、このような批判する側の主体的な立場(第二の立場)を深める論理によって導かれた徹底的現状分析の立場であり、これを媒介にしてしか、「批判される立場」(つまり第一の立場)との現実的な接点はないということである。つまり、ここでいう媒介項は、第一の立場も第二の立場もともに目にしている同じ具体的現実であり、その同じものが、立場によってどれほど異なるものに見えるかを実証する「項」なのである。

 経済学というジャンルもそうであるが、資本主義社会のメカニズムを肯定的に理論化するための経済学と、その矛盾を根底から批判し、新たな本来あるべき経済学の地平を切りひらこうとする立場は本質的に対立するが、その対立の平行線を接点(つまり論争点)に転化するために、マルクスは徹底した現状分析を行ったのだということがよく分かってきた。私はデザイン研究においてもそれと似た状態があると思う。

 しかし、私のこれまでの立場は第二の立場の延長でしかなかったと言わざるを得ない。自らの直感にもとづく現状のデザインの矛盾に対する批判的立場を、ただ論理必然性による理論的整合性を高めるという方向にばかり思考を巡らしていたように思える。資本論における価値形態の分析や商品の資本への発展の論理を確固たる内容にしているのは、マルクスの現実社会への鋭い批判であり、その現状分析であるということがいまさらながら分かってきたのである。

 さあ、人類のデザイン能力が、その労働過程での限りなく大きな創造力を真に発揮できる社会を目指して、命がけの旅に出よう。これこそがデザイン研究の本道であるはずなのだから!

 

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2010年4月11日 (日)

疎外と孤独の中から

 前回のテーマは「上部構造」という言葉を使ったので、分かりにくい抽象的な内容になってしまった。そこで、もう少し体験的実感を伴った話にしようと思う。

 私はかつて研究助手として大学紛争に関わったことで、70年代全般を通じて、11年に渡って研究室で完全に「干され」ていた。その間、おそろしい孤独と疎外に耐えていかねばならなかった。このまま生きていても仕方がないという思いは常にあった。その間私を精神的に支えてきたのが、マルクスの経済学・哲学思想の研究であった。

 やがて生きる希望がほしくて「人並みに」結婚しようと思い、家庭を持ったが、このままでは子供達が暮らして行けなくなりそうなので、決心して、自分の思想を隠し、世の中で自分の存在できる場所を求めて、遅ればせながら研究者の道を再び歩むことにした。そのとき既に40歳を過ぎていた。世の中は「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われるほど日本の経済が好調な時期であり、学生の就職率も高かった。私はコンピュータ技術の可能性に大きな関心があったし、人間の個性や創造力の問題にも関心が高かった。そこから私の、世の中の「上部構造」の一部としてのデザイン論研究への道が再び始まったのである。

 20世紀も終わりに近づいた頃、私は懸命の努力の末、ようやく、デザイン発想支援の研究で一人前の研究者として認められるようになったのである。そしてそれからの10年間はその道に邁進した。しかし、自分の社会的ステータスが高まるにつれ、徐々に自己矛盾に苛まれるようになってきた。21世紀になって、一層その矛盾をむき出しにしてきた資本主義社会の中で、結局それを尻押しする立場で次世代を担う若者達を教育していかざるを得ないことへの矛盾である。

 大学で定年間近になった頃、私は再びマルクス経済学関連の文献を読むようになった。このような私の精神的苦痛による職務への態度の逡巡に対する嫌悪からか、私が後継者として育て上げようとした若手の研究者からも離反され、退職後は、なんと私の切り拓いてきた研究領域から私の影響力を完全に排除しようとする彼らの許し難い仕打ちに合ったのである。

 大学退職後、あるコンピュータ・ソフト会社でユーザ・インタフェースデザイン関係のコンサルをやってきたが、そこでこれまでの発想支援システムのアイデアをいままでと異なる視点から提案しようとしたことも実現できず、アメリカの金融恐慌から始まった世界不況の中でその会社の経営も行き詰まり、私も含めてコンサルは全員切られた。

 そして、いま、再び40年前と同じ(今度は年金生活者としてであるが)、疎外と孤独の中に投げ込まれたのである。その中から、私は残り少なくなった人生の時間を賭けて、このブログからあるメッセージを発信し続けようと思っている。

 その「こころ」は、世の中全体を覆っているおおきな矛盾の根底にあるその本質を見抜く直感、そしてそれを深めるための論理と倫理、これこそが研究者にとって本当に必要な能力なのである、ということである。その上で自分の専門とする領域で一体その解決に向けて何ができるのかを考えるべきであろう。世の中の上部構造の中に自分の居心地の良い場所を見つけ、そこでステータスを守ることに懸命になっている研究者は「本物」ではない。

 さて、かく言う私も、たった一人でこの巨大な資本主義社会と勝ち目のない相撲を取ろうという気はない。以前も書いたように、さまざまな同じ思いの人達と連携を取り、連帯の絆を深めることができなければ、結局は疎外と孤独の中で死んでいかねばならないのだ。そして私の専門としてきたデザイン論や創造性支援の世界で得た知識をそのためにいかに生かしていけるかが問題なのである。

 このような訳で、私のデザイン論にはつねに二重の層が内包されている。一つは、私自身が依って立っていた場所である現在の資本主義社会の分業形態の一つとしてのデザイナーの抱える矛盾に着目し、その職能を生み出した社会のメカニズムを批判するという層であり、もう一つは、その批判を通じてその先に、次世代の社会への展望とそこにおける人間の普遍的能力としての「デザイン力」がどのように発揮されていくべきかという視点である。最近、この二つの層の間に何らかの媒介項が必要なのかもしれないと考えるようになってはいるのだが。

 どちらにしてもこれからますます苦しい孤独な闘いとなるだろうが、私の考えていることは決して間違っていないと思うし、それが結局本来の研究者の仕事なのではないかと思うのである。最近視力の衰えも激しいが、モチベーションは決して低くない。

 このブログを読んで、何か感じたことや、反論したいことがあればぜひ下記にメールを入れて頂きたい。

 PGA00374@nifty.ne.jp

以上。

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